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フロイト、アドラー、ユングの違いについて、ふんわり解説します

00:00 今日のテーマ
05:16 フロイト、アドラー、ユング
07:39 フロイト
12:20 アドラー
14:45 ユング
18:05 おわりに

今日はリクエストいただいた「フロイト、アドラー、ユングの理論の違い」を話してみようかと思ったのですが、とても難しくてうまく喋れませんでした。そこでリクエストと少し違うのですが、僕が臨床家としてこの3者をどのように理解しているのかを語ってみようと思います。その人の人生を見ながら理論を語るのは大事ですし、理論以上にその人の生きた背景を知ることは大事です。いろいろな研究がされている今こそ彼らの人生を振り返るにはちょうど良いのではないかと思います。

この動画を見てくれる人は、学生さんや、どう生きれば良いのだろうということを理論として学んでいきたいという人がたくさんいると思いますし、僕自身も人生は理論で説明されたりするのではないかと思うこともありました。思想や哲学も好きですし、どう生きるのが正解なのか、哲学者はこのような答えを出していて、精神医学の中ではどういう答えが用意されているか気になっていて、今も気になっています。ですが、結局は理論ではないのです。

当たり前のことを当たり前のように受け取る

単純にいえば、精神科のカウンセリングの理解というのは、「当たり前のことを当たり前のように受け取ること」だったりするのです。病的なものから平凡な不安神経症に戻って、その上に成功者のマインドがあるとしたら、まず病的なものから平凡なところに行こうとすることです。そのためには特別な人生の理解や他人の心を読むスキルは必要なく、受け入れがたいかもしれないけれど、当たり前のことを当たり前として受け入れられるかに尽きるのです。

自分は有能ではないかもしれないけれどそこまでだめじゃない、平凡な人間で特別な人間ではないけれど誰かにとっては特別かもしれない、限りある命だけど悪くない、世の中は変化していくし壊れていし永遠のものはないかもしれないけれどそんなに悪くない、そういったことにどう気付けるかということなのです。それは治療の中の当たり前のやりとりの中で皆さん気づいていきます。

彼らの理論は1900年など昔のことなのでとんでもないことを言っていたりしますが、現代ではそのとんでもなさは削ぎ落とされてすっきりしたものに変わっています。その切り落とされたものの中に批判されているものもあって、精神分析はインチキだとか(科学ではないからインチキといえばインチキですが)言われることもあります。でもそこにはある種の歴史的教訓、ある種の真実があるのです。人間が考えてきて体験してきた彼らの人生や彼らの周辺の人、社会を巻き込んで起こした事実があり、そこには真実、僕らの心を癒していく価値があります。それは大事なんですよね。

フロイト、アドラー、ユング

フロイト 1856年生まれ
アドラー 1870年生まれ(フロイトと14歳差)
ユング  1875年生まれ(フロイトと19歳差)

フロイト46歳・アドラー32歳で出会い、フロイト51歳・ユング32歳で出会います。
ウィキペディアなどではこの3人が対等のように書かれていますが、年齢差がありますので対等ではないと思います。32歳というと僕がそろそろ開業しようかなと思っていた頃で、その14歳上というと当時働いていた病院の部長などになりますし、今よりも情報が開示されていない時なので臨床感覚もかなり違うと思います。

憧れと尊敬と追い抜きたい気持ちがあるときに弟子入りし、40歳前後で独立していきます。そのほかにフロイトを支えたアブラハムなどもいますが彼らも離脱していきます。

フロイト

フロイトはユダヤ人で、子どもの頃からユダヤ人差別を肌で感じていたのではないかと言われています。とても頭が良く学者を目指し、ヒステリーなどを研究していたシャルコーという有名な精神科医に師事するために奨学金でパリに留学します。ですが研究者としてはあまり芽が出ず、ユダヤ人ということや家庭の財政事情もあり学者の世界でやって行くのは厳しいということになります。そして30歳で開業します。

それから10年を経て、40歳の時にブロイアーと共著で「ヒステリー研究」という本を出します。当時フロイトは催眠療法も行っていたのですが、あまり上手くはなかったようです。そこで催眠ではなく会話をして吐き出させることで治療がうまく行くのではないかということを発表します。

フロイトは自分の野心や理想をたしなめられたりするとよく喧嘩をしました。と言いつつ、彼の周りにいた人もめちゃくちゃな人がたくさんいました。

1887年から1902年までフリースという人と文通をしています。この人もめちゃくちゃな人でしたが、1896年に父親が亡くなりフリースへの依存が高まったといいます。これが自己分析、訓練分析に当たると言われています。最後はフリースとも仲違いをします。フリースと仲違いをした1902年ごろにアドラー達と水曜会をやったりしていました。

1914年に第1次世界大戦が始まり、1939年に死去します。
フロイトはユダヤ人であることへの危機感がありました。フロイトが死去する頃に第2次世界大戦やヒトラーの台頭もありますので、フロイトの予感は当たっていたと思います。危機感とともにどうにかして自分の人生を確立していくということや、経済的なことや自分の学問的な主張も含め、かなりの危機感の中で闘ってきた人なのだなと思います。時代もそういう時代でした。

フロイトは自分の理論を広めるために派閥を増やすなどいろいろなことをやっていました。決して個人主義者の学者一辺倒ではありませんでした。

アドラー

アドラーは生物学と心理学を結びつける部分があります。フロイトは古典物理学(ニュートンの物理学)の発想を心理学でも応用できるのではないかと常に考えていて、そういうところにアドラーは惹かれていたようです。

1902年に水曜会の初期メンバーに入り、分析を支えてきました。1907年に「器官劣等性の研究」という本を出し、1911年に離脱します。ウィーン分析学会の議長も務めた右腕のような存在でしたが、はじめから独立心があったようです。

コンプレックスの克服や一般化など大衆系を狙うようなことも言っていて、ピーター・ゲイのフロイトの伝記によると、フロイト自身、アドラーによって精神分析が薄められてそちらの方が受け入れられてしまうのではないかという危機感もあったようです。とはいえフロイトと10年くらい一緒にいますので、アドラーの理論もフロイトと同じところも多いです。

1935年にアメリカに移住してすぐ亡くなります。そしてアメリカで広まりました。ちなみにフロイトはアメリカが嫌いでした。

ユング

ユングはフロイトの夢分析、オカルト的な要素に興味を持ち仲間入りをしました。集合的無意識などを唱えた少しスピリチュアルな人です。ユングは父親がキリスト教の牧師でしたので、ユダヤ人たちの中に入ってくるというのは毛色が違います。スイス生まれのドイツ系、イケメンで超エリートです。チューリッヒ大学では有名なブロイアーの下にいました。フロイトは開業医なので統合失調症などは診ていないという劣等感があったようですが、ユングは統合失調症も診ていました。フロイトとしては「来てくれてありがとう!」という感じです。

1911年には国際分析学会を設立し初代会長になります。フロイトではなくユングをトップに据えることで、ユダヤ人だけのものではなく国際的にも受け入れられるようにしようという期待がありましたが、やはりそこから独立してしまいます。

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当時はカウンセリングのルールもまだしっかりわかっていませんでしたし、ドロっとした会話をするときに自分のコンプレックスなどをどこまで仕事仲間と喋っていいかのルールもないところで、でも新しい理論を見つけていこうということをバチバチでやっていました。常識のある人もいればない人もいる中で、激論を戦わせていろいろなことを見つけてきたのかなと思います。

ユングは独立後もフロイト一家をナチスから助けようとしますが、フロイトはそれを突っぱねます。いろいろなことを知れば知るほど面白いです。理論的な話というよりは、ここら辺の話を知っていくとなるほどなと思うことがあります。

以上、今回の話は僕の主観が入っているものとしてお聞きいただけたらと思います。

参考図書:ピーター・ゲイ著「フロイト1」みすず書房


2020.12.1

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