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信頼できる人と信頼できない人の見分け方

00:00 OP
01:27 耳ざわりの良いことを言う人
03:12 そもそも人と付き合わない?
05:22 内面を見る力が弱い
06:32 信頼できる人とは
10:25 心理的安全性

本日は「信頼できる人、信頼できない人の見分け方」というテーマでお話しします。

精神科の患者さんは、信頼できる人/信頼できない人を見分けるのがめちゃくちゃ苦手です。
「そこ信じる?」みたいな人を信じちゃったり、「そこ警戒した方がいいよ」という人を警戒できなかったり、逆に「この人信頼したらいいのに」というところを「あの人はちょっと…」と言って逃げちゃうなどがあったりします。

それがゆえに生きづらいということもあるんです。
生きづらいがゆえに、自分で頑張らなきゃいけないということで、より独りになっていって苦しい思いをしていることが多いです。

これも耳が腐るほど聞いたかと思いますけど、自分一人じゃ生きていくことはできない。
できるだけ良い人と付き合えるように上手くやって行く、努力していくことがとても重要なんですけれども、なかなかその発想に至らなかったり、そういう風に教えてくれる人がいなかったりするので、自分一人で頑張る道を選びがちです。

今回は、そうならないために、信頼できる人/できない人の見分け方、というテーマでお話しします。

耳ざわりの良いことを言う人

よく騙されるというか、間違えてしまうのは耳ざわりの良いことを言う人を信じてしまう、身近にいる人を信じ過ぎることが多いなと思います。

自分のことを否定しない人、身近にい過ぎる人、いつでもつかまる人。
意地悪な言い方をすれば、今のあなたたちと付き合うメリットってそんなにないんです。
にも関わらず常に身近にいて遊びに誘ってくる人は、それなりに問題があるんじゃないかと考えた方がいいんです。
そこら辺も本当に大丈夫なのかな、と僕はいつも患者さんの話を聞いて、最初から否定はしないけれど、ちょっと警戒しながら聞いているという感じです。

耳ざわりが悪いことは僕ら医者や親は言うんです。
それはその人のことを思ってですからね。
だけど親(良い親)やドクターは信じられず、耳ざわりの良いことを言う人、身近な人、外見だけが良い人、ブランド品を持っている人、そういう人ばかりを信じがちだなと思います。

そもそも人と付き合わない?

いやいやそんなことないよ、ということもあります。
社交不安障害や複雑性PTSD(虐待に遭った人たち)は、「こんな人にだまされませんよ、そもそも私は人を信用してませんから」みたいな感じで言うパターンもあります。
ですが、今度は失敗体験が少ないので、失敗すると思っているからそもそも人と付き合いませんということで、見分ける力がなくなっちゃうんです。
全部ダメだと思ってるから上手く行かない、というのもあります。

一人では生きていけないので困る。
「益田先生はそう言うかもしれないけど結構一人で生きていけますよ」ということはあるんです。
確かにインターネットが普及したり、一人で遊べるものが多くなっているので、昔よりも一人でいることが苦痛じゃないんです。

僕が医者になりたての頃は、引きこもりというと、会話する相手が本当に母親か父親しかいなかったみたいなケースがあって、時々医者と喋るみたいなこともあったのですが、今は引きこもりと言っても家でゲームをして、ゲーム仲間がいたりするんです。

いい時代になったなというか、当時の母親としか喋れないみたいな、気の狂うような引きこもりというのとはまた今はちょっと違うなという印象はあります。
もちろん彼らは彼らで苦しいし、悩んでいるのは事実なんですが、何かちょっと違うなという感じはします。

重症化も意外としにくかったり、いい時代になったんだと思いますが、とにかくそうはいっても失敗体験が少ないことです。ちょっと余談が過ぎました。

失敗体験が少ないから、信頼できる人/できない人の見分けは苦手だということです。

内面を見る力が弱い

あとは発達障害とか境界知能の問題として、相手の内面を見に行く力が弱かったりします。

国語力の問題、リテラシー能力、常識の問題、ミラーニューロン的な問題、共感力の問題、相手の立場に立つ能力、メタ認知の問題など色々あります。
そういう知的な能力の問題で相手の内面に入っていけない、相手の内面を見極めることができない、苦手だというパターンもあります。

ということで、人にだまされやすい代表的なものでは、失敗体験が少ないがゆえにこういう見分けがしにくい、元々持っている知的な能力、知性的な凸凹や苦手さによって見極めることができないということが精神科ではよくあるなと思います。

信頼できる人とは

信頼できる人とはどういう人なのか、ということを話します。

例えば、オープンに喋る人、オープンにきちんと伝えてくれる人、透明性がある人、嘘がない人、秘密が少ない人、そして誠実な人で、耳ざわりが良いことばかり言うのではなくて限界をきちんと言ってくれる人、世の中の限界や不条理をきちんと伝えてくれる人、というのがやはり信頼できる人です。

そういうある種の衝突をすることによって人は鍛えられていくところがあるので、その衝突を避けない、衝突があったとしても一緒に直していく力がある人が信頼できる人かなと思います。

あとは、一般的には専門性が高いこと、相手の人格を尊重できる人、そして友達が多い、一人じゃないことです。
一人ではないということが信頼できる人の特徴なんだろうなと思います。

これらは最初に言ったんですけど、自分たちの問題でもあるんです。
信頼できる人/できない人、と言うと相手の問題のように見えるのですが、私は恵まれなかったんですよ、運が悪かったんです、と言うかもしれないけれども、やはり自分自身の問題でもあるんです。

ただ自分の方に問題があるから、結局そういうことを引き起こしてることもあります。
自分といっても、環境の問題だったり、遺伝的な問題だったりするのかもしれないですが、でもそれらは自分の所属する範疇のことなので、自分の問題として信頼できる人を見極める力を身につけていくことが大事です。

じゃあ自分の問題だと言いつつ、益田たち治療者側は信頼できる人になる努力をしているんですか、ということですよね。

我々は医師という権威にあぐらをかいてるんじゃないですか、治療者という権威にあぐらをかいているんじゃないですか、と。
国家資格にあぐらをかいていて、その権威性を保つために国家資格がない人のことを不当に責めていませんか。
そういうことはやはり考える必要がありますし、信頼できる人間であるように努力していくこと、そして信頼できる人間であることをきちんと相手にわかってもらう努力をし続ける必要があります。

こういうことは医学用語でいうと「ラポール形成」と言ったりするし、最近のビジネス用語だと「心理的安全性を高める」ということになります。

僕はビジネス用語が好きなんです。
それが心理学とか医学として正しいからというわけではなく、ビジネス用語はやはりお金がかかっているので、わかりやすく洗練されてくるところがあります。
患者さんとかサラリーマンの人はそういうタームが好きなので、僕は臨床上活かせるなと思って使ったりはしてます。
医学ではないんですけど使っています。良い概念だったりすれば。

心理的安全性  

心理的安全性ということで、では僕らはどういう風に作っていけばいいのかというと、話しやすい雰囲気を作る、どんなひどいことを言っても許される、下品でも、怠惰でも、法的におかしいことを言ったとしても、人が聞いたらウゲッと思うような倒錯的な趣味があったとしても、悪い考えがあったとしても許される、という安全性がやはり重要です。

一方で、それらは許されるんだけれども、そのまま誤った安全性に留まらないというか、そこからもう一歩治療していくことの意志が見えることも重要です。

心理的安全性が保たれない場合はどういうときかというと、偉そうだったり、親密感がない、専門用語の多発、傷つく事実ばかりを言ってしまうとか。

ただ、これも言わないといけないですから。
耳ざわりの良いことばかり言うわけにはいかないし、かといって正しいことばかり言うと、やはり心理的安全性は損なわれてしまうし、なかなか難しいですね、このさじ加減は。

そして、治療者と患者さんだけの関係だけではなくて、患者さんの生活の中には周りの人もいるし、そしてだます人もいるし、色々な人がいるので、その中で僕らが信頼されうる人間なんだということをきちんと内在化してもらう、内面の中に飛び込んでもらう、心の中の住人として存在していくためにはどうしたらいいのか、どういう努力を続けたらいいのか、ということは日々考えるという感じですかね。

今日ちょっと難しすぎたので、今回は申し訳ないと思います。
こんな動画でしたけど、僕のことを嫌いにならないでください。

今回は信頼できる人、できない人の見分け方というテーマでお話ししました。


2023.2.6

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