本日は、「他者との境界線」というテーマでお話しします。
よく「自他の境界が曖昧だ」「自分と他人の境界線がわかっていない」そういう話を僕は臨床や動画の中でも喋っていると思うのですが、そもそも境界線って何ぞや?と思いますよね。
聞いていてもわかるようなわからないような感じがあると思うので、境界線について僕が思うことを少し喋ってみようかなと思います。
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境界線とは?
境界線というと、やはりプライバシーの範囲や自分の領域、そういうことをイメージすると思うんです。
基本的にその考え方でOKかなと思います。
個人には守られるべきプライバシーがある、個人には守られるべき場所、心のゆとり、スペースがあるんです。
そういう境界というか領域がしっかりあって、そこに対して他者は敬意を払って尊重しなきゃいけない。
相手が大事にしてるもの、相手の心というものを大事にしなければいけない。
尊重しなければいけない、敬意を払わなければいけないんです。
逆に相手もこちら側の心の領域に対する敬意を払わなければいけないんです。
それは、心に壁を作って入れさせるなではなくて、すごく大事な部分として残しておかなきゃいけない。
個人のプライバシー、プライベートな空間として、きちんと確保しておくことはとても重要なんです。
それは能力が高い/能力が低い、お金がある/お金がない、ではなくて、全ての人に認められる権利というか、認められるべき場所なんです。
それが境界線です。
けれども患者さんというのは、その境界がグチャグチャになりがちなんです。
境界を崩して相手を侵入させてしまう、境界線を崩して自分から相手に対して奉仕しすぎてしまう、色々なことがあったりします。
西洋的な価値観がベース
この境界線の考え方は、ベースはヨーロッパのカルチャーから来ていると僕は思います。
実際、僕らが学んでいる医学や心理学というのは、大陸のもの、西洋のものから受けています。
西洋から学んできたものを何となく日本の文化に溶け込ませたことを僕らは学んでいるのですが、やはりベースは西洋的な考え方や価値観に基づいています。
西洋的な価値観とは何かというと、契約ということが結構重要なんです。
ユダヤからキリスト教、イスラム教と一神教と呼ばれる宗教を信じていたんです、今もいるんですけど。
これらは神様と我々個人の契約関係に基づくような信仰なんです。
神様とのルールを守るよ、そういう価値観なんです。
でも日本はそういう契約やルールに対する尊重というか厳しい掟みたいな感じはあまりないんじゃないかなと思います。
だけどヨーロッパはそういう価値観であるし、そこから心理学、医学、カウンセリングの技法は来ているので、やはり僕ら治療者はそこに染まっていますから、患者さん側にもこのカルチャーは理解してもらいたいなと思います。
日本のカルチャーもどんどんこういう概念は入ってきていますから、良いものは取り入れた方がいいんじゃないかな、思います。
あと、大陸カルチャーなんです。
そういうヨーロッパのカルチャーがベースにあるよということを考えてほしいです。
日本は島国なので境界はないんです。
国境線はないんだけど、ヨーロッパの地図を見てもらうとわかる通り、小さい国がひしめき合って、領土を押し合っています。
この感じというのはやっぱりあって、「ここからここは僕らの場所だよ」「ここからここまでは一緒に協力するよ」みたいな線引きというのは、僕らの心を考えていく上で、心理学というもの、精神医学というものを考えていく上では、そういうカルチャーがベースにあったりするので、それを抜きに考えるとわけがわからなくなってしまいます。
基礎がグラつくと上に乗っかるものもグラついてしまいますから、やはりここの部分はとても重要かなと思います。
治療は「契約関係」
カウンセリングや治療とは何かというと、相手の時間とエネルギーを奪う行為なんです。
治療者の僕の時間とエネルギーを奪っているんです。
僕は差し上げているんです。
そういう「契約関係」なんです。
その代わり患者さんはお金と、治療していくやる気、意欲を見せるということなんです。
この契約関係なんです、ベースは。
だから「お金を払ってるからいいじゃないか」じゃないのです。
治るために来てますよ、治してください、でも自分も頑張ります、だから治してください、協力してください、という契約なんです。
ここの感じが多分わかりにくいんだと思います。
国民皆保険だし、安い値段でちょっとお金を払えば医療を受けられるので、何だかよく分からない感じになるんだと思いますけど、これがベースにあるんです。
申し訳ないという罪悪感と感謝の気持ちというのが治療者に向かって生まれるんです。
これが治療を促進させるものだったりするんです。
ああ、こんなに甘えて良いのかな、でも益田先生よくしてくれたな、というこの気持ちが両輪になって治していくんです。
これは契約関係があるからですね。
別にそんなのお金を払っているからいいじゃないか、治すのが益田の仕事だろう、というと根底から揺らぐんです。
正直に話す。後は相手の問題だ
あともう一個大事なのは、正直に話す、あとは相手の問題だ、という部分です。
僕はここまでやったよ、あとはあなたたちの問題だよね、という一見突き放したように見えるかもしれないけど、こういう線引きというのがやっぱり境界線らしさかなと思います。
僕も思います。
医者としてここまではやりました、あとは患者さんに、やってみたらどうですか、ここからはあなたのプライバシーというかあなたの空間だから、これ以上は僕は立ち入りませんよ、みたいなのはよくあります。
逆にこれを壊してしまう、境界線を守れない人たちがいるんです。
お金を取りすぎる、支配してやろう、治療者と患者さんで恋愛をしてしまうなどは、ここの契約関係を無視して相手の領域に入ったり入られたり、グチャグチャしてしまう感じなので、こういうのはやはり治療が上手く行かないんじゃないかな、という風に思います。
それはなぜかというと、ベースに「契約」という概念があるからなんです。
こう聞くと、え?そんなのわけわかんないよ、契約とか結んでないよ、そんなルール聞いてないよ、と患者さんは絶対言うんです。
でもこういうヨーロッパのカルチャーというか大陸のカルチャーはあります。
後から入ってきた人はルールを守ってね、みたいなところがあるんです。
勝手に生まれて勝手に社会に参加させられているにもかかわらず、あなたは生まれたからこのルールを守ってね。あなたは大人になって社会に入ってきたら、このルールを守ってね、という感じなんです。
わからなかったら聞いてね、だからちゃんとルールを守ってね、みたいなものがあるんです。
自助会をやっていても時々います。
「教わってないのにできるわけないじゃないか」と言う人はいますけど、僕らは全てのルールを教わることはあり得ないんです。
神様は全て教えてくれないんですから。
勝手に生まれたんだから、ちゃんと覚えろよ、みたいなものがあります。
あるんじゃないかな、と僕は思っています。
察することで境界線を維持するのは日本的
日本は他者との境界線はどうやって見てるのかというと、どちらかというと細かい感情の変化を察することで境界線を維持しているというような気がします。
しかも境界線が触れてはいけない感じがあります。
武士の世界では鍔(つば)が当たってはいけないみたいな、触れてはいけないみたいなものが日本的な感じがあります。
でもヨーロッパではやはり契約やルールに基づいて境界線を引いているというのがあるなって思います。
もちろん日本だって契約やルールという概念があった上で、相手の表情を見ながら境界線をコントロールしているし、ヨーロッパだって契約やルールだけじゃなくて、相手の言葉やニュアンス、表情を見ながら境界線を逐一ネゴシエーションしているわけです。
だけど多くあるのは、目標よりも細かい感情変化に同調したり共感したりしていく、そして方向性を見失うのが日本的な感じがするし、契約やルールで頭でっかちになって感情を無視してガンガンやった結果、良くわからないところに行っちゃうというのは、ヨーロッパ的というか大陸的だと思います。
両方の良いところを取ってアウフヘーベンしていくのがいいんだろうとは思います。
今回は、他者との境界線、というテーマで雑感を述べてみました。
人間関係
2022.12.12