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人権意識と精神科の問題、分離教育、教育入院、カウンセリングが根付かない理由など

00:00 OP
00:54 障害者権利条約
06:09 人権意識
12:41 今の日本

本日は、「日本の精神科臨床における人権意識の低さ、および分離教育や長期入院の問題、そしてカウンセリング臨床がなぜ日本で根付かないか」などを、益田裕介の独断と偏見を交えながらざっくばらんに語ります。

障害者権利条約

2022年9月9日、「障害者権利条約」を日本が国連と結んでから8年後の今年、国連より初審査を受けたというニュースが出ていました。
国連に障害者に関する日本の状況を審査してもらったんです。

そうすると、国連側から2つの点を勧告されました。

・分離教育
一つ目は分離教育に関することです。
知的障害や発達障害の子どもたちを一般の子たちと分けて教育している、それは問題なんじゃないか、それは人権の侵害なんじゃないか、という指摘がありました。

特別支援学級や、通常学級に通いながら「通級」に通うという形もやっているのですが、特にこの「特別支援学級」です。
分けているのが多すぎると、それが良くない、と国連側が思ったようです。

僕も福祉に関することは専門外ですし、ニュースを読んだり今回のことを調べた中で話をするので、もしかしたら理解が違うかもしれません。
その場合はすぐに動画は削除したり訂正しようと思っていますが、一つはこういう指摘があったようです。

・長期入院
もう一つは精神科の入院が長期化しているということです。
日本は先進国の中でも、世界中を見ても長期入院が多いのです。精神科の患者さんの。
病床数も多いです。

措置入院、いわゆる強制入院の日数も長すぎると国連から指摘を受けました。
入院が長くて地域移行が進んでいないことも指摘を受けたようです。

長期入院も分離教育もそうですが、日本側は日本側で頑張ってやっているし、特別支援学級が増えてきてはいますが、通級を増やすことで、インクルージョン教育、うまく通常学級でやれる子どもを増やすことも一応やっています。

長期入院に関しても日本側も問題視していて、できるだけ病床を減らそうとしているが減らせない、という実情があります。
これは僕も精神科病院にいたからわかるのですが、長期入院している統合失調症の方が高齢化して、なかなか一人では暮らせない、そういう社会システム的な問題もあります。

教育の問題もそうです。
日本ならではの社会システム上の問題があるのですが、ネットの声を見ていると、社会システムも踏まえて、「いやいや、そうは言っても一緒にいる方がかわいそうなんじゃないか」「混ざると余計にトラブルが増えて双方辛いんじゃないか」そういう声もありました。

逆に、「自分は欧米に住んでいたことがありますが、障害のある子が怒られたりして、障害があるにも関わらずみんなと同じにしなきゃいけないから、一緒に混ぜられたことによって差別されたり、偏見があったり怒られたりして、余計にかわいそうだった」そういうコメントもありました。

なるほどな、という感じがしました。
どちらが良いのかというと、一つの価値観の問題でもあるので何とも言えないのですが、分けるとやはり多様性を認めていかない、多様性とは逆の動きになってしまいます。

多様性があるとわかった上で分けていると言うかもしれませんが、やはり人間というのはそんなに賢くない、愚かな生き物ですから、目に見えないとわからなくなり、目に見えないと差別してしまいます。
目に見えないと忘れてしまうんです。

分けてしまって生活すると、どんどん多様性を認めなくなってしまう。
ある意味、臭いものには蓋をしてしまう、ということになりかねないわけです。

そう思うからこそ国連側では、分離は良くないよという形で、もっとみんなと一緒に暮らせるような社会を作るようにしてください、社会システムをそういう風にしてください、という指摘があったということです。

ただ、一緒の方がかわいそうじゃないか、そっちの方が思いやりがないんじゃないか、という日本人らしい意見もあり、僕も日本人ですからわからなくはないです。

人権意識

そもそも人権に対する考え方が違うんだと思います。
日本人というのは、僕もそうだからわかるのですが、人権意識が乏しいです。

僕は元々自衛隊出身ですし、どちらかというとかなりガチガチの右翼側の人間なんです、元々は。
元々というか、価値観としても右翼っぽい方ですが、そうは言っても日本人は本当に人権意識が低いなとどうしても思ってしまいます。

人権というのは何かというと、みんなが平等に幸せに生きる権利、人間らしく扱われる権利、幸せに生きる権利と答えることが多いと思います。
だけど正確に言うと、ちょっと違うなと思います。
結論はそうなんだけれども、そもそも経緯が違います。

そもそも人権をどうやって獲得したかというと、国家対人民だったのです。
フランス革命とかそうじゃないですか。
国家が国民を苦しめていたわけです、税金を取ったりして。

それに対して、もう王様の言うことを聞いていられんぞ、国家の言うことを聞いてられんぞと言って、人民が立ち上がって戦いました。
もうめちゃくちゃ人が死んだのです。
その上で人権というのがどんどん皆で共有されて、理解されました。

つまり、国家と人民が戦ったときに、「自分たちは義務を果たしているでしょう」と。
納税もしているし、戦争で戦っているんだよ、と。
だからその分、俺たちに権利をくれ、国家の運営を一緒にやらせてくれ、言われるがままは嫌だと言ったということなんです。

「権利」と「義務・責任」というのは同じです。
両天秤にあるということです。
権利をくれ、その代わりに義務や責任を果たすから、これが人権意識なのです、そもそもの話が。

だから選挙権を持っていたのは最初は男の人だけでした。
税金をいくら以上払っている男性のみだったんです。
お金持ちしかそもそも人民として認められなかった、国家運営に関与できなかったのが、だんだん広がっていきました。

いやいや、税金は貴族ほど払ってないかもしれない、お金持ちの人ほど払っていないかもしれないけれど、前線で戦ったのは俺たちじゃないか、俺たちにも権利を認めろと。

でも前線に行くだけが戦争じゃないですよね。
前線に行くのがだけが戦争じゃなくて、裏で支えている女性たちだって戦争を戦っているじゃないか、一緒に支えているじゃないか、お金を稼いで税金を納められるのは、女性が当時は子育てや家庭を守っているからでしょ、ということで参政権が広がっていった。

それと並行して、人間というのは何かという思想も変わってきて、人種差別は良くないよ、という風に広がっていきました。
その中で、LGBTQはどうなのか、今だとニューロダイバーシティ、発達障害や脳の質の差、特性の差はあるけれど同じでしょう、僕らのことを理解してほしい、僕らの権利というか価値を認めてほしい、そういう風に広がっているというわけです。
精神疾患や障害者も同じ人間だし、仲間だから認めて欲しい、ということになったのです。

もう一個ベースにあるのは、ノブレス・オブリージュ(?)です。
才能がある人、能力がある人、スーパーパワーを持っている人はそれだけの責任を伴うということです。
これは欧米的な価値観ですね。

皆が皆、同じように戦争に参加する、同じように税金を納めればいい、というわけではなくて、生まれながらにパワーの差があり、パワーがある人はより大きな責任を伴うし、自分なりの責任、自分なりの義務や責任を果たせばいい、という考え方があります。

映画を見ると、スーパーマンがグワッと来て大きな敵と戦っているときに市民も戦うじゃないですか。
傷ついた戦士が子どもに対して「僕は僕の戦いをするから、君たちも君たちの戦いをしてほしい」みたいな言い方をするじゃないですか。

あれは偽善的でも、格好いいセリフを言いたいわけでもなく、単純にそういうベースの価値観があるのです。

ただ、日本はそういう歴史の勉強やそういう意識が薄い。
日本の歴史ではなくてフランスや欧米の歴史だからそりゃそうだろうって、その通りなんだけど、日本はやはりなんだかんだ言って、自分たちで国家と戦って、選挙権を勝ち取ったというわけでもないので、やはり意識が薄いみたいな言い方はよくされます。

そういうことを言うと「益田はそう言うかもしれないが、日本には日本的なやり方があるでしょう?」「日本には日本的な国家との関わり方があるんだよ」と言うと思います。

我々は戦うとかそんな野蛮なものではなくて、思いやりの精神で互いに支え合っているんだ、と。
思いやりの精神や仲間意識で国家を支えているんだよ、みたいな言い方をするかもしれません。

そうかもしれないし、別に権利と義務と責任によってのみ国家が運営できると僕はもう思っていません。
文化や社会システムに応じた人権意識のあり方があってもいいと思うし、国家と人民との関わり合いがあってもいいと僕は思います。
本当にそう思います。

今の日本

僕はそう思うんですが、じゃあ実際、今の日本ってどうなのか?と言ったとき、やはり労働問題があります。
労働者が過労死しているのです。
過労死は日本にしかない言葉です。日本語発ですから。
そこまで労働者が搾取されている。

国家対人民だと言いましたが、組織対労働者ということです。
組織という大きなパワーを持った者が働く人を苦しめているわけです。

だから結果的に格差ができている。
格差ができて、自分の時間が少ないし、お金も少ない、将来の不安がある、だから少子化している、デートできない、そういうことが起きているわけです。

男女差別の問題も根強いです。
お父さんが働いていて圧政を強いられていたら、同じ暴力性を弱い相手にしてしまいます。
女性にしがちになります。
男女もやはり平等意識が持ちにくくなったりします。

報道の問題もそうです。
前提に国家は悪いことをするものだ、という思いがなければ、報道の方も国家と戦ってやろうみたいな気は起きないのかもしれません。

一言で言えるものではなく、色々な要素が複雑に絡んでおり、色々な複雑な歴史背景とかも含めてあるのだと思いますが、でも一応、欧米的なものとは全然違うことになっています。

日本人的な思いやりのやり方があるだろう、日本人的なやり方はあるだろう、と言うと思いますが、時間がかかります。日本人的なやり方を本当にしようと思ったら。
自分たちでまたゼロから作っていかなければいけないので、それはそれでいいのかもしれませんが、スピードが足りなくなると思います。

カウンセリングもそうなんです。
認知行動療法も精神分析もそうでが、欧米のものを学んできて、欧米のものを翻訳してただ使ってるというところはすごく多いです、精神科医にしても心理士にしても。

日本人発の、日本人発祥の精神療法というのは森田療法というのはあるかもしれないけれど、基本的にメジャーではありません。
いやいや、もはや認知行動療法も精神分析も、本家の教えを忘れて土着化してるじゃないか、仏教みたいな形になってるんじゃないか、仏教や禅もそうじゃないか、と言われそうです。

そうかもしれない。
そうだとしても未熟です。
なぜ未熟と言えるかというと、ビジネスとして成立していないですから、普及していませんから、ある意味未熟だと僕は思っています。

カウンセリング技法というのは、基本的には欧米の価値観をベースに積み上げられてきたものですし、何より対話なんです。対等な話なんです、カウンセリング技法では。
対等の話がベースになっているので対等なんです。

病気がある人と医師も対等であり、治療者とクライアントも対等なんです。
それはお金という形で対等なのもあるが、そもそも権利と義務と責任の話と一緒で、君たちも権利や義務を果たしなさいよと、患者さんたちにも権利や義務や責任があって、それらは君たちがやるべきなんだというベース、自立しなければいけない、という思いがあるのです。
そこが共有されている。

でも日本はまだ僕もそうですが、難しいです、その概念を掴むのが。
そういうことなんだろうなといつも思ってます。

治療していく中で、僕は患者さんのことをリスペクトして、尊重して何かを伝えているつもりが、「益田は冷たい」「上から見ている」「見下している」「優しくない」と言われたりします。
僕は対等だと思って言っている言葉が冷たく感じられるようです。

それはやはり日本は「甘え」の文化というものがあり、「甘えている」とはまた違うのですが、土居健郎先生の『甘えの構造』もありますが、日本人には「甘え」があるんです。

上の人から優しくしてもらおう、母親とくっつくような感じ、母親のみならず、上司と部下が互いに信頼し合ってくっつくような感じ、思いやりとも言えるが、ある意味甘えというか、癒着というか、忖度のような感じというのがあります。
それが治療構造の中にも持ち込まれるし、無意識的に暗黙の了解のうちに持ち込まれたりします。

それがあると欧米的なカウンセリング技法を応用させにくいのです。
そういう文化のところから訂正してカウンセリング技法を応用させないといけないので、結果面倒くさくなってしまうのです。
Windowsの上にMacのOSをエミュレートして走らせた上で、アプリをダウンロードするみたいな感じになるので、結構面倒臭くて、OSから近付けていった方が僕としては楽だなと思います。

そもそもこういう欧米的な価値観の中で育った、生まれてきたカウンセリング技法というものが僕は好きなので、「益田の好きなものを患者さんに押し付けてるのか」という感じもしますが、そうではなくて、やはり世界に近づけていった方が良いんじゃないかなと思います。

何かゴチャっとしちゃいましたが、ちょっとまとめます。

国連から、日本のこういうやり方はどうなんだ、という指摘がありました。
分離させてるんじゃないかとか、混ぜてないよと。
ではなぜ混ぜていないのかというと、やはり人権意識の差があるんだろうなということです。

人権意識を欧米型に近付けていった方が、今の日本で起きている諸問題の解決に近づくと思いますし、加えて精神科の領域でも、カウンセリング技法も、この人権意識が欧米の方に近づけば近づくほど応用させやすい、海外で培われた知見を日本でも応用させやすくなるので、結果的にみんなとって良いことが起きるんじゃないかな、と思っています。


2022.9.20

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