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人間を「診断」する矛盾

00:00 OP
01:24 脳とは何か?
07:25 記憶と学習・発達
09:47 カテゴリーに分ける
12:39 人間とは

本日は、脳科学の話をします。

僕は、人間とは何か、心とは何か、良い生き方とは何か、良い社会とは何か、そういうことを考えるのが結構好きなタイプなんです。
好きじゃなかったらこんな仕事をしていないです。

その「好き」の中でも、どう実践するのか、どういう風に今までの科学知識や色々な研究を自分の中に落とし込んで実践して理解していくのか、ということに興味があるというか、そういうのが好きなんです。

そういう僕が、論文にはならないこと、エビデンスにはならないことを、ここでまた皆さんと共有したいなと思います。

定期的にこういう話をしているんですけれども、だいたい再生数は伸びないんですけれども、好きでやっています。

じゃあここから行きます。

脳とは何か?

脳の物体として行われていることと、意識とは何か、どういう機能があるのかということは、割と混同されやすいのですが、違う学問として理解されています。

「意識」とはどういうものなのかというのは、全然まだわかっていません。
なぜ人間に心があるのか、なぜ僕らは考えているのか、もしくは考えているように錯覚されているのか、ということはまだ何もわかっていないんです。
よくわかっていないんだけれども、少しずつわかっていこうという風に研究されている感じです。

これを考える上で、最近のトピックだとAIですね、
AIやニューラルネットワークからこの意識というものにアプローチしていこうというのが、今流行っているというか、トピックになっています。

脳とは何かということを考えると、タンパク質でできた塊なんです。
化学物質と電気信号によって動く装置であり、タンパク質でできている装置は遺伝子という設計図をもとに作られている。
そして、その遺伝子を元に日々自分で作り、そして修正されたりしているというのがわかっている。
そういうものなんです。

自分で自分を作っていく、自分で秩序立てていくような物質だったりします。
それは別に脳だけじゃなくて身体の臓器はそういうものだし、生命というのがそもそもそういう風にできている。

ウイルスもそうだと思いますが、自分で自分を作っていく。
宇宙というのはだんだん無秩序になっていくんです。わからないですよ? わからんですけど、基本的にはエントロピーの法則といって無秩序になっていくんです。
これがもし物質量が多ければ、重力の影響で縮んでいくと言われているんですけれども、今のところ拡散しているんです。

ビッグバンから始まって拡散していく中、生命というのはその逆に向かっているんです。
拡散している中、どこか秩序立てようとして自分を複製したりギュッとまとまるような局所的な現象だったりします。
脳というのもその中の現象というか物質の一つ、そういう機能をもった現象の一つです。

この前コテンラジオを聴いていたら、盲目の時計職人の話が出ていました。
石ころというのはあるけれども腕時計というのは落ちていないよね、道端に腕時計が落ちていないということは、この腕時計を設計した人がいるわけだ。
人間というのは何かデザインした人がいなければこういう複雑なものになっていないよねみたいなことを、盲目の時計職人ということで、進化論を否定する形でそういう本の話をしていたんです。

「盲目の時計職人」
リチャード・ドーキンス 著 早川書房

でも僕はそういう風には思わなくて、やはりこれだけ大きい宇宙で、これだけ長い時間かけて自己複製的なもの、秩序立てるような動きをする物質というか、そういうアルゴリズムを持った物質があってもおかしくないんじゃないかなと単純に思ってしまいます。

短いスパンで時計ができるとは思わないです。
長いスパンであれば、こういう人間みたいな複雑なものがあってもおかしくないんじゃないかなと僕は考えています。

でも脳というのはタンパクでできた機械である。
そしてタンパク質でできた機械なので、もしアルゴリズムがわかれば、コンピューター上でも同じものが再現できるんじゃないか。

脳と同じものをタンパク質で作らずに、他の物質でコンピューター上で再現できるんじゃないか、というのが最近のAIの流れだったりします。
AI研究や意識研究、計算論的な心の考え方でもあったりします。

何だろうなというか、これを考えている人たちもまさかコンピューター上で本当にそのまま人間のような意識が生まれるとは、考えている人もいれば、考えていない人も多くいるんですけれども、もっと複雑なアルゴリズムがあるんじゃないか、もっと膨大な計算量が必要なんじゃないかとか色々考えています。
そういうことを考えられているのかな、という感じです。

脳をもうちょっと分解していくと、神経回路の複合体なんです。
神経回路は報酬系というものがあって、感情を扱うところもあるし、記憶に対する神経回路もあるんですけれども、この神経回路には正常な働きをもつものもあれば、異常な働きをもつこともある、という形です。

正常なものが普通の状態で、異常というのが病気のような状態、うつ病、自閉スペクトラム症、依存症などと考えられている、そういう風に仮定して研究しているという感じです。

この神経回路を見たから機能がわかるわけじゃないんです。
脳が動いているのを見て、意識というのはこう動いているかもしれないと予測するように、神経回路を見ることで機能を予測したりしています。
機能の中に基本的には正常・異常があるように、優劣というものを想定しているという形です。
こういう研究がされています。

記憶と学習・発達

脳の働きには記憶と学習と発達と呼ばれるものがあります。

僕らというのは何かをインプットしていて、そしてインプットしたものから学習をし、次の行動に応用するということができています。
長い時間をかけていくので、記憶と学習というのは「発達」と呼ばれたり、「成長」と呼ばれたりしますが、これも一つの分野としてやられている。

これは脳の問題なのか機能的に考えられているかというと、ちょっとまだ学問としてそんなに発達していないので、ごちゃごちゃになりがちというのはあります。

あとは、科学的な観点からいうと、文化社会的な影響を僕らは受けているということです。
社会科学や社会学と言われていますが、僕らは個人で考えているように見えて、個人では考えてないんです。
言語というものの縛りを受けているし、常識というものに支配されて動いている。
そういうのも一つの学問としてある。

どうやって介入していくのがいいのか、どうやって治療的に介入していくのがいいのか、薬物的な介入はどういう風にしていけばいいのか、そして言語的な介入をどうしていけばいいのか、どうやって社会に介入していくのか、福祉的に介入していくのか、そういうものも研究されています。

薬物というのは神経回路に直接影響を与えに行きます。
神経回路に影響を与えに行くのが薬物治療。

言語的な介入、言葉によって伝えていく、言葉や身振り、人間関係を通じて記憶と学習をしてもらうというのが心理療法です。

社会的な影響も受けるということなので、社会に介入してその人の健康状態というか心身にアプローチしていくというと、福祉という感じになります。

こういうのを僕らは統合的に見て、今この人に何か欠けているのかなども個別のケースに当てはめたりなど、研究されているものをガチャガチャと頭の中でやって、この人にとってふさわしいものは何かなということを類推するという、そういう仕事をしている。
そういうゲームをしているんです。
面白いですよね。

面白いけれど、なかなかこの面白さというのは通じにくいし、説明しにくい。
治療者同士も共有しにくいんです。
膨大な情報や膨大なバックボーンがあるので。

カテゴリーに分ける

そういうことなので、病気とは何か、障害とは何か、そういう言葉はカテゴリーしていくことができるんですかと言われたらできないんです、こんなに複雑なんだからだから。
そもそも複雑に入り組んでいるものなので、カテゴリーなんかできっこないんです。

街をわけていくのと一緒です。
どこからどこまでが町で、どこからが道路で、どこからが村で、どこからが市で、東京という街はどういう風に分類できるのか、それはソウルとどう違うのか、ニューヨークとどう違うのか、福岡とどう違うのか、そういう話になっていく。
この世に同じ都市、同じ街がないように、この世に同じような人間はいないし、脳の構造もない。
かといって、カテゴリーしないことには何も進まないですよね?

ここからここは東京、ここからここは埼玉、ここからここは福岡、とやらないと話は進まないんです。
カテゴリーとは何かというと、個人の脳科学的な要素、起きている現象を捉えていくということとは、もう一つ別の水準で行われていて、診断というカテゴリーをすることで統計的に解釈したりすることができるんです。

一回分類することで、ではこういう薬物を使いましょう、こういう福祉を導入していこう、ということを考えるんです。
一回は分類して色々やっていかないと何も話が進まないので、話を進めるために分類しているということです。

我々を分類するなとか、発達障害といっても色々な種類があるのだから、そういう風にやるな、そんなものウソじゃないか、と言われたらそれはそうで、それは当然なんだけれども、あまりにも細かく分類していたら分類の意味がなくなってしまいます。
一万通りに分類しても分類としては機能しないので、現実的には今の形の分類で落ち着いているという感じです。

これがベストだとは思いませんが、今のところベターなんだろうなという判断です。
今後はカテゴリーの形も変わっていくのでしょうけどね。

もちろん一回カテゴリーしてしまうと次のカテゴリーをしにくい。
一回東京と埼玉のラインを決めちゃうと、ここからもう一回東京にしますとは言いにくいんじゃないですか。決めにくいし。
ここからここまで埼玉です、池袋は埼玉のものに変わります、そんなのなかなかしにくいので、そういうものです。
それが弊害だと言われたら弊害なんですが、どうしようもないですね。

人間とは

結局、人間とは何なのかというときに、どんどんそうやって考えていくと、個人の物語というものが矮小化されて、個人って何なの? 人間って生きている意味ないじゃない? 私ってダメなんですね、それは生物学的に明らかじゃないか、そういう話にもなりかねないんです。
なりかねないというか、なってしまうんです。

よく患者さんと喋っていると、何で死んじゃいけないの、という話になるんです。
「劣った人間はなぜ死んじゃいけないんですか?」
「それはなぜかと言ったらみんな人権があるからだよ」
「じゃあ人権があるとして、我々も人権がありますよね? じゃあ我々は劣った人間だと思うので我々の人権を尊重してもらい安楽死を認めてください」と言うんです。

いやいや、だけどそもそもあなたが劣っているかどうかってどうしてわかるのという話になっていくんです。
社会の見方の問題であって、それは劣っていないかもしれない、劣っていない要素もありますよ、劣っているという見方は今の時代の影響じゃないか、と色々な形で劣っていることを否定することはできるんです。

「わかりました、ではそれは私個人の見方なんですね、それは劣っているか劣っていないかは一回置いておきましょう、でも私は自分の意見で安楽死を望むんですけど、それはどうなんですかね」と言われます。
科学的な事実として自分をたった一つの命と見ずに俯瞰的に見てしまえば、そういう言い方はできるわけです。

実際、出生前診断の問題というのがあります。
出生前診断をすることによって堕胎をすることが許される、両親の意思として許されるということになっているんです。
それは社会的な意味も考慮して、そういうことが先進国の中ではお茶を濁すような形で認められている。
でもそれと安楽死はどう違うのかというのは、やはり難しい議論だと思います。

ただ、もうちょっと臨床的なことを言うと、そういう科学的な事実と臨床的な事実は違うんです。
自分がアンドロイドだとしても、機械人間だとしても、プログラムされて動くものだとしても、それでもなお自分は人間である、それでもなお自分には価値があるんだ、自分は自分の意志で動いているんだと思えることに、すごく本当は価値があるんです。

これは難しいんです、ここを説明するのは。
でもそれが治療の核心なんです。

僕らはその患者さんの話を聞く中で、どんどんメタ認知を上げていくんです。
いや、でも社会的に見たらこうだよね、今のあなたが抱えている問題というのはこういう問題だよね、あなたの問題は生物学的にはこうだよね、という形でどんどん個人というものから離れて、機械人間として僕らを理解しようとしていく。

あなたの問題ではなくて病気の問題なんだよということは、あなたは機械人間なんだよ、ということを説明するのと似ていて、すべての人間が機械人間であるという前提で話すんです。
そうすると、どんどん本当の意味の臨床的事実から離れちゃうんです。

でも何て言うのかな、そこからまた敢えてもう一回戻っていくということはすごく重要なんです。
それはよく臨床していて思います。

科学は絶対ではないとかそういう話じゃないんです。
そういう水準で科学は絶対ではないから魂を尊重しましょうよ、という話じゃなくて、科学が絶対であったとしても、僕らがプログラムされたものだとしても、僕らが機械のような形で本当は自分で考えているように見えるのは見せかけであって、この世のすべてが見せかけであって、そして僕らが持っているお金や才能というのは本当は見せかけであって、真実でなかったとしても、それでもなお僕らは生きていく。
考える葦として、その弱さを抱えつつも前進していく、ということに意味があるし、そこの価値というものはどう理解できるのかというのは重要だったりします。

それがわかってしまえば、本当に病気は良くなるんですよ。
それがわかれば、他者の価値、尊厳、色々なものがわかっていくと思います。

この話を聞いて、訳がわからないと思う人が多いと思うんです。
人間とは何かということを考えていないときに、脳ってあるの? 社会文化的な影響で支配されているの? じゃあ自分で考えていたと思っているものは実は違うんじゃないの? 何も自分で考えていなかったんじゃないの? 全部が支配されているんじゃないの? という気になると思うんです。

だけどそれでもなお、僕らには生きる命というものがある。
そこは一番最初に言った、偶然出た宇宙のエントロピーに対する逆行する存在だからとかそういう話じゃなくて、魂として本当にあるんだということを説明したいなとは思いますけれども、なかなか言葉では言えないです。

ということで、何となく脳や意識という話をちょっと今日は喋ってみました。


2023.2.7

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