本日は「西行」ですね。
1118年から1190年まで生きた僧侶であり、歌人であった西行を取り上げたいと思います。
毎週金曜日は哲学及び思想とか宗教を取り上げているんですけれど、今月から日本の文化に注目してまして、前回は紀貫之を取り上げました。
古今集が日本の文学のスタートだという話をしたんですね。
今回は西行を取り上げます。
何で西行を取り上げるかというと、古今集では「幽玄の美」というものを中心としたんですね。「もののあはれ」とか「花鳥風月」。
平安時代に起きた日本の文化の美意識というものを「幽玄」という形で表してきた世界なんですよね。
それで、中国の漢字を使うのではなくて、日本独自の平仮名を使って文化を作り出したんです。それが紀貫之らの時代の人たちがやったことです。
今度、西行がどんなことをしたのかというと、幽玄と対をなす美意識「侘びの美」というものを生み出すんです。
日本人の美意識とは何かというと、「幽玄」と「侘び」と言うんですけども、幽玄よりもどちらかというとこちらの方が聞いたことあるかもしれません。
日本人らしさやもののあはれ、ちょっとなんていうのかな、隠遁とした人たち。山の中にいて、自然を愛しながら無常観を味わうことの美しさ。
権力とかそういうものに固執しない、そういう美しさを「侘び」と呼ぶんですけども、この「侘びの美」は西行の時代から完成されてきたものだと言われています。
西行
西行は平安時代の終わりの人です。
23歳で出家するんですね。当時23歳で出家するって珍しいんですよ。
西行さんは元々佐藤さんというんですけども、超イケメンで蹴鞠も上手かったし、運動神経もメチャ良かったらしいんです。
北面の武士とか言ってエリートだったらしいんです。
この人が失恋をきっかけに出家したと言われています。
若くして出家するだけですごいセンセーショナル。加えて旅をするんですよ。
一つのお寺にいて、寺の中の行政組織で出世していくのではなく。
当時、お寺というのはある種の行政組織だったんですよ。国の機関だったんですけれども、それは置いといてまあそういうお寺に所属せずに旅をしながら歌を詠んだというので、結構センセーショナルだった。
花鳥風月とか言いながら、貴族たちは平安京から出たことがないわけですよ。
よその地域はどうなってるんだろうというのは皆わからないし、興味津々なんですね。そこをイケメンの西行が全国を旅しながら歌を詠むので、みんな食らいついたというか。
だからめちゃインフルエンサーというか、スターというか、そんな感じですね。
西行は特に宗派がよくわかっていないんですよね。
様々な寺にお世話になったりするわけです。そこも日本らしさなんですよね。
宗派が違ったら敵同士だったりするから泊まり歩いたりできないわけですよ。
同じ仏教だからってことで助けてもらったりするし、伊勢神宮にも泊まったりするんです。最後は。
だから仏も神も一緒だよねということで、神道も一緒だよねと伊勢神宮にもお世話になっている。
おおらかだなという感じはします。
本人は結構辛いとか、厳しい修行とか、歌の道とか、もののあはれと言ったり無常観と言うけれど、冷静に考えてみると結構楽しそうだなみたいな感じがします。
でも時代は貴族の時代から武士の時代に移っていくし、たくさん殺されますよね。鎌倉の武士によって。そういう昔の仲間たちも殺されてたんじゃないかなとは思いますね。
それが西行という人です。
西行の歌はいろいろあるんですけど、有名なやつからやっていこうかなと思います。
奈良の吉野山に来た時の歌です
願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ
如月の望月の頃というわけです。
夢が叶うなら桜の下で死にたいなと。2月の満月の時がいいなと。
仏様が死んだ時がそういう時だったというらしいんですね。
だからその時にこの桜の満開のところで死ねたら最高だよね、みたいな歌を歌ったということです。
いいよね。なんかね無常と言えば無常な感じがするけども、やっぱり今日の僕らから見ると楽しそうだなというか、何て言うのかな、なるほどなと思いつつ、そういう風に見えちゃいますね。
こんな解釈は普通はしないですけど、僕はそう思ってしまいます。
侘びの美、無常感
「侘びの美」の仲間と言うと、鎌倉時代の初期に書いた鴨長明の方丈記ですね。これは随筆なんですけど、ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず、という有名な一文から始まります。
鎌倉の後期は、吉田兼好「徒然草」。
つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
都から離れて何となくこう自然を愛でたり、無常感を味わったりとか。俗世間から離れたところで心を穏やかにする楽しみや幸せみたいなことを語っていたりします。
それは楽しそうだなって思うよね。
キャンプとか行きたいじゃないですか。僕は陸上自衛隊だったので思います。
車買って山へ行きたいなとか。山の中へ行って温泉につかってぼーっとしたいなとか焚き火したいなとか。
東京の早稲田にいたくないなとかよく思いますけど実際なかなかって感じです。
日本3大随筆というと鴨長明の「方丈記」、吉田兼好の「徒然草」、もう一つは清少納言の「枕草子」です。
無常観と自然の美しさというのが日本の美意識という感じですよね。
無常観というと寂しい感じがするじゃないですか。永遠には物が続かないんだとなるんだけども、日本の無常観というと、やっぱりこう自然の豊かさとか川の流れとか一周回って美しくて素敵だなという感じがします。
あまりネガティブなイメージがないんですよね、僕は。
ヨーロッパの無常観とか言ったりすると、ギリシャ文明の崩れた瓦礫の感じとか、サイバーパンクの世界とか、砂漠みたいなものをイメージしますよね。
エジプトのピラミッドみたいな。
無常というとそんな感じがするんだけれども、文明の荒廃、解体。
中世のヨーロッパのようなイメージありますけれども、日本の無常観とは何かというと、なんかもっとなんていうか、もう一回山とか自然に戻っていくような豊かな自然というか。
川の流れる感じとか、川の水の冷たさ、きれいな水のおいしさとか。
そういうのを思い浮かべます。
自分が死んだ後もこの豊かな自然が残っていくのかなみたいな。
かえって人間の手を加えない方が美しいのかなみたいなね。
そして、この自然の美しさに比べたら、人間の権力なんてはかないよなみたいなね。
このぼんやりした感じ、思いつめない感じが日本人ぽくて素敵だなと思います。ゆるいですよ。ゆるいんだよね。なんだかんだいって。
大陸の中国の文明や東南アジアの文明、韓国や北朝鮮の文明、朝鮮文化は日本の文化と結構違う感じがしますよね。
貴族たちは武士たちに滅亡させられていますからね。負けてるんだけども生かされているというか。
隅っこの方にいて、悔しいと言いながらなんかでも俺たちこんな幸せあるよねみたいな。
根絶やしにされないわけですよ。他の文化文明と違ってね。
全ての文明が根絶やしにされてるわけじゃないですよ、もちろんね。だけど徹底的に潰すというよりは、隅っこに追いやられてなんかまあいっかみたいな。
でもこういう美しさあるよねみたいな感じのことを言っちゃう。
※殺されなかったのはあくまで貴族や天皇らで平家やその家族、武士などらは殺されています。益田の言い過ぎでした。
※文化までは根絶やしにされず、共存が許されるほどおおらかで寛容だった、のが面白いと思っています(私見)
※そういう見方をもって、メンタルヘルスに役立ててもらえたらと思います(私見)
そしてこの侘びの美というのも武士の中で受け入れられて、侘び寂びが日本の伝統として残っていく。面白いなと思います。
今回は西行の話をしました。是非皆さんもコメント欄で一緒にディスカッションしてみましょう。
初めて知った方は、自分の価値観や自分の思想に取り込んでもらって、自分の人生を別の角度から見直してください。
古典
2023.7.21