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フェミニズムと精神科臨床

00:00 OP
01:02 否定しがたい欲求
02:12 ミソジニーとミサンドリー
03:23 フラストレーション+性欲
05:20 投影
06:39 怒り、恨みにつながるもの
11:01 ホモソーシャル、ヘテロソーシャル
17:32 発達障害、LGBTQ

本日は「フェミニズムと精神科臨床」というテーマでお話ししようと思います。

なかなか炎上しやすそうなテーマですけども、まあ性の問題ですね。
性の問題を交えて精神科臨床を振り返ろうかなと思います。

性的虐待が精神科臨床に絡むというのは皆さんよくご存じというか、想像は難しくないかなとは思うのですけども、モテるモテないとかそういう水準も結構関係するんですよね。
不倫や浮気の問題とか、片想いの問題、孤独の問題、色々あるので、そこら辺もちょっと話そうと思います。

否定しがたい欲求

人間の3大欲求というのは、食欲・睡眠欲あと性欲ですね。
これが人間の3大欲求と言われてますから、そのうちの一つなんですよね。性欲っていうのは。
だから否定しようとしても否定しがたいところがあって、無視しようとしても無視しがたいものがあったりします。
僕らの生活の身近なところには性欲というものがあるし、自分自身はそれを否定したとしても、やはり周りの人はそれを抱えていたりするわけですよね。

ほとんど寝なくてもいいショートスリーパーみたいな人もいれば、めったにいないですけどね、そういう人もいれば、食事に興味がない人。食事に興味がないから気が付くとごりごり痩せちゃうみたいなタイプもいますけど、それと同じように性欲が全くない人、興味が全くない人もいますけど、多くの人はほどほどにあるということです。
自分は人に囲まれて生きていますから、人間というのは性欲とは無関係ではいられないということですね。

ミソジニーとミサンドリー

フェミニズムということなので、先にちょっとミソジニーとミサンドリーの話をしようかなと思います。

僕もちょっと前々回かわからないですけど、動画を撮った時に教わったんですよ。
フェミニズムを語る上で大事な概念なので、ミソジニーとミサンドリーを説明するときに、これを精神科的にはどう捉えるのかをちょっと話します。

ミソジニーというのは女性蔑視です。女性蔑視の感情です。
特に社会的に地位が低かったり、恋愛市場において弱者である男性から女性への怒りとか攻撃性というのが多いというのがミソジニーです。
他にもあるんだけれども、よく語られているミソジニーと言えばそこかなと思います。

もちろん、女性から女性への怒りというのもあります。
男性への怒りは逆に言うとミサンドリーと言ったりします。これはいろいろなパターンがありますね。
社会的な圧も含めた男性への怒りというか、そういうものかなと思いますね。

フラストレーション+性欲

これを病的にこじらせるとどういうものになるかというと、自分の内的な怒りとか苦しみを相手にぶつけてしまうことなんですよね。
自分の内的な怒りがあるわけですよね。
日常がうまくいかないとかフラストレーションがあったりする。そして、その日常の怒りというのは生い立ちも関係したりしますよね。

そのフラストレーションを解決できない自分の能力的な問題とも絡むかもしれないですね。
さまざまなフラストレーションというものがあって、それを純粋なフラストレーションに保っているわけではなく、日々の生活の中で色んなものがくっつくんですよ。そのフラストレーションには。

自分の中にある性欲とかそういう根本的なエネルギーは、そこのフラストレーションに混ざるんですね。混ざるんです。
混ざった結果、そのフラストレーションというのが相手に投影されることがあるんですね。

性欲と混じったフラストレーションが自分の中に溜まってぐちゃぐちゃとした場合は、性依存という形で自慰行為をし続けるとか、ポルノ映画を見続けるという人もいるし、そのフラストレーションが外に放出されて、ある意味フェティシズムに走ることもあれば、それが他者に投影されて他者の人格を攻撃するようになる時もあります。

そういう風に自分のフラストレーションや性的な欲求、欲望がこじれてぐちゃぐちゃになって相手に投影されていく。
そして、その自分の中のフラストレーションを解消するために、やっつけるために、相手の人格を攻撃するみたいなことが起きたりします。

そういうのがミソジニーとかミサントリーなのかなという気がざっくり言うとします。

投影

投影は難しいのでもうちょっと説明します。
例えば投影とはどういうものかというと、色んな時に起きるんですよ。

最近だとコロナいじめがわかりやすい例ですね。
子供たちがコロナが流行っている時に日常生活が抑圧されるんですね。自由にさせてくれない、マスクをつけなきゃいけない、友達の家に自由に遊びに行けない、両親たちはコロナでビクビクしたり不安になったりする。
自分自身もコロナにかかったらどうしようという恐怖感を感じていました。

そのフラストレーションが行き場のないまま内的にとどまって、ある時、同級生の友達に「コロナ」というあだ名をつける訳ですよ。
そして、そのコロナというあだ名をつけた友達に対して意地悪をするんですね。いじめるんです。
暴力をすることで、自分の中にあったフラストレーションが解消されていくんですね。
それが投影です。

本人にとってはフラストレーションの解消になるので、発散ができているとは言えるんだけれども、それはすごく病的な発散の仕方であって、誰かが犠牲になる発散の仕方ですよね。
そういうものです。でも人間はそういうのがありますね。投影という機能がね。

怒り、恨みにつながるもの

じゃあどういうものがありますかということですよね。
例えば、両親から虐待を受けている、父親から虐待を受けていた、母親から虐待を受けていたパターン。
虐待ではなくてもですね。過度の期待を受けていたとか、教育的な虐待を受けていたとかこじれてしまった場合。
父親を恨むのではなく、男性全般を恨む。
母親を恨むのではなく、女性全般を恨むみたいなこともあります。

子供の時の父親、母親の経験がその後の人生に色濃く影響を与えるわけですよ。
その人の世界観というか、価値観に色濃く影響を与えた結果、無意識下で男性を憎む、女性を憎むみたいなこともあったりします。

だから何か妙に男女関係がうまくいかない人とか距離を取ってしまう人、どこかそこに対して問題意識とか認知の歪みがある時には、過去を掘り下げるとこういう問題が隠れていることはよくあります。

あとは性的外傷体験ですね。
子供の時とか大人になってから性的虐待を受ける、レイプをされるとかがあったりすると、やはりトラウマが残ります。
その特定の犯人だけではなく全般的に憎むこともあります。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎しじゃないですけれども、男性全般を憎む、女性全般を憎むということもあったりします。

後は倒錯と言っていますけれど、犯人側ですね。
加害者側はどういうことかというと、自分のフラストレーションを性的なものにぶつけるということですけれども、自分本位で相手の人格を尊重せずに、相手の人格を感じず、相手を人格として認識せずに、人間として認識せずにものとして扱うようになるんですよね。
そういうものを倒錯と言ったりします。

だから加害者というのは、その人がどう苦しむのかとか、被害者がどういう風に傷つくかということまで考えたりしないんですよね。
自分のことでいっぱいだったり、ストレスで視野が狭くなっていることもあったりするけども、想像力の欠如だったり、知的な問題だったり、発達障害的な問題だったり、色々なものが絡みますけれども、そういうことがあったりします。

この場合も加害者側ももちろん治療の対象で、性依存の治療や、どうやって他者の立場を考えていくのかということも治療の対象になったりします。

後は、男性の話を先ほどしましたけど、ホモソーシャル内でのいじめもありますね。
男性社会の中で「お前仕事ができないんだから」と言って、男性の中でハブられたりとかいじめられたりする。
「お前空気読めないから」とか発達障害傾向がある人はよくされますけど、「空気読めないし、お前女にモテないから」とかそういう形ではじかれていく。

男性のヒエラルキーの中ではじかれて下の方に追いやられた男性は、そこからうつになったり、適応障害になってしまったり、もちろんその結果、カーストが下にいくということで発達障害ということに、自分の問題に気づくこともあったりします。
社会全般やカースト集団の中のトップに怒りが向くことや攻撃が向くこともあれば、どちらかというとそちらの方に向かわず、より自分より弱い側、つまりカーストの低い女性の方に怒りをぶつけることもあったりします。

女性に怒りをぶつけていくということもあったりするし、倒錯の対象として傷つけられているから、カーストで視野が狭くなって、ここだけしか見えなくなってしまって、反対側にいる女性社会のことを無視し始めて、何て言うのかな女性を物としか見なくなるというのもあったりします。これも問題ですね。

ホモソーシャル、ヘテロソーシャル

自分の社会だけが全てであって、外の価値観を受け入れなくなってしまう状態もあったりしますね。
これも僕もよくわかりますね。

例えば、医者の世界は結構ホモソーシャルな社会なんですよ。
医者の世界は金持ちになるとか、ビジネスで成功するとか、例えば僕みたいにYouTubeで出てくるとか、そういう成功というのはあまり評価されないんですよね。
どちらかというと、ホモソーシャル内での価値観。
つまり医局内で良い、論文を書いている、そういう権威があるものを評価して、お金を稼ぐとかそういうのは評価されなかったりします。

自衛隊内もそうですよね。
お金を稼ぐということよりも、自衛隊の階級が上がることのほうが尊重されるし、皆そこに興味が持てなくなるとかね。こうい うのは結構よくありますね。
どんな文明文化でもありますけど、そうなってしまってそれが行き過ぎるとそういう問題が起きるなという感じです。

あとはヘテロソーシャル内での抑圧という形で、男女が混ざった社会の中ではどうかということですね。
ホモソーシャルというのは、一つの性別の中で社会を組んでいる時、男性同士で組織を作って何か活動する時に、そこに男性同士で恋愛沙汰をする人間、同性愛者は排除されるんですよ。
それはなぜかというと、仕事がうまくいかなくなってしまうからですね。
バンバン仕事をしてほしい時に、性欲や恋愛関係を持ち込んだら仕事がうまくいかなくなるので排除されてしまうというのがあります。

同じように、男女で働くようになった時に、ヘテロソーシャルの社会の時に、いちいち会社内で不倫とかされたらたまったもんじゃないんですよ。
仕事がうまく行かなくなるし、会社としては「いや、お前らがそんなことをするから、仕事の成果が遅れるじゃないか」とか、「活動の成果が出なくなるじゃないか」となるわけですね。

裏にある人間らしさとか、人間同士の心の触れ合いというよりは、まずそもそもそういう発想になりがちですね。
なので不倫というのは否定される。
このヘテロソーシャル内ではある意味外部と仕事に影響ないのであれば、同性愛をすることはかなり寛容なんだけれども、むしろ子供を作ったり、産まない分寛容なのかもしれないですけど、会社的にはこれは無意識的な話ですからね。
僕の価値観じゃないですから。
無意識的な話で喋ってますけど、ヘテロソーシャルの中では不倫というのは絶対ご法度なんですね。
でもやるんですよ、人間。そういう欲望があるからね。

よくあるのは上司である男性と部下である女性が恋愛関係になることが多いんですね。
その場合、じゃあ、恋愛関係を解消しようとした時に互いに我慢するというルールになるんですけれども、バレないようにね。その時に困るのは女性側なんですよね。

男性側は結婚しているから問題なくて良かったねで済むんだけれども、女性側は若い時間を無駄にしてしまうとか、婚期を逃してしまうとか、そういう問題が起きてしまう。そして泣き寝入りになってしまうことはよくあったりします。
これも臨床ではよく扱われますし、それでうつになってしまうとか、男性を信じられなくなってしまうとか、ボロボロにされてしまうことはありますね。

立場が上の人間が、知識も経験もあって、お金もあって余裕もある人間が若い女性を手玉に取るというのはフェアじゃないんですよね。
フェアじゃないことをしているということですよね。
恋愛だから対等のように振る舞うんだけど、決して対等ではないわけですよね。
そういう被害というのはよくあります。

後はこういうことがあるとですね、同じ女性からも攻撃の対象になるんですよね。
なぜかというと、ヘテロソーシャルの社会だからです。

せっかく男女が混ざって働いているのに性欲出すなということですよね。
仕事しているんだから性欲出すなということです。我慢しとけということです。
それがあると生産性が落ちるじゃないかということで、みんな怒るんです。
特に同性の女性も近い分、相手の気持ちをある種共感できるからこそ攻撃的になってしまうこともよくあります。

あと女性が露出の多い服を着ていいのかとか、露出の多い服を着てファッションだから楽しんでいた時に痴漢にあうのは男性が悪いんじゃないか、とか言ったりしますけれども、これも面白いですよね。

ヘテロソーシャルの文脈であれば、その女性たちが正しいんですよね。
露出の多い服を着ても、そこに性欲を出して一線を越える男の人たちが悪い。野暮なんですよ。
ギリギリまで挑発する、魅力的に見せるという行為を自分はしつつ、ヘテロソーシャル内で恋愛しちゃいけないところで、でも誘惑をしている。
このギリギリを遊びとして楽しんでいるよ。
遊びとして楽しむというか、遊びの中でやっているにもかかわらず、そこを超えてしまう人間は野暮だし、怒られる。
非難の対象なんですよね、ということです。

この社会がヘテロソーシャルになっていることをわかってない男性というのは「何で? そんなのありじゃないか」とか言うんですけどそれは野暮だということですね。

発達障害、LGBTQ

あとは発達障害のある男性女性というのは、細かい文脈を読みにくいんですよね。
恋愛はかなり秘密の中で行われるんですよ。
社会というのは基本的にはヘテロソーシャルだということになっています。
恋愛関係があってはいけないということになっていて、誰もが欲情してはいけないんですよね。

欲情せずに社会というのは動いているんですね。
欲情するということは裏でこっそりやらなきゃいけないんですよ、ということは暗黙のルールがたくさんあるんですよね。
その暗黙のルールがよくわからないので、困ってしまうのが発達障害の人たちだし、だからモテなかったり、あとは逆に性的被害に遭うことがあったりします。
それですごく困惑するし、孤独になるし、苦しい思いをするということです。

あとはLGBTQの人たちは、やはりこの男女という文脈で社会が動いている中で、ある意味はじかれてしまっている、マイノリティーとしてはじかれていて、インクルージョンされていないので苦しいということですね。
差別偏見もあるしね。そういうことかなと思います。

カタカナが多いのでちょっと申し訳ないんですけれども、もし分からない単語があったらすぐ調べてもらえばいいかなと思いますね。

これらは単独であるわけでなくて組み合わせなんですよね。
人間関係は二者心理学だったり三者以上の心理学なので、自分はルールを守っていても、他の人がルールを守れないこともあるんですよね。集団の中で9割ルールを守れていても、1割守れないだけで崩れてしまうこともあったりしますから。

そうするとその影響でドミノ倒しのように全体に影響を与えることもあるし、無視できないものかなと思ったりします。
でも、こういう欲望とどう付き合うのかは、人間が動物としている限り、常につきまとうテーマなんだろうなと思います。

ということで、今回はフェミニズムと精神科臨床というテーマでお話ししました。


2023.9.16

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