本日は「なぜ精神科医は答えを出せないのか、質問を受けても答えを言うことができないのか」について解説します。
患者さんから色々な質問をしてもらうときに、答えを出せないことがたくさんあります。
僕はちょっとわからないです、お答えできないです、情報が足りないので言いにくいです、という答えしかできずモヤモヤさせてしまうことが多いかもしれません。
僕のYouTubeのコメントを見ていると「益田はしっかり教えてくれない」「何が言いたいかわからない」「モヤモヤします」と言われます。
でも実際、答えはありません。
こうしたら良い、こういう風に考えたら良い、という答えは出せないのです。
それはなぜかというお話しをします。
コンテンツ
世の中に正解はない?
こういう話をするとよく言われるのは「世の中には正解はないよね」ということです。
「正解は人それぞれだからないよね」と言いますが、それも違います。
正解はあるのです。
正解があることも多いです。
例えば「僕が住みたい家はなんですか?」というときに、条件をしっかり入れていけば正解が出てきます。
家賃はこれくらい、駅からの距離はこれくらい、スーパーが近い、職場に通いやすい、という風にデータを入れていけば候補が出てきます。
それと同じで、その人に合った条件をきちんと入力すれば基本的には正解は出てきます。
ですから、正解はないのではなくあるのです。
限りなく近い正解というのは意外と人生にはあったりして、絶えず考えて答えを出していく、正解に近づけていくことは、生きていくためには必要です。
「正解なんてないんだ」と手放してしまうとそこで終わりです。
終わりというか良くないことが起きてしまいます。
答えはあります。
だけど情報が少なく条件を聞いていないので、正解を出せないということです。
人間は理性で正解を出せる
そもそも冷静に考えてみれば、正解が本能や単純なアルゴリズムで出せないがために、人間には理性というか意識が備わっています。
人間というのは他の動物よりもはるかに繁栄しています。
「いやいや、そう言うけど昆虫の方がはるかに数が多いよ」と言われるとそうかもしれません。
そこは厳密に考えないで欲しいです。
まあ、どう考えても人間は繁栄しています。
どんどん増えていっています。
なぜ人間が繁栄しているかというと、他の動物にはない「理性」があるからです。
理性で考えていく、理性で正解を出せるから人間は繁栄しています。
簡単なアルゴリズムや正解があるものであれば、本能に組み込まれます。
本能に組み込むことができます。
しかし本能に組み込むことができない複雑な問題に答えるために、理性があるということです。
どういう風にいつも説明すれば良いのかと考えていたのですが、こういうことなんじゃないかなと思いました。
脳の仕組み
もう少し脳の話をすると、脳を縦に割ると図のように3つの層に分かれています。
新皮質、大脳辺縁系、脳幹という3つの層があります。
脳幹+αは爬虫類から存在し、本能を司る部位です。
その周りにある大脳辺縁系は情動を司り、哺乳類で発達したものだといわれています。
最後の外側にあって大きくなったものが新皮質で、人間で発達したものです。
脳はグググッと発展進化し大きくなっていったわけですが、外側にあるものは人間的、内側にあるものは爬虫類的だということです。
答えが簡単にあるとすれば、脳幹や大脳辺縁系にアルゴリズムとして組み込まれています。
本能レベルで組み込まれている。
本能で解決できないのであれば、情動、快不快の単純な反応で生物をコントロールすれば上手くいくわけです。
だけどそうじゃない、と。
理性でコントロールしなければいけないわけです。
人間はそういう風に進化したと言われています。
と言いつつ、また話が変わります。
これは脳の古典的な理解です。
そんな風に分かれていません。
脳幹は大脳辺縁系でコントロールして、大脳辺縁系を含めて新皮質、理性がコントロールしている、ということは昔の科学者が考えたことです。
今は、脳はネットワーク系だという理解なので、脳幹だからこういう機能、大脳辺縁系だからこういう機能、新皮質だからこういう機能というわけではありません。
全部にまたがってリアルタイムに活発に情報交換をしながら働いています。
ここだから特定の機能、という風には考えられていません。
でも昔はそのように考えられていたということです。
理性でコントロールする
「益田、何の話や?」という気がしますけど、いざ臨床になってみるとこれ(三層)は重要なイメージです。
よく患者さんは「調子が悪いです。どうにかしてください」「元気ややる気が出ないのはどうしたら良いですか」と言います。
うつなどに関してはある程度薬で調整ができますが、やはり理性のレベルでコントロールしてあげなければいけないことはたくさんあります。
良くなってきたら本能や感情を理性や意識の力をもってコントロールしてあげる、抑えてあげるということが時には必要です。
昔の19世紀や18世紀、それ以前の人、デカルトの時代のように本能や感情を抑えるような意識や理性の強さも時には求められます。
理性や意識の力を強めていく中で、習慣化していけば無意識でできますよとか、だから習慣は大事なんですよ、と、こんなのは医者が言う話ではないですし、全然科学的な話ではないのですが、脳科学的には否定されていますが、臨床的には有効なイメージです。
これは結構重要なので言っています。
なぜ答えが出ないかというと、人間というのは、答えがでないもの、アルゴリズムには還元できないものを理性の力をもって正解に近付けていくからです。
理性は重要で、理性の力で習慣化していくこともとても重要です。
それは、自我、超自我、リビドーというような形で、精神分析の考え方も同じようなものといえば同じようなものです。
理性以外のアプローチ
理性に訴えるしかないと言いつつ、理性以外のアプローチもあります。
薬のアプローチもそうですが、大麻や幻覚剤などのドラッグの力を使って治療をしていこうという流れも精神医学の中になくはないです。
LSDやマジック・マッシュルームのような幻覚剤はトリップのようなことが起きるので、俯瞰的にモノを見る体験ができるようです。
そういう体験を治療者と話し合うことで、今まで狭い視野で見ていた概念を離れて見ることができる、柔軟な考え方ができる、だから幻覚剤も使いようだという言い方をすることもあります。
ただ今の日本の医療ではそれは認められていませんので、結局は理性に訴えていくしかありません。
僕も上手く説明できている気がしませんが、とにかく、今調子悪いな、どうしたら良いのかな、と思いつつも、頑張って考えていくことがとても重要です。
考えたことをできるだけ習慣に落とし込んでいく努力は、精神科といえども重要だったりします。
今回は、なぜ答えが出ないのかということをテーマに、今僕が思っていることを話してみました。
雑談
2022.6.18