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雑談:益田の世界観。世の中って、どうなっているのか?

00:00 OP
01:21 日々心がすり減る
04:00 人間の脳は描写困難
08:53 集団からはじかれてしまった人たち
11:09 どうやって森に戻すのか
13:13 つながるメリットとデメリット

本日は雑談をさせてください。
どんな話かというと、僕の世界観です。最近考えていることをざっくり話そうかなと思います。
学術的な正しさとか、精神医学から持ってきたとかそういう正しい話ではなく極めて個人的な話です。

僕が色々な本を読んだりしながら、矛盾なく知識を得るために、自分なりに作り上げてきた世界の話をしようかなと思います。
もしそういう個人的な話は聞きたくない方は、今すぐ動画を切ってください。

あと精神科医の僕のYouTubeチャンネルは影響力がありますよね。
そういう精神科医が個人的な話をするのはどうなんだと思われる方もいるかもしれません。そういう人もチャンネルを切ってください。

ただ、こういう話もちょっとしたいなと思ったのでさせてもらえたらなと思います。

日々心がすり減る

どうしてこの話をしようかと思ったかというと、やはり日々臨床しているととても苦しくなるんですね。
「自分は何のために働いているのか」「何をしているんだろう」ということを思うのです。

僕が医師になった時やなる前は、もっとシンプルに考えていました。
自分の人生というか世界をシンプルに考えていました。臨床家として生きるということもシンプルに考えていました。
なんとなく脳科学や精神医学を勉強できて、普通の人よりは詳しくなれるからいいじゃない、みたいな感じでした。

臨床したら人から感謝されますし、頭を使って何かをできるという作業は、体を使うよりも得意だったから、頭を使う方が自分の得意を活かせるだろうし、感謝もしてくれるし、お金も稼げるし、臨床家として生きる人生というのはアリだなと。
たった一度の人生を臨床家として生きるというのは良さそうだなと思ったんですよね。

でも実際やってみると責任も伴うしそんなに単純な話ではありません。
やらなければいけないことも多いですし、考えなければいけないことも多くとても苦しいです。

もちろんお金は稼げるし、感謝もしてもらえるし、まあ良かったと思うこともある。
けれども学者のような形で本当に知の追求ということはなかなか難しいですし、実践的なものばかりを追うことで、日々心がすり減るようなところ、本当のクリエイティビティとは関係のない、自分が消耗されていくような感じというのはやはり日々感じています。

自分の時間を消費している、誰かのために費やしていることの意義が時々わからなくなるというか、困る、不安になることはあります。

でも世の中の仕事というのはほとんどそうだと思います。
ほとんどの仕事というのは、クリエイティビティというか、個人の中のそういうものを十分に活かしているものとは言えず、システムの一部であることを求められることになると思います。

でもそんな中で、歯車の一部であるならば、それなりの意味って何なんだろうということは、僕みたいな人間でも、歯車なりにもいろいろ考えます。そういう話をさせてください。

人間の脳は描写困難

命というものが地球で生まれてから、ホモサピエンスつまり人類が進化して生まれてきました。
人類は他の動物とどう違うのかというと、「脳が大きい」ということと「ムラ」です。

群れで生きながら、言語を使ったりコミュニケーションをしながら、普通の動物とは異なる複雑なメカニズムのムラを作り上げたというのが人間の特徴なのではないかと思います。
これはすごく多面的で多機能的なものです。とても複雑なものを持っています。

人間は本能や感情というものを超えて、理性というものを使ってムラや集団としての動きを獲得しますが、現実をそのまま見るように進化したのではありません。
物理的な現実を見るのですが、頭の中では社会的な現実に変換した上で理解しています。

そのままのものを取り入れているのではなく、一度脳内で変換して、その変換したものの中で生きているという感じです。
物理的な現実が実写の世界で、社会的な現実がマンガにしたような世界です。
一回写実的に捉えたものをアニメーションに変えて脳内で体験しているというようなイメージ。

もうちょっと言うと、物理的な現実とは何かというと、岩の塊、土の塊、木、森などです。
社会的な現実はここに「機能」を持たせます。

木ではなく、木材ではなく、「椅子」「机」
紙ではなく、「お金」
山ではなく、「富士山」
森ではなく、「ナントカの森」、「誰かの所有地」
このように意味を付けて見ています。

記憶、文化、学習、言語、そういうもので意味付けられたとても複雑な世界、もしくは物理的な現実をかなり簡略させた世界の中で僕らは生きているということです。

社会的な現実というのはどういうものなのかというと、集団で作り上げている何かであることもありますし、個々に持っている世界ではあるけれど、ベースは集団的なものがあったり、仕組みとか、ルールというものがあったり、常識というもので規制されていたり、科学技術を生み出したり、科学技術によって変化させられるものだったりします。
科学技術で物理的な現実にも介入するのですが、そういうものです。
ここら辺は話すとややこしいです。

社会的な現実は、人によって見ている世界が違うので人によって違います。
ですがどこか共通する部分もあって、そこが人間が持っている面白さなんですよね。

僕ら人間の活動を認識するというのはとても困難です。
脳の中を把握するのは困難ですし、脳と脳が互いに連動して動く人間の社会、群れの行動を認識するということはとても困難です。
精神科医でもどんなに勉強しても本当の意味ではわからないんですよね。

脳は膨大なパラメーターとデータから成り立ちます。
脳と脳の連動させたものというものも、膨大なパラメーターとデータから成り立つのです。
ですから人間の脳で認識できないですし、描写さえ困難です。

僕らは比喩や例えとかを使いながら何かを説明するのですが、本当の意味で今起きている現象、患者さんの頭の中で起きている現象、患者さんの日常で起きている困りごと、生活を描写したり、語ったり、認識することというのは本当の意味ではできません。
できないなりに頑張っているというのが精神医学なのかなと思います。

集団からはじかれてしまった人たち

結局、「利己的な遺伝子」みたいな考え方で、人間というのは全員がハッピーに生きるというよりは、何割かが幸せ、幸せでなくても良いのだけど、生き伸びれば生命としてはOKなわけで、どうしてもはじかれてしまうものというのが出てきてしまう。

はじかれてきてしまった人たち、集団の中からはじかれてしまった、ホモサピエンスの全体の中からはじかれてしまった人たちを、少しでも救う、元の世界に戻してあげるというものが医学であり治療だと僕は思っています。

例えば「進撃の巨人」みたいな世界を思ってもらえば良いのですが、多くの人は「健康」というゾーンの中で生きています。そして真ん中を目指します。
真ん中というのは充実してる人たちのゾーンです。
「健康」のゾーンの中でワイワイワイワイみんな生きているという感じです。

ここから外れると「不幸」という世界に行きます。
不運、虐待があった、他の人よりも能力が劣っていた、事故に遭ってしまったとか。
この不幸の期間が長く、ストレスが溜まってくると、「病気」になるということです。

精神疾患というのは遺伝子+ストレスによって起きるので、急激にパっと病気に行くというよりは、不幸や不運と呼ばれるゾーンを一回経てから病気になることになります。

普段は「健康ゾーン」で生きているのですが飛び出てしまう。
そして外側の世界で生き始める。
外側の世界で生きていて、ついに「病気の世界」に来てしまうというのが精神医学の世界という感じです。

どうやって森に戻すのか

精神科医が診ているところは実はこの「病気」から「不幸」に戻す作業なのです。
診断して薬を出すというのは、「病気」から「不幸」に戻すような作業なのです。

症状が取れました、アルコール依存症の人がアルコールを飲まなくなりました、摂食障害の人が食べ吐きが減りましたとか。
でもやはり病気になる前に戻るだけなんですね。

そうすると実はこういうトラウマがあったとか、自分の社会的な不幸の話、会社が倒産した、仕事がない、そういう現実に戻っていくだけになってしまう。
「不幸」からやはり「健康」に戻らないといけないのですが、なかなか難しいのです。
「不幸」から「健康」に戻すものというのが心理的な治療です。
カウンセリングだったり、福祉の世界なのかなと思います。

僕らは診断して病気の症状を取ってあげるとか、酷いうつを良くしてあげるというのはできます。
それは精神医学は結構得意なのですが、「不幸」から「健康」にしてあげるというのはなかなか難しいし、得意ではありません。

「不幸」から「健康」に行くためには、もう少し政治的な要素が必要だったりするのかなと思っています。
多くの人は「不幸」が見えてなくて、「健康」から「病気」に行くものだとしか思っていないのですが、実はそうじゃなくて、一回「不幸」を挟むということです。

僕らがやっていることというのは、診断をして薬を出すことで、病気の人の症状を取ってあげるというのが一つの役割なのですが、もう一個頑張ろうと思うと、不幸とか不運にいる人たちをどうやったら健康に戻せるか。健康な人たちも真ん中を目指して戦ったり悩んだりしているのですが、健康の森の中に戻してあげるのかを考えたりするということかなと思います。

繋がるメリットとデメリット

「不幸」に来てしまった人を、科学技術の力で救えないかということを考えたりします。
もちろん、科学技術の力によって、新しくできてしまった不幸というのもあるとは思います。

ですが科学技術を取り込みながら、人間の社会が変わっていくことは避けられないので、できれば良い方に使った方がいいんじゃないかなと思ってます。

僕はSNSのメリットやデメリット、ということを今考えています。
このYouTubeもSNSだと思っているんですよ。
動画なんだけれどコメントをいただいたり、僕は動画で発信したり、コメント同士でやりとりしたりしていますよね。
これはSNSの一つだと思っています。

メリットとデメリットがもちろんあります。
メリットというのは、SNS、インターネットがなければ繋がらなかった人と繋がることができるということです。

精神疾患というのはとてもレアなものなので、「健康」の中にいたらなかなか「病気」や「不幸」のものは見られません。
「病気」や「不幸」の人たちは皆バラバラに暮らしていたりするので、つながることがなかなか難しかったのですが、SNSの力でつながることができた。
悩んでいるのは自分だけじゃない、ということがわかったというのがメリットなのかなと思います。

デメリットは何かというと、「病気」や「不幸」にいる人たちがつながることで出来上がった、今までバラバラだった人たちがつながることで起きるトラブルです。

臨床的な立場から、デメリットをどうやって減らしていくのか、デメリットにどうやって気づくのか、トラブルをどうやって類型化して減らしていくのか、そしてメリットをどうやって最大化していくのか、ということを考えているということです。
それが僕の考えている世界観ということになります。

人間というものが脳とムラを作るもので、そこから不幸というものがはじかれたり、病気が出てくるときに、どうやって「健康」にもう一回戻してあげるのか、科学技術を使ってどうやって戻してあげるのか、ということを考えるのが精神科医ということなのかなと日々考えているという感じです。

ということで、今日は雑談をさせてもらいました。


2022.6.28

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