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「HSP」の診断と治療

00:00 OP
04:02 HSPとは何か
15:10 HSPビジネスの悪
22:31 抵抗するのは?
24:48 僕らはどうしたらいい?

本日は「HSPの診断・治療」というテーマでお話しします。

ここでビクッと眉毛が動いた方は正しいです。
「HSP」というのは医学用語ではないので、「HSPの診断」とか「HSPの治療」というのは意味をなさないというか、ひっかけなんです、これは。

これを言う医者っているんですね。
医者というか、クリニックとかカウンセラーがいるのですが、ちょっとこれは問題ありなんです。
その話をしようと思います。
それが「HSPの悪」というやつです。

ただ、HSPはすごく難しい概念だなと思います。
『HSPブームの功罪を問う』という飯村周平さんの本を参考にしながら、僕も持論を述べたいと思っているのですが、やはり広く知れ渡っていて、色々な意味や差別、偏見を生んでしまった言葉になってしまったなというのが正直なところです。

HSPというのは医学用語じゃないんです。
医学用語じゃないのに、さも医学用語のように、さも新しい病気のように、新しく見つかった病気のようにマスコミやHSPビジネスの人たちが流布してしまったんです。

その結果、「自分はHSPなんだ」と思ったり、「苦しみから解放されるんじゃないか」と思った方もいるのですが、餌食になってしまったというところがあります。

また「自分は繊細なんだよ、だから気を遣ってくれ」みたいな形で言っちゃう人たちもいたんです。
それはHSPビジネスが生んでしまった負の側面でもあるんだけれども、そうやって主張することが正しいんだと思ってしまった人たちもいるわけです。

そうすると、それにムッと思った人たちが「いやいや、そもそも益田だってHSPって医学用語じゃないって言ってるぞ。じゃあコイツただの構ってちゃんではないか? ただ甘えてるだけじゃないか?」という形で同情しかけたのが逆襲されて、より嫌われちゃうみたいな現象も起きてしまっているということなんです。

「自分は困ってるんです。感受性が強いんです」と言っても、医者からも看護師さんからも「いや、そんなことないんだから」と言って突っぱねられちゃうんです。
「HSPなんかないんだから」と突っぱねられちゃったりします。

すごく傷ついて、ではどうしたらいいのといっても助けてくれるところはないから、やはりHSPビジネスの方に行ってしまう。
まるでカルト宗教のように悪い循環も生まれている、というところもあるんじゃないかなと思います。

批判するのではなくて、どうやってそこの誤解を解いていくのか、どうやって治療していくのがいいのか、ということをこの動画では取り上げていこうと思います。

正しい知識をまず身につけてもらうということです。
なぜHSPのブームが悪かったのか、悪いビジネスを生んでしまったのか、というのも軽く触れようと思います。
その後、HSPを手放せず苦しんでいる人たちの気持ちをちょっと解説します。
最後に、じゃあ僕らはどうしたらいいのか、ということをお話しします。

講義スタイルとしてホワイトボードを書きながら説明します。

HSPとは何か

まず、「HSP」とは何かというと、「感覚処理感受性」と呼ばれる心理概念がベースになっています。

生まれつきと言っていいのかどうかわからないですが、感覚が過敏な人がいるということです。
「感覚処理感受性」というんですが、これは存在するんです。
わかりますよね? 鈍感な人がいれば鈍感じゃない人もいる。
すごく環境の刺激に影響されやすい人もいれば、されにくい人もいる。
それは僕らの実体験としてわかってます。
実体験としてもわかっているし、心理学としても確認されている概念なんです。

だいたい正規分布を取ると言われています。
難しいですね、正規分布というと。
ちょっとわかりにくいんですけれども、縦軸が人数です。
横軸の中央が平均だとすると、平均的な感受性を持っている人たちは一番多いよ、と。

身長や学校のテストみたいなものです。
真ん中の方に人が集まっていて、端っこになると少ない。
平均的な身長の人が多いけれども、背がすごく高い人、背がすごく低い人は少ない。
成績が普通の人が多くて、点数が高い人、点数が低い人というのも少ない。
これが正規分布と呼ばれるものです。

感受性も同様に、鈍い人もいれば高い人もいるということです。
これがわかっています。

これは精神医学の概念でもよくあるんですけれども、ある特徴において際立ったもの、先にいる上位1%は障害になりやすいというものがあるんです。

きれい好きの人も適切な量だったら「しっかりしてるな」「きれい好きなのね」と言われるけど、これが学校一のきれい好きだと「あいつ大丈夫か」と言われそうだし、町一番のきれい好きと言うと、ちょっと病院行ったほうがいいんじゃないと言われそうです。

何かの特徴というのは、1%くらいになってくると病気として処理されてしまう、障害として認定されやすいというのがあります。
それは人間というのが群社会で生きる動物なので、群の中で適応しにくかったりするんです。

その中間のものはグレーゾーンと呼ばれたり、境界型知能、境界型と呼ばれたりします。
こういう概念をちょっと知ってもらえたらなと思います。

感受性がすごく高い人も鈍い人もいて、先の方の人たちは苦しそうだよね、息苦しそうだよね、みたいな感じは、皆さんもわかるんじゃないかなと思います。

じゃあ精神医学ではこういう人たちをどういう病名で呼ぶのか、ということになります。
HSPと言わないのだったら何か別の病名があるんでしょうと思われそうですが、精神医学だとちょっと違う分け方になるんです。

感覚が過敏なのは何か別の原因があって、そこに基づいて分類してたりします。
つまり、うつとか不安です。
うつ病や不安なとき、不安障害とか呼ばれるものはやはり敏感になっていたりしますから、ビクビクしてますから、こういうのは感覚過敏になった状態です。

あとは代表的なものだと社交不安障害、回避性パーソナリティ障害と呼ばれるものが、いわゆる「繊細さん」と呼ばれる人たちかなと思います。
他人と一緒にいることに緊張する、失敗することを過度に恐れる、人前に立つことが苦手、こういうパターンが多いかなと思います。

あとは感覚が過敏ということで、発達障害(ASD/ADHD)もあるなと思います。

臨床上は感覚処理感受性障害とか言うのでなくて、このどれかに当てはまる、もうちょっと細かく見ていくということをしていくという感じです。

これはちょっとわかりにくいと思うんですけれども、感覚処理感受性というのは心理学的な概念なんです。
病名は精神医学的な概念なので住んでいる世界が違うんです。
これは英語と日本語の差とも似ているんです。

例えば、英語で言う「wear(着る)」というのは日本語だと「着る」と言ったり、ズボンを「履く」、帽子を「かぶる」という言葉に変わるんです。
英語だと「wear」で一言で済むのが、日本語だと細かく見るんです。

逆に日本だと「牛」と呼ばれるものが「牛」「牛肉」と呼ばれるだけのものが、アメリカだと「cow」「beef」「bull」と呼ばれたりします。

ある文化圏においては、それをより細かく見るのであれば、言葉の数が増えるんです。
でも大雑把に見ていると、一つの言葉でまとまってしまう。

精神科医は感覚処理感受性が高い可能性がある人たちを、もっと細かく見てるんです。
細かく見て、分類して診断を下しているんだけれども、HSPというのは大体人口の1/5いるよと言ったりして大雑把にくくって、自称HSPを増やしているというか、広く捉えてるんです。
広く捉えることでビジネスにつなげてるという悪さというのがあります。

わかりますかね?
外来であんまり説明する感じの話じゃないので、ちょっとうまく説明できている気がしないですけれども。

もう一回戻ると、まず心理学の概念として感覚が過敏な人たちがいるよね、じゃあどういう人たちなんだろうね、という研究はされているし、それは実験上明らかです。

精神医学の世界においてもそういう人たちの存在は知られている。
だけど、心理学的概念だけで押えるのでなくて、他の要素も組み合わせて、うつ病、不安障害、社交不安障害や回避性障害、発達障害という形で細かく分けて見ているよ、それは牛と日本語で呼ぶのと、英語でcow、bull、beefと呼ぶのと似てます。

住む世界が違うと使う言葉も違う。
概念も重なるところがあるけれども、微妙にズレたりしますよ、ということです。

で、HSPについては、ビジネスとして広く捉えるために割と大雑把に誰でも当てはまる、1/5ぐらいの人が当てはまるように、上手く概念を作り変えられてるというところがあるというのがあります。

これは生まれつきの概念なんですか?という話なんですけど、生まれつきの概念なのか、それとも環境の要素が関係してるんですか?という風になります。

HSPというと、さも生まれつきだけの問題として捉えられやすいんですけれども、実際は遺伝と環境の要素で決まります。人間の性格や感性というのは。
それは精神疾患もそうですが、HSPなどの問題についても一緒です、生まれと育ち。
僕らの世界は、常に生まれと育ちの要素、2つの要素で自分たちの心というのが決まっています。

HSPというのは、もう一回言うと、まず精神医学の概念じゃなくて、ここに入るようなうつ病、社交不安障害、ASD、ADHD、さらにHSPと入るような概念ではなくて、この感覚処理感受性から発展した全く別の概念だということです。

そしてそれは、ビジネスとして繋がるために他の要素も加わってしまっているということになります。
マスコミ受けがしやすいように、テレビで取り上げられやすいように、ちょこちょこ改造されているというのがあります。

ここまでが診断で、治療はどうするのかというと、うつや不安に関してはSSRIというのが効くし、発達障害型の人の過敏さについてはリスペリドンとかアリピプラゾールなどの抗精神病薬を使ったりします。
合併している場合は両方使うこともあるかもしれないですけど、基本的にはこんな感じです。

あとは薬だけじゃなくてカウンセリング的なこともします。
いわゆるCBTと呼ばれるような治療を加えてあげることで、生きやすさを改善していく。

過敏な自分をどう受け入れていくのか、過敏な自分はどういうコミュニケーションのスタイルをとった方がいいのか、過敏な自分はどういうふうに人付き合いをしたらいいのか、どういう風に問題を解決していけばいいのか、ストレスケアやセルフコントロールをどうすればいいのか、ということを学んでいくことが重要です。

CBTのやり方というのは、HSPはこういうやり方、ではなくて、より細かいやり方をしなきゃいけないんです。
うつだったらこういう認知行動療法、社交不安障害だったらこういう認知行動療法、ASDでも受動型と積極奇異型ではやり方が違うので、細かく見ていく治療をしていますから、そういう治療をしっかり受けてほしいなと思います。

変な薬とかTMSで治ると謳われたり、HSP専門のカウンセリングで治ると言うのはちょっと違ったりします。

うん、何か上手く説明できているかどうか分からないですけど、ちょっと進みます。

HSPビジネスの悪

なぜHSPはこんなに流行ったのかということですけれども、新しい概念で何か響きが良かったというのがまず一個あります、圧倒的に。

僕もYouTubeをやっているのでわかるんですけど、あなたはこういう病気かもしれません、あなたが生きづらいのはこういうことかもしれません、あなたはこれが当てはまったらこの病気です、みたいな動画は伸びるんです。

そこにマスコミが結びついちゃったし、新しい治療、こんな発見がありましたよ、今まで助からなかった人はこれから治るようになりますよみたいなものは、やはりキャッチーなので結びつきやすいです。

あともう一個は、この本の中にも書かれていたんですけれども、「物語性」というのが人々の心を掴んだんじゃないかということがあります。

あなたが生きづらいのはこういう理由があったんだ、だけどあなたにはこういう長所があるんだよ、ということをHSPは謳うんです。

HSPというのは生きづらいかもしれないけれども、他の偉人たち同様才能もあるんだよ、そういう文脈で自己肯定感を高めるみたいな手法を取るんです。

これの何が許せないのか、僕らが許せないのかというと、すごく都合がいいんです。
受け入れやすいかもしれないけどすごく都合が良い。
本当に障害や苦しみというのは、その裏には長所があるのか?ということです。

こういう劣性なもの、こういう不幸があるのは何か特別な原因があるからだ、こういう原因があるからだ、そしてそれは逆に裏を返せばこういう幸福なことが待ってたんだ、という話は、人間の認知というか考え方や欲望としてはすごく受け入れやすいんです。

だけどそんなことはないわけで。
本当の臨床というのはそんなことじゃなくて、やはり不幸は不幸のままだし、劣性なものというのは劣性なものなんです。

益田は嫌なこと言うなとか、ひどいこと言うなとかよく言われますけど、僕から見てみればこういう物語性とか、本当はいいところはあるんだ、という方が余程ひどいなと思います。

長所は長所、短所は短所、それらは独立してあるのであって、短所があるから長所が出るということは、気持ちとしてわかるけれども科学的じゃないです。
そして治療の場面ではあまり役に立たないです。

劣性とか不幸とか不運というのはそのままの存在として受け入れなきゃいけないときが来るので、それが障害受容であり、一番苦しい場面なんです。

臨床において一番苦しい場面を避けちゃうんです、この物語理論というのは。
だけど次の瞬間、これが嘘だということがわかるんです、臨床していれば。
患者さんの人生の中で苦しむわけです。
長所があるんだと思っていれば、こんなことになってないわけですから。ほんとに長所があるのであれば。

そんな綺麗事じゃないです。
もっと苦しいものなのに、それを何か上手く言いくるめている感じが、専門家や倫理観がある人たちからしてみれば許せないです。

だけど患者さんたちにとってみれば、劣性なものは劣性であるというのは救いがないじゃないですか、そんなの。
本当に嫌なこと言うな、という感じです。
全然私たちの気持ちを分かってくれないじゃないか、と思われそうです。
ここら辺のものはあるだろうなと思います。

結局、彼らの気持ちはよくわかるんです。
HSPというのは何をしてくれたんだろうというと、名付けられない、混沌とした状況から名付けてくれた。名付けによって世界を秩序立ててくれたんです。

今まで苦しかったのはこういうことだったんだって言って、世界がパッと開けて「ああ、こういうことなんだ」とわかることが増えるんです。
だからいい面もあるんです。
ちゃんと「感覚処理感受性」というのは本当にありますから。

そこまではそうなんだけれども、倫理的なところで収まらず、誘導するようなものがあるんです。
それが何かある意味、宗教的といえば宗教的なんです。
上手く利用されちゃっている。
正しいことも言いつつ、プラス悪いことも混ぜる、嘘も混ぜるということをやっているんです。

ビジネスって何があるのと言われそうですけれども、それをきっかけに例えばHSPの講座、HSPカウンセラーという資格ビジネス、そしてHSPの人にはTMSが効きますよと言って高額なお金を取るということもやったりします。

高額なカウンセリング代を取るとか。
民間の資格が全て悪いというわけじゃないんだけれども、いわゆる公認心理師とか臨床心理士に比べてはるかに簡単に取れてしまうんです。

公認心理師とか臨床心理士というのは取るのが難しいんです、やっぱり。
大学を出て、これこれしてでないと取れないので、大人になってから自分のキャリアを見直して、じゃあ人を救う仕事がしたいとなったときにできないんです。
30歳とか40歳のときに自分の人生を振り返って、他の仕事をしたいなとなったときになれないんです、なかなか。
そういうこともあって、こういうことが生まれちゃってるなと思います。

自分が当事者として傷ついた経験があって、人のために心を使って社会に貢献したいと思ったときに、こういうビジネスにはめられちゃうというのはあります。

カウンセリングは簡単じゃないです。センスが必要です、どう考えても。
小説家や芸術家になるよりははるかに簡単だけれども、サラリーマンとか、普通の仕事をやるほど簡単ではないというか、やはり特殊な才能というのが必要です、センスというのが。

お金もなかなか儲からないですから、決して誰もができる仕事じゃないんだけれども、でもやりたいと思った人たちがいて、でもそれを食い合っちゃうことにもなるから、難しいことが起きているというのがあります。

抵抗するのは?

じゃあ、なぜ抵抗するのかということです。

なぜHSPの人たちは抵抗するのかというと、やはりここの「ただの劣性」というものを受け入れ難いんですよ、一つには。そういうのがあります。

今まで誰も助けてくれなかったじゃないか、医者も助けてくれなかったじゃないか、心理士さんたちは助けてくれなかったじゃないか。
ようやく助けてくれそうな人たちが出てきたというのに何言ってんだ、みたいな感じになっちゃうんです。

孤立させて分断させるかのようなことをビジネスがやるわけです。
それでどんどん頑なになっちゃう。
それは個人の問題でもあるかもしれないけれども、全体的な構造的な問題かもしれないなと思います。

彼らはHSPだけの問題じゃなくて、やはり情弱的なもの、柔軟性の低さ、リテラシー能力の低さ、メタ認知の乏しさ、単純な感受性の高さだけで苦しんでいるわけではやっぱりないんです。

感覚処理感受性だけでうつになっちゃう、不安になっちゃう、ということはやはりなくて、やはり臨床的に、クレペリンから始まる精神科の歴史の中でHSPという病名を作らなかったのはそれなりの理由があるのです。

やはり単純なHSPではなく、背景にあるメタ認知の弱さやリテラシーの低さ、今まで人が助けてくれなかった、親から虐待を受けた、トラウマの問題、そこから切り替えていく柔軟性の弱さ、そういうのも加わっているということです。

すごく意地悪な言い方ですけれども、それは劣性の問題と結びつくような感じで、物語性とは結びつかないんですけれども、そういうことがあるなと思いますね。

では、僕らはどうしたらいい?

では、どうしたらいいんだろうということです。

僕らはHSPと言っている人たちに対してどういう風にもう一回医療の場に来てもらうのか、治療の場に戻ってきてもらうのか、ということを考えていかなきゃいけないと思います。

彼らが持っている本当の苦しみを、やはりきちんと受け止めるということが重要だと思います。

散々言ってますけど、やはり病名にこだわりすぎないというのはすごく重要です。
臨床的に薬物治療をする側面においては、病名にこだわる、診断にこだわるというのはとても大事なんだけれども、ことカウンセリングにおいては、病名にこだわりすぎないというのがとても大事なんです。

その人自身の能力、他の要素、経験を複雑に加味してやっていかなきゃいけないので、HSPとは逆の作業です。1つにまとめてカテゴライズして誰かを理解していくのではなく、枠のない世界から枠を作っていくという創造的な作業なんです。

再び混沌から個別的な名付けをしていくという作業なんですが、それがなかなか才能が必要というか。でもこういう作業を一緒にしていくということです。

患者さんが焦っているのであれば、ゆっくり一緒にその人自身の枠を作っていくということが必要だし、逆に枠を作るのが苦手であれば、「正しい枠」に入ってもらうことが重要です。
社会とはこういうものなんだよ、騙す人たちだっているんだよ、そういうことをきちんと伝えていくことが重要だったりするのかなと思います。

今回は、HSPの診断・治療、というテーマでお話ししました。

HSPというのはあくまで心理学的な概念であって、感覚処理感受性という言葉で表現されるんですけれども、決して医学概念ではないですよ、ということです。

医学的にもうちょっと細かく踏み込んで見ていくと、うつ、不安障害、社交不安障害、発達障害という問題が見えてきますよ。

治療はその人の個別性を重視して、何に困っているのか、感受性だけではない困りごとってたくさんあるはずなんです。

そして感受性が高いということは一つの才能なんだよ、という言葉で彼らの見たくない現実が隠れてしまっているんだけれども、もう一回それをひっくり返して、その人の弱さや苦しみというものをもう一回一緒に共感して理解していく、そして次のステップに向かっていく、という作業をしてあげなきゃいけないということなんだろうなと思います。

あとウチの自助会では、発達障害の人も、社交不安障害の人も、うつとか不安の人も結構います。
でも自助会をやっていると、HSP的な人の概念って結構使いやすいんですよ。
ついつい使っちゃうんですけれども、そういう人もたくさんいますから、もしよかったらご参加ください。


2023.1.24

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