本日は「いじめを受けた人のその後」というテーマでお話しします。
精神科には、過去にいじめを受けていた方がたくさん来られます。
日常ではいじめの影響や体験を語らなくても、心の奥底に残っているという人はたくさんいます。
臨床場面でそれを扱わなければいけない人も多いです。
いじめの後遺症で精神科の病気を発症したと言うのは言い過ぎのような気もしますし、言い過ぎと言い切れない部分もたくさんあります。
今回はいじめを受けた経験のある人が、それを臨床場面でどのように語るのか、どのように治療として扱っているのかをテーマにお話ししようと思います。
ここで言う「いじめ」を定義すると、小、中、高校生による一方的な暴力です。精神的な暴力も含みます。
いじめられっ子に原因があるというよりは、僕はいじめる側に問題があると思っています。いじめる側の人間が、反抗しない人、弱い人に対して自分のストレスや暴力性を押し込む、ぶつけるというのがいじめだと思っています。
いじめられた側はうつっぽくなっていきます。
抑うつ的になっていくので「助けて」と言えませんし、「助けて」と言うのがすごく恥ずかしいのではないかという認知の歪みが起き、ますます言えなくなってしまいます。
これがいじめの構造だと思います。
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いじめる側のストレス
いじめる側はどのような暴力、ストレスを相手に押し込むのでしょうか。
このような条件が重なるといじめっ子になりやすい、暴力を振るいやすい、ということがわかっています。
・暴力が身近にある
加害者側も親から体罰を受けている、親のDVを目撃している。
暴力を目撃していたり、実際自分が受けたりしていることがあります。虐待とは切っても切り離せません。
兄弟喧嘩も暴力的だったり、兄から一方的に殴られることも珍しくありません。
・暴力の目撃
家の中では暴力は無いけれど、街中で喧嘩がある、治安が悪い。
学校の先生が生徒に暴力を振るっている、部活の先輩が暴力を振るっている。
近くにいじめっ子がいる、いじめの現場を目撃している。
このようなことも関係しています。
・アルコール/ドラッグ、ギャンブル
不良グループに属している、お酒を飲んでいる、違法ドラッグを使用しているといったことも高リスクとしてあります。
早いと小学生や中学生でお酒を飲み始める子もいます。
このようなことも悪い影響を及ぼします。
・ゲーム/メディア
これを言うと「ゲームは悪くない」「テレビ、漫画、小説は悪くない」というコメントが書かれると思いますが、そのようなデータが出ています。子どもには刺激的な内容のものは見せないように、というものが出ています。
ですからゲーム、メディアは暴力的になる要素を含んでいます。
子どもは単純です。知識や経験も乏しいですから、正常な判断やコントロールが難しいところがあります。
そのため、暴力を覚え、それを使用してしまうことがあると思います。
子どもは生活をしていてもやはりストレスが多いのです。
「成長する」というストレスを常に感じていますし、「無力」というストレスも感じています。
そのような中で自分より弱い相手に対して暴力を振るうのは、許されることではありませんが、人間のメカニズムとしてはあるかなという気がします。
いじめを受けた側
いじめを受けた側はどうなるのかというと、このようなことにまで発展することがあります。
・トラウマ、PTSD
・うつ病
・不安障害
・リストカット/OD
子どもの時にこのようになることもあれば、ここまでは至らずとも大人になっても調子が悪い人は一定数います。
また、子どもの時のいじめが直接的な原因ではないにしても、その後のパワハラや長時間残業でうつっぽくなってしまったりすることもあります。
そのような時に、いじめられた経験がひょっこり顔を出し、家で休んでいてもそういうことが頭の中を駆け巡ったり、思い出したりということはよくあります。
いじめが酷かった場合どのようなことが起きるか
・傷は消えない→別ルートをつくる
どこか人を避けてしまう、ギリギリのところに行った時に不安だと思ってしまう。
人を信用できないということもあります。
これは別ルートをつくって、信用できるようにしなければいけません。
「心の傷は消えない、だけどもう同じような目には遭わない」
「子どもの時はそうだったかもしれないけれど、大人になったらいじめられることはない」
「上司はパワハラをするけれど、今は子どもの時と違って逃げられる」
このような思考をもう一個加えてあげる必要があります。
元にあるものを消すことは難しいというか、恐らく不可能だと言われています。
日本で生まれ育ち10歳でアメリカに行って、それから30年、40年とそこで暮らしても、やはり母国語は日本語です。
最初の経験はなかなか消えず、いくら流暢に英語を喋れるようになっても母国語は日本語ということがあります。
それと同じように、対人関係の根幹的な部分は真っ白には戻らないということがあります。
そもそも人を信用していない人もいます。
傷ついた猫のような感じです。こう言うと失礼かもしれませんが、臨床で喋っていて何かせかせかした感じ、焦る感じ、いつも不安に駆られているような感じ、そのような感じを受けます。
治療をしていてもなかなかうまくいかない時は、「益田は無力なんだ」「ダメな奴なんだろう」という押し付けをされる場面も結構あります。
僕のGoogleのクチコミで1がたくさんありますが、僕の力が至らない点もありますが、半分以上は投影や転移によるものだろうと思います。
自分の無力感を相手に押し付ける、相手が無力なのだという風に押し込める。投影、転移させたりすることがやはりあります。無意識的にやってしまいます。
そして僕も治療中に無力感を味わいます。
ですが、それは当時感じていた彼らの無力感を追体験しているようなものだったりします。
「うーん」と苦しんだり悩んだりしたりします。
正しく人を見ることができない、客観的に人を見ることができない、というのは心の傷がある人の特徴かなと思います。
・共依存、弱者への「密着」⇄反復強迫
PTSD、うつ病、不安障害など精神障害にまで発展しなくても、何かしらの歪みがあったりします。
例えば、共依存、弱者への過度な密着・奉仕、そのようなものです。
過度に優しくしてあげる、弱っている人に対してまるで過去の自分を助けるかのように奉仕していくのは、このような人たちのひとつの特徴です。
反対に、「反復強迫」と言うのですが、またいじめる人のところに寄っていくこともあります。
今度は克服できるのではないかということで、意地悪な上司についていく、暴力を振るう彼氏を選ぶこともあります。
これらを指摘しても、無意識的なことなので否定します。
「あなたはこういう特徴があるんじゃない?」「こういうところがあなたを苦しめているんじゃない?」とその人の行動パターンや人間関係を指摘するのですが、第三者から見ると明らかでも本人から見ると盲点で、全然気づきません。
喋っても喋っても右から左に流されるということが起きます。
治療はどうするかというと、別ルートをつくったり、反復強迫や行動パターンを伝えながら、無力感を味わいながら、信用してもらえる日を待ち、どこかで気づいてもらえたら、と思いながらやっていきます。精神科の泥臭い治療です。
今回は、いじめを受けた人のその後というテーマでお話ししました。
その他
2022.5.29