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雑談:精神科医目線で語る日本のおかしなところ

00:00 OP
02:52 人権意識
06:44 思いやりと「甘え」
10:09 忖度
12:21 過労死、切腹、恥と世間
15:04 萌え→推し

本日は「日本のおかしなところ」というテーマでお話しします。

この動画は前回の動画のちょっとした続きになります。
前回の動画は見てもらわなくても内容は繋がるのですが、もし興味がある方は前回の動画、国連から日本の分離教育、特別支援教育のあり方や、長期入院、措置入院のあり方を指摘された、というニュースに基づく話を見てもらったらと思います。

今回はその動画の半分続きみたいな感じです。
日本のおかしなところ、というテーマで色々思うところを喋ります。

この動画の内容を踏まえて、皆さんからコメントをもらいたいと思います。
コメントを見ていろいろ議論をし、これってどうなのかなということを深めていきたいと思います。

どうしてこの動画が大事だと思ったかというと、カウンセリング、いわゆる精神療法をしていて、日本のおかしなところというのが結構ハードルになるのです。障害になります。
だから困るのです。

僕は臨床していて、好きだからというのもありますが、毎日勉強をしています。
海外の症例や海外の技法、偉い先生のインタビューなどできるだけ読もうとしているし、できるだけ英語で情報を得ようとしてます。
今はDeepL(翻訳ツール)もありますから結構簡単に取れるので、できるだけそういう風にしようと思っています。

ですが、そのままやろうとすると、患者さんとバッティングします。
それはどうしてかというと、患者さんたちが思っている常識と僕が考えている常識、こうあった方が良いだろうという理想が結構ずれているからです。

欧米的な先生たちの美しさ、素晴らしさを目の当たりにし、そこでの患者さんとのやりとりを僕が吸収して日本にそのまま持ってこようとすると、絶対ぶつかります。
ぶつかる原因が何なのか日々考えたりもしているのですが、そのことをお話しします。

人権意識

まず人権意識です。人権意識は違うなと思います。
前回から引き続き、人権意識が違うということです。

人権とは何かというと、皆さんは「誰もが平等で幸せに生きる権利がある」「平等に教育を受ける権利があって病気を治療してもらう権利がある」ということを言うと思います。
そうといえばそうだし、結論はそれでいいんです。
ですが、そもそも人権はどうして生まれたのかということはあまりご存じない方が多いと思います。

人権とは何かと言ったら、簡単に言えばフランス革命を中心とした「国家 対 人民」の争いです。
だんだん人間が技術を高めていって、市民階級が豊かになっていった。
そういう中で戦争には行くし税金を納めているのに「何で国家の言う通りにしなければいけないんだ」と思うわけです。
国家の言う通りにして、王様の言う通りにしていたら損じゃないか、みたいな話になるわけです。
それで争って、人民が勝利を勝ち取りました。

我々は義務と責任を果たす。
戦いにも行くし税金も納める。
だから国家運営に対して意見を言わせろ、ということです。権利ですね。
人権とは何かというと、この「権利」と「義務」なのです。

だから最初は男の人だけでした。
戦争に行く、税金を納めている、働いているのが男の人だけだったんです。
最初はお金持ちの一部だけだったのが、「いやいや、前線で戦ってたのは俺たちだけやんけ」という形で男性にも広がっていき、そして「戦ったり税金を納めるとか、それらはみんなの下支えがあるからじゃないか」という形で女性にも広がっていく。

それに伴い人種差別の問題も問われるようになっていくし、障害者のあり方、LGBTQのあり方も問われるようになって、だんだん人間の平等など皆さんが知っている人権意識に発展していきます。
けれども前提はそもそも国家対人民、つまり権利と義務なのです。

この権利の部分だけは知っているけれど、義務と責任がセットなんだという感覚は持ちにくい。
妙に隠蔽されているというか、知らされてない、教わってないことが多いかと思います。

それは陰謀論的に言うと、僕はそれを信じているわけではないですが、やはり愛国心を育てる教育がアンタッチャブルな感じになっている。
それは敗戦国だからなんじゃないの? アメリカの属国だからじゃないの? と言われたりしますが、色々な要素が絡むと思います。
日本の文化やカルチャーに合わないというのもあると思います。
でもやはり義務と責任というのが本当はセットで、そこはなかなか思わないみたいです。

何か良いことがあると、反面、義務や責任が生じるんだ、と反射神経的に思うのが欧米のカルチャーなのかなと僕は個人的に思っていますが、そういう感覚がないのです。

してもらったら何か返さなければいけない。
すぐ返さなければいけない。
それは自己肯定感が低いというのではなく、単純にこの義務と責任というのがなかなかイメージしにくいのかなといつも思ってます。

思いやりと「甘え」

日本人的なあり方というのは、やはり「思いやり」と「甘え」の精神なのです。

国家運営のあり方も長らく封建制が続きましたし、思いやりと甘えの関係によって成立している感じがします。

アジアのカルチャーというのがそもそもそうだと言われたらそうなんですが、君主関係というか、互いの愛情関係によって成立するのだというような思いがあるようです。
国家対人民みたいな血なまぐさいものではなく、上の人が部下を思い、部下は上司を思い、君主は人民を思い、人民は君主のことを尊敬して成り立つというようなカルチャーがある。
それは母子関係の拡大なんじゃないか、という風に考えられたりしているようです。

これを『甘えの構造』と言ったりするのですが、「甘え」という言葉自体が日本語的な言葉で、英語に訳しにくいです。

「甘え」というのはお母さんに甘えるという感じもあるし、抱きしめてもらうとか、母乳を飲むというか、その甘さというか舌に残る甘い感じ、子どもが好むような感じ、そういうことなのです。ビターじゃないというか。

それが大人になっても使われている、公然の言葉としてこんなに普及しているのが日本らしさであり、日本の特殊さ、異常さ、奇異さなんじゃないか、ということを土井健郎先生が仰ったということです。

言語は社会的な無意識を反映させるという考えがあります。
つまり、言語や風習、こういうものを「構造」と言いますが、人間は構造によって支配されているというのが構造主義という哲学の考えで、今でもなお有効な哲学的な概念です。

まあ、それはそうですよね。
僕らは知らないうちに常識に縛られており、知らないうちに言語や風習に縛られています。

なぜ僕らは理由もなくご飯が好きなんですか?
理由もなく、納豆が好きなんですか?
それは昔から食べているからだ、と言ったらそれまでで、そういう支配構造にあるわけです。

我々は普段使っている言語によって無意識的に支配されているし、この「甘え」という言葉があると、「甘ったれるな」や「甘えてもいいんだよ」など、こういう言葉によって支配されているということです。

これと対をなす言葉というと、いわゆる生物学的な無意識というか、脳が持っている特性が故のバイアスだったり、本能とか言ったりします。
脳が持っている世界中で見られるようなバイアス、例えば白黒思考、疲れていると被害的になってしまうというバイアス、物事を単純化しやすい単純化本能、敵味方を分けやすい等々、色々な脳のバイアスがあります。
そういうものもあれば、言語によって縛られているバイアスもあるということです。

忖度

日本語特有のバイアスとは何かと思うと、これも結構珍しいなと思うのは「忖度」です。

上司が「これをしろ」と言っているわけではないのに、部下が上司の気持ちを推し量って悪いことをする、気を利かせて何かをするということがあります。

忖度が働いていると、調べても調べても、その上司が「悪いことをしろ」と指示を出したという証拠が見つからないので、上司に利益があるような悪い事件があっても、上司は首は切られずに部下が首を切られることがあります。
某○○事件とか色々あるじゃないですか。
あれは忖度しているんだというのですけど、そういうのはあります。

部下が上司のことを考え先回りして何かをやるという忖度の文化は、日本では強いです。
海外にも似たようなものはあるのですが、日本はより強いと言われています。

僕は時々「これはバカ殿文化だな」と思って「バカ殿文化」と勝手に呼んでいます。
日本は江戸時代も長かったし、バカ殿をまつり上げてちゃんと国を動かそうというバカ殿文化があるわけです。

戦後は官僚が廻して、政治家は「うん」でも良いみたいなのがあったじゃないですか。
そういうのは結構あって、今でも社長はバカでも部下たちが頑張ればいいんだという「バカ殿文化」が日本にはすごくあるなと思います。

その結果、今は「孫カルチャー」と書いていますが、上の人を思いやって、上の人に可愛がられたらいいんだ、という。
老人が増えてしまい、老人に気を遣う人が出世しやすいし、老人の先回りをしてあげると、孫がお小遣いをもらうみたいに得をするので、「孫カルチャー」と僕は言ったりしています。

過労死、切腹、恥と世間

あとは日本語っぽい感じだと、過労死、切腹、恥と世間、と言ったりします。

過労死というのも上司に対する恨みです。
死ぬまで働く必要はないわけです。
嫌だったら逃げたらいいのに逃げないのです。
こんなことだったら死ぬまで働いてお前に後悔させてやる、というすごくマゾヒスティックな復讐心とも言えます。

もちろんこういうことを言うと「いやいや、怖くて逃げれないんだ」「益田はビビらされたことないんだろう」と言われそうですが、そういう見え方もあるよ、ということです。

僕はちゃんと臨床してますし、そういうパワハラの話も聞いているし、逃れられなくされているのも見てますからわかりますが、半分そういうマゾヒスティックな部分もあるなと思います。

切腹もそうです。
切腹も自分が死んでみせることで色々なものを守るというのがありますが、基本的には死ぬという攻撃性、自分を傷つけるという攻撃性をもって怨みを晴らそうという要素もあります。
死んでみせる、はらわたを見せてやる、そうすることによってこの怨念、というか悔しさを表すみたいなものをが日本的なカルチャーだなと思います。

あと恥と世間と言いますが、じゃあ何で追いつめられるのか、逃げられないのかというと、恥と世間によって縛られているんです、僕らは。

世間が見張っているので、恥をかくことが苦手な人種なんです。
それはカルチャーとして恥が怖い、カルチャーとして恥は良くない、という武士のカルチャーもあります。
一方で、遺伝的にわかっていることがあり、日本人は社交不安型障害が多く、人からどう見られているか、そこに対する不安の感じ方が高い民族なのです。
恥を感じやすく、恥を感じたときの心的なダメージや悔しさ、怖さ、不安が世界の中でも高い民族だという風に考えられています。

また狭い島国ですから、やはり世間体というのがあり、恥と世間によって縛られていて逃げ道がないから、過労死や切腹という形で忖度的なカルチャーに対して反抗しているといえます。

萌え→推し

日本の不思議さというのは「萌え」、最近は萌えと言わないですね、最近は「推し」と言いますが、推しカルチャーです。
「推してる」「推し」と言ったりして、アイドルや子ども的なもの、アニメなどを美化していく。
そういうものを応援したり、一緒に見たり、眺めたりして、ストレス解消している人というのは多いなと思います。

僕は「推し活」はあまりしていないかもしれないですし、「萌え」もあまりしないのですが、でもわかります。
漫画も読みますし、馬娘のアニメも見てました。
途中でやめちゃいましたけど見ていたのでよくわかります。
大人や尊敬、そういうものの拒否みたいなものが、どこか日本はあるなと思います。

日中に忖度ばかりして、恥と世間に縛られて、切腹や過労死じゃないと恨みを晴らせないカルチャーだったら、趣味ぐらい大人がいないところに行きたいよと思うかもしれません。
確かにそうだなと思います。

でも、推しや萌えというのも日本ぽいやり方だし、ある種の幼稚さを肯定しているような感じがして、世界的に見ても奇異なのかなという気はします。
じゃあ、K-Popは何だと言われそうですが、ある意味奇異だなと思います。

出る杭は打たれると言いますが、出る杭は打たれるから結局推し活しかできないんだとか言うかもしれないし、いや、出過ぎた杭は打たれない、と言ったりします。
でも、出過ぎた杭というのもバカ殿文化みたいな感じがして、出る杭は打たれるからバカになったらいいんだみたいな感じがします。
バカだったらみんな足を引っ張らない、あいつはバカだから大丈夫だろうと許されて自由に振る舞えるという言い方にも聞こえます。
特殊というか、尊敬はやっぱり拒否されるのかなと色々考えたりします。

今回は、日本のおかしなところというテーマで、益田が思うちょっとおかしなところを挙げてみました。
また皆さんと色々コメント欄を通じてディスカッションできればなと思います。


2022.9.22

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