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千利休からメンタルヘルスを学ぶ

00:00 OP
03:06 ブランドを作っていった
08:02 パンク
10:00 一期一会

本日は「千利休」を扱おうと思います。
結構来ましたね。

金曜日は倫理や哲学、宗教、思想を扱っているんですけども、7月からは日本の美意識、日本の思想、美的価値観を取り上げることをやっています。

古今集の紀貫之、平安時代。平安末期の西行、室町時代の世阿弥、今回は戦国時代、安土桃山時代の千利休を扱うということです。結構来たなという感じですよね。

紀貫之で日本語の仮名ができた。
日本らしさ、中国の文化とは違う日本らしさというのは何かというと、豊かな自然と女性っぽさですよね。平安時代のゆるやかな感じ。
そういう素直さだったりする。

そこに「もののあはれ」みたいなものがあって、次の西行ですよね。ちょっとふてくされた感じ。
日本はどちらかというと政治で負けた人が文化の中心になるというのがあって、侘び寂び大事だよねみたいな。
その当時は侘び寂びはないんですけど、ちょっと隠遁的な感じ。仏教の無常観みたいなものを文化の中に取り込んでいく。

今度は世阿弥になってくると、より禅的なものになっていくんですね。
文化というのは今度は元々権力があった人たちが文化人になるというわけではなく、身分がない人たちとか、権力がなかった人が権力側についていくということが起きていくんですね。
世阿弥に関してはそういう感じで、いかに時の権力者たちに好かれるのか。
権力争いに負けたから文化をやる、という平安的なものから、室町になると権力者に好かれるようなもの。好かれるためにはどうしたらいいのかを考えたりする。

その中で切磋琢磨して美を伝えていることをやってきたんですね。その時に世阿弥は「幽玄」というものを提唱した。
当時の室町幕府は権威が弱かったんですよね。
貴族や天皇に権威があって、貴族たちはカルチャーを持っていたんですよ。和歌とか。
武家側はどうしてもカルチャーとしての権威がなかったので、世阿弥を取りたてたという背景もある。

ブランドを作っていった

今度は戦国時代になって、どういう風に美の中心、文化の中心が移ったのかということです。

千利休は大阪、堺の商人の息子なんですね。
堺の中でお茶を修行して、堺の中でお茶のナンバー1になるんですね。それが30代半ばくらいです。
その時に織田信長が堺を攻めるんですよ。

織田信長が堺や京都近辺を支配するようになるんですけども、その時に潰されないようにむしろ織田信長に近寄っていくんですね。政治に積極的関与していくんです。

ここが千利休の面白いところで、この人はすごく商売の才能があったんだよね。
織田信長もイノベーターだし、千利休も商売の才能があったんですよ。

当時は武将に対して親分は土地を渡していたんですね。
「お前、戦争を頑張ったな。じゃあこの土地やるよ」みたいなことをやってたんだけども、土地は限界があるんですよね。限りがあるわけですよ。
取った奪われたの繰り返しの中で、土地に代わるもっと大きいものを用意する必要があったんです。

株券みたいなものですよね。
給料を渡すだけだと、やっぱり人はついてこないので、ストックオプションを渡すわけじゃないですか。今だったら。
それと同じで、土地以外の高いものを作る必要があったんですね。褒美が必要だった。

そこで千利休がお茶碗や茶道具に付加価値をつけ始めたんですね。
織田信長と一緒にやっていったという感じですね。それでブランドを作っていくんですね。
その当時、堺の方ではお金持ちが多くて茶道具とか名品を集めていたんですね。
それを織田信長が一気に買い占めるんですよ。
それで自分で値段を吊り上げたりとかしつつやっていたという感じですね。舶来ものをね。
千利休はそこに積極的に関与して一緒にやっていくことで、その分取り立ててもらったし、自分も力をつけていったという感じです。

結構現代人っぽいんですよね。
戦国時代は合理的なわけですよね。既存の常識が通用しない世界なので、合理的になっていくんですよね。現代の人が考えることと同じようなことを千利休もやっています。

例えば舶来物だとどうしても値段をつり上げていくことが難しいので、中国からの名品を舶来物にしているだけだと値段をつり上げるのは難しいので、自分でブランドを作った方が早いんですよ。
これはいいですよねと値段をつけるのではなくて、自分でオリジナルを作りましたよの方がどんどんお金を刷れるのと一緒なのでいいわけで、千利休もブランドものを作ったんですね。

これがやっぱり面白いんですよね。
自分でプロデュースして器を作るんだけど、その前に井戸茶碗、朝鮮で使われていた当時の日用雑貨、普通のお茶碗を「美しいものだ、これには価値がある」ということを言ったんですね。
その当時はオーダーメイドなんですよ。
オーダーメイドのものが価値があるわけですよね。お宝なわけなんだけども、レディメイドのものに価値があることを見抜いて、「それ、すごいいいよね」と言い出したのが千利休です。すごく面白いんですよね。

レディメイドのものにすごく意味があると言ったのは、本当に現代アートっぽいですよね。
マルセルデュシャンという人はトイレを発表して、「これは芸術品だよ」と。
既製品のトイレを芸術品だよねと「泉」というタイトルを付けて出したんですけども、これが1917年なので、その400年前に日本で同じようなことをやっていた。トイレじゃないですけどね。

自分で黒い茶碗を作ったりして、海外のものとはちょっと違うというのをやります。
そこはお金儲けをしたいというのもあるのかもしれないけども、それ以上にやっぱり命を取る取られるの中で、そういう時代の中で、自分とは何かとか、自分らしさは何かということを追求してきた千利休の美意識もあったんだろうなと思います。

パンク

だからパンクなんですよね。千利休もそうだし、その弟子たちもそうで、政治に楯突く、意見を言うんです。
最終的には豊臣秀吉に切腹させられるんですね。自刃させられる、切腹しろと言われてしまう。
色々な言い方があるけれども、何だかんだ言って千利休も悪いなと思いますよ煽っていたんじゃないかという気はします。個人的にはね。

カルチャーとしてパンクなんですよね。
その前の室町時代の世阿弥は、権力者にいかに愛されるか、いかに美しいと思ってもらうかということを追求してきたんだけども、千利休に関しては「俺たちが教えてやるよ」という感じなんですよね。
その中で舶来ものを有難がった信長や秀吉の価値観を否定して、「わび」が大事なんだ、何もないとか寂れた感じとか、物質的な豊かさではなくて、精神的な豊かさが大事なんだということ、「無」や「間」の美しさを説いていったわけです。

身分は関係ないんだということまで言い出すんですよね。茶室においては。
それはまあ、やられちゃうよね、そんなこと言ってたらね。
だけどそこまでパンクな感じだったし、逆に命を取る取られる、そういう戦国の中で誰かを惹きつけるとか、自分の知り合いが戦争で人を亡くしていくとか、色々なことを見たり葛藤していく中で、やっぱりそうせざるを得なかったというのは、利休の気持ちはよくわかるなと思いますね。

一期一会

千利休はたくさんの弟子を残すんですけど、弟子に古田織部、マンガ「へうげもの」の主人公になってますけど、織部になってくると、間を取って妥協案を取ったり笑いというものに変えていくんですよね。

利休は追求するんですよね。追求していって禅とは何か、本当の美しさとは何か、無駄なものはいらないんだということをやっていくわけです。シンプルに追求していく。

そして、一期一会なんだ。一回しか会わないかもしれないからきちんとやろうとか、突き詰めていこうということをするんだけど、それしんどいよね、ちょっと笑いも大事だよね、みたいなことをやっていくというのはカルチャーの面白さがあります。

禅というものを体現化して、日本人の美とは何かということを確立させていった。
中国のカルチャーとか舶来物ではなく、国内の美しさ、国産品は何かということを追求していったのがたぶん千利休なんですよね。
利休が追求した禅というものは、スティーブ・ジョブズにも取り入れられて、iPhoneにつながっていきます。
スティーブ・ジョブズは攻撃的というか戦っていく人ですから、それも利休と重なるなという気は僕はします。

利休って何かこうおとなしそう見えて、わびだよね、さびだよね、とか言うんだけれども、実際やっていることは結構パンクという感じです。
当時の時代もそういう時代ですからね。

自著はなしなんですよね。
自分の書はなく、利休のことを知るのは、弟子の山上宗二(やまのうえそうじ)が書き残した本と、死後100周年に書かれた「南方録」をあたることになります。
山上宗二に関して言うと、山上宗二も結構盾突いたりパンクな感じだったので追われます。だから自分が死ぬ前に師匠のことを書き残そうとしたものでもあります。

「南方録」についてはファンタジーというか、丸くなっているというか、フィクションも加わっているのでカモフラージュされているかなという感じはしますが、当時のすごく生々しい感じ、血で血を洗う中で利休が求めた「わび」とはこういうことだったのかなと思ったりします。面白いですね。

ここからメンタルヘルスとして何を学ぶかですよね。
利休の茶室、茶碗の重みなんていうものを見つつ、日常の中の美しさを知るとか、社会や常識、武力に屈しない感じ、日常の中で小さな幸せを見つけるっていうのは一見すごく負けてるというか、負け犬のひがみみたいに見えるかもしれないけど、そうじゃないんだよね。

すごくパンクなことだし、カウンターカルチャーとして芯を突く。
そして向こうからしてみても痛いところを突くなという感じがするわけですよね。
弱者の戦い方というか、そういうものもあるなと思います。

今回は、千利休について解説しました。


2023.8.4

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