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ジャニー喜多川氏の問題をジャニオタはどう考えているのか?

00:00 OP
00:48 BBCガイドライン
04:19 事件と子どもの人権
08:49 道徳的ジレンマ
12:03 愛があった?
15:36 作品とその人は別?
17:24 今、活躍しているタレントは?
19:32 ジャニヲタ・視聴者は?
24:46 黙認・否認

本日は「性被害とジャニヲタ」というテーマでお話しします。

ジャニー喜多川氏の性加害事件をめぐる話の第2弾です。
第1弾は概要欄の方に貼っておきますのでまだ見ていない方は見てもらったらいいかなと思います。
第1弾を見なくても、第2弾から話が通じるようにお話ししますので、最後まで見てください。

BBCガイドライン

今年、2023年の3月にイギリスのBBCがジャニー喜多川氏の性的暴行およびそれを報道しない日本メディアのあり方についてドキュメンタリー番組を作っていたんです。
それが3月7日か8日に放送されていたんですが、BBCで放送されたにも関わらず、日本のメディアは沈黙していたという状況だった、と。
これは精神科的にどうなのということを精神科医目線で話しました。

前回の動画を見ていると、これは本当に真実なの?それはどうなんですか?という話が出てたんですけれども、これは2002年5月東京高裁で淫行の事実はあったという判決が出ています。

ジャニーズ側は最高裁へ上告しましたが棄却されているという形です。
一つの事件ですが、被害の訴えは通っているということがあります。
その事件があったということなので、BBCはクロだろうという形でガイドラインに則って取材及び報道をしたということでございます。

薬物やアルコール、性の問題、自殺の問題は報道をするのにあたって取材のあり方や報道の仕方にガイドラインがあるんです。
日本は性被害や性暴力に関するガイドラインは明確に作られてないんです。
だから良くないんですけど、イギリスや世界ではありますよ、ということです。

今回の僕の動画もこのガイドラインに準じてお話しをします。
なので曖昧なものを扱わない、裁判の記録に載っていることしか扱わない、つまりインターネット上にある情報、ガーシーさんの情報とかは特に扱う予定はないです。

あとはできるだけ匿名化していく。
事件の詳細はお話ししないです。
どういう性的な暴力があったのかということは今回お話ししません。
それはガイドラインに準じてということです。

僕が話したい話もそこじゃないので、もし事件のことが気になる方で、今うつとかじゃなくて勇気がある方は、他の動画やインターネットで情報を探してもらったらいいんじゃないかなと思います。

事件と子どもの人権

事件の概要をもう一回簡単に説明すると、日本の大手芸能事務所のジャニーズのトップ、喜多川氏(男性)が多数の少年たちへの性的暴力、性的加害を行っていたということです。
そういう事件があった。
それが常態化してたんですね。

若い子たちを集めて合宿したり、部活みたいにやってたりして、集まっているときに、お酒も未成年に出したり、そういうところで身体を触ったり、本人が拒否しなければ、そこから性行為を行っていたということになります。

こういうことをマスコミも知っていたし、少年たちだけじゃなくて、アイツがやられたらしいよとかそういう話じゃなくて、みんなも知っていたし、マスコミも知っていたでしょうということなんだけれども、隠されていた。

裁判になっていても、裁判の事実でさえも報道されてないということです。
ファンの人たちも知っていたんじゃないかなという感じですよね。
知らない人もいたし、疑ってた人もいたと思うし、これは嘘じゃないかと思ってた人もいたと思います。

ジャニーズはインターネットへの情報をほとんど出さなかったということで有名です。
ジャニーさんが亡くなったから情報を出すようになって、インターネット上にコンテンツを置くようになったんです。
そういう意味でファンの人たちとインターネットというのは結びつきは弱かったのかな、という気もします。

ジャニー喜多川さんは2019年に亡くなっていますので、今さらというわけじゃないですけど、結構時間が経っている。
時間が経たないとこういう報道も、しかも海外じゃないとできなかったということです。

子どもの人権とありますけれども、教育的な立場、雇用主という側からやっていることなんです。
子どものみならず弱い立場の人というのは、なかなかNOと言えないんです。
だから雇用主とか教育的な立場にある人に対しては、依存度が高くて、その人に嫌われたら生きていけなかったりもするし、そういう状況だとその人のことを好きになっちゃうことがあります。

だから結構そこは巧妙というか。
断ったらデビューさせてくれないというのもあるし、断ることもたぶんできるという言い分も通るんでしょうけど、でも断ったらそれ以上の関係は結ぼうとしなかったのかもしれないし。
それは断れないでしょう、子どもたちだから洗脳されやすいでしょう、そういう問題もあるわけです。

人権のことを考えると、子どもたちや知的障害の人、弱い立場の人たち、弱い力しかない人たちは、大人側がサポートしてあげなきゃいけないんです。
その大人たちというのはすごく倫理的に高くて、道徳的でなければいけないというのが、子どもの人権を考える上でとても重要なんですけれども、そういうディスカッションというか、そういう基本的な教養をみんな知らないというか、当たり前になっていないというか。
それは日本の問題なんだろうなという気がします。

道徳的ジレンマ

第四の権力であるはずの報道機関が責務を果たせていないというのも問題なんじゃないかということは、BBCで言っていました。
この問題というのは結構複雑なんです。
その話をちょっとしようかなと思います。

コメント欄を見ていると、
今は活躍している人たちにも被害が及ぶんじゃないか?
そもそもジャニヲタってどんなの?
視聴者の人には罪はないんですか?
ジャニー喜多川さんだけじゃなくて、そもそも周りにいた人たち、ジャニーズで働いている人たちはどうなの?
それを知っていたマスコミの人たちはどうなの?
忖度していたり圧力を感じていた、そして、それを取り囲むジャニーズファンの人は、すごいお金を払ってよく見ている人、裏の事情も知ってる人たちとかその視聴者の人はどうなの?
家族の人はどうなの?
そういう人たちは責任はないの? 罪はないんですか?

そういうことですよね。

では益田はどうなの?
益田だってジャニーズの番組見たことあるでしょ? ジャニーさんの件を本当にインターネットで見たことなかったの? とかあるかもしれないです。
そこら辺もちょっと話をしてみようかなと思います。

本人たちにも影響があるんじゃないか、あとはセカンドレイプになるのではないか、ということです。
あと本当に事実なのか、事実でないのかは分からないことを喋っていいのか、そんなことがコメントに色々ありました。

まず、セカンドレイプになるのではないか、という話ですけれども、これは結構難しい問題です。
性被害があった場合、これをどういう風に扱えばいいのか、この事件のことをしっかり知ってもらうというのは、社会的意義がとてもあることです。

一方で、これを伝えることによって被害者の人、また過去にそういうことをされたことがある人たち、ジャニーズとは関係なしに性被害に遭った人たちのトラウマを引き起こすんじゃないか、ということもあるでしょう。
ここはどういう形でこの事件を扱えばいいのか、とても難しい。
ジレンマがあるということです。

こういう道徳的なジレンマがあることについては、やはりこのガイドラインに従った方がいいわけです。
セカンドレイプにならないように、ガイドラインに準じてこの情報は扱わなきゃいけない、丁寧に扱わなきゃいけない、ということです。

だから全く黙認していいというものでもないし、おおっぴらに好奇心に任せて話したりしてもいいものではないんです。
面白おかしく話していいものではない。
慎重に丁寧に話さなきゃいけない話題だ、ということです。

これはネット上の噂話であって事実ではないんじゃないか、というコメントもあったんですけれども、いやいや少なくとも2002年5月の東京高裁では淫行の事実を認めているということがあります。
基本的には匿名性を維持して、詳細な被害や事件のあらましを描写しないということがとても重要なのかなと思います。

愛があった?

あとはネットで色々あったので、本題に移る前に色々話そうかなと思うんですけど、ジャニーさんにも愛があって、子供たちも嫌がっていなかったなら良いんじゃないの、と。
つまり、愛にはさまざまな形があって、特殊な性癖がある人もいるんじゃないの、みたいなことを言ってる人もいたんです。

そもそも自分で判断できないですよね、子供というのは。
力がある人、教育的な立場にある人、雇用主という立場にある人から何かをされたときには、やはりNOと言えないんです。
好きになっちゃうこともあるわけです。

これは医療の現場でもそうです。
医師に対して恋をしてしまう人たちがいる、患者さんが医師に対して恋をしてしまう、益田先生のためだったら! みたいな人たちも出てくるわけです。
あとは助けて欲しいからということで出てくるわけです。

そこに僕らがそういうことをしたら絶対ダメなわけよね。
やったら全てが崩れてしまうし、全てが上手く行かなくなっちゃうから、その人の治療だけが破綻してしまうのではなく、それまで診ていた全ての患者さんのこともそうだし、これから診る患者さんもそうだし、そして、その人と一緒に働いていた同僚のドクターたちも、全てがぐちゃぐちゃになっちゃうわけですよ。

それは倫理的にやらなきゃいけない。
そこは何なのかね、何か上手く説明できない。
説明は上手くできないですけど、そういうことです。

やはり弱い人の立場で考えるとか、弱い人たちがどういう精神状態に置かれてしまうのか、決して自分で自由に判断できない状況に追い込まれてくるんです。
そういうところをないがしろにする、人間としての尊厳を奪われているよね。
本当にそう思います。
子どもたちも嫌がってなかったから良いんじゃないかというのは、そういう問題ではないわけです。

愛があるから良いんじゃないか、それは愛には様々な形があって、特殊な性癖がある人は良いのかとかいうわけだけれども、それも意味が違っていて、社会では全ての自由が認められているわけじゃないんです。
色々な人がいるから、色々な自由が認められていいでしょ、というわけじゃなくて、全ての自由が認められているわけじゃないんです。

地球は狭いし、日本だって狭いし、というか社会は狭いので、人間が一緒に暮らしていくためには様々なルールを守らなきゃいけないんです。
自分がこれやりたいということを全て通していたら、社会は上手く回らないんです。

そういうことを言っていれば、結局声が大きくて、力が強い人だけが得するようになってしまうので、そしてそういう人たちだって結局困ってしまうわけだからルールというのがあるわけです。
みんながルールを守る必要がある。
法の下ではみんな平等であって、法律というのはそのためにあるので、何の話してるんだろうなという感じがしますね。
ということです。

作品とその人は別?

あとは作品とその人、作品やタレントと雇用主というのは関係ないじゃないか、と。
別の問題だし、メディアは報道する必要はないんじゃないか、というのがありましたけど、それは全然違うんです。

社会的な影響があるわけですから、それは単純な話ではないんじゃないかなと思います。
実際、報道できなくなっているんじゃないかと疑われてるわけですから。
発信して情報を出すことのできるメディアという権力には責任があるわけです。
どうして権力を持たせてもらえているのかというと、透明性と、報道する自由を僕らが委託しているからということにはなるんですけれども、とにかくそれが一企業によって支配されてはいけないんです。
という風な話かな。
あんまり上手く喋れないですけど、ちょっと勘弁してください、ここら辺は。
ちょっと本題からズレるので喋ってしまいました。

結局インターネットですから、ここは。
YouTubeなので、僕は自由に喋らせていただこうかなとは思います。
第五の権力という形でマスメディアを監視するというのもインターネットの役割でもありますから、益田はこの話をしようかなと思います。

今、活躍しているタレントは?

問題は、タレントさんたちもかわいそうというか、人間として扱われてないというか、人形のように扱われてしまっている、もしくは使用人として扱われてしまっているみたいな部分があるように感じます。
タレントさんというか芸能人の扱い方はそれでいいんですか、というのはあるんじゃないかなという気はしますけど。

今活躍しているタレントさんは関係ないんじゃないの、そういう人たちの名誉に関わるんじゃないの、というコメントがありました。
でもそんなに単純なことじゃないですよ。

彼らは彼らで人形じゃなくて人間なわけです。
きれいな面もあれば汚い面もあるし、彼らは彼らの被害者でもあるけれども、彼らは彼らで加害者でもあるので、何て言うのかな、やはり議論の蓋を締めるとか、議論を矮小化させていくことはよくないと思います。

こういう話は僕らが真剣に語り合っていかなきゃいけないし、何度も何度も語っていって理解を深めていかなきゃいけないんです。
そうしないといけないというものなんです。

だから何て言うのかな、きれいな形で置いておけばいいというものではなくて、やはりどんどん色々な人間の側面を知っていく、それがその人たちを愛するということだし、応援するということでもあるんじゃないかなと思います。

もちろん匿名性を守る、プライバシーの問題をキチンとするなど色々ありますけれども、こういう報道をすること自体、こういう情報発信をすること自体が彼らを傷つけているとは僕は思いません。
傷つけてる部分もあるのかもしれないけれど、それはすごく浅い理解であって、良くないです。

ジャニヲタ・視聴者は?

ジャニヲタの人たち、視聴者は黙認しているのが良いのか?
これもやはり良くないです。
正しい市民のあり方とは言えません。
問題があったときに、人権などその人の尊厳が奪われているときに、ただ傍観しているとかNOと言わないということは、同様にやはり何かしらの加害者ではあるんじゃないかなという気がします。

ファンの人たちのことをちょっと本題ですけど喋りますけど、精神科の患者さんでジャニーズのファンは多いんです。
推し活というか、好きな人は多いです。

ジャニーズはかわいいというか、キラキラしてるというか、あまり俳優さんとかミュージシャン、EXILEとかをイメージするとわかりやすいんですけど、何かこう、やはりアイドルというか、かわいらしい感じ、人形さんというか、何かこう、どこか何て言うのか、肉肉しくないというか男っぽくないんです。
だからとっつきやすくて、好きな患者さんは多いです、ジャニーズの方が。

苦しい現実の逃避先だったりするんです。
うつで苦しんでいる人が、ジャニーズのコンサートを見ているときだけはリラックスできる、推しの人たちのコンサート見に行くときだけ、良かった、これを見るためだけに1年生きていける、そういうことを言う患者さんってたくさんいます。

そういう逃避先のことを益田はなぜそんな嫌なことを言うんだということになるのかもしれないけれども、でも治療を進めていくということは、こういうことも話さざるを得ない時が来ますから、YouTubeでも同じように扱います。

この苦しい現実の逃避先じゃないかと言うんだけれども、でも一方で若さとか美しさとかを過度に賛美しているということであって、患者さんの治療的にすごく優れているかというと、やはりただの逃避先であって、本当に患者さんの人格の成熟を深めていくためにある場所とは思いにくいです。

アイドルとは何なのか、アイドルファンとはどういうことなのか、漫画やアニメというのもを大人が楽しむのはアリなのか、ということは難しい問題だなと思います。
質が低いというと誤解を生みそうですけれども、とても大衆的で、決して深いものを扱っているとは言いにくいです。
人間の色々な側面があるなどを表現するデバイス、コンテンツとは言いがたいですよね、というのはあると思います。

人間というものを人形のように落とし込んでいる作業、人間の多様な面、深さや傷つきをあえて外している、人間らしい生々しい感情、人間の汚い部分を削っていく作業にも似ているというか、だからこそ逃避先にもなるんだけれども、何かね、良くないというか、う~ん何て言うんだろうね、こんなハナシばっかりだよね、何て言うんだろうね、でも次の場所に行くということをしていかなきゃいけないのかなとは思います。

でもそこに留まろうとしてしまうという現代の日本のあり方、問題を見ようとしない大衆というのはそこに表れているというか、世相を反映しているような気もします。
でもそれはジャニヲタの人を批判しているだけではなくて、別に僕らもそうであるし、現代人の大衆的な感じというか、動物的な感じが許されない感じを表している感じがします。

何か上手く言えないね、今日は。
仕方ないね、今日はこういう日だね。

でも何て言うのか、これは諸刃の剣というか、コインの裏表というか、精神疾患が無視されている現実と一緒なんだよね。
アイドルとかそういうものに目が向いてるということは、一方で精神疾患とかは見られていないということです。
貧困や社会問題が見られてないということなので、パンとサーカスみたいな感じで、大衆が欺かれているというか、そういう感じもします。
ということです。

黙認・否認

ジャニヲタの人たちの態度はどんなのがあるかというと、黙認です。
黙認していたり、否認ですね、そんなものはなかったんだ、といういうパターンがあったり。
あとはそういう被害を受けていることを知って、私もそういう風な目に遭ってるんだ、そういうことがあったから一緒に頑張ろう、と言ったり。
あとはちょっと倒錯的なんですけど、一緒に傷ついて欲しいみたいな歪んだ愛情を持ってしまう、むしろ他の女性に取られるなら同性愛者でいて欲しいみたいな感じがあったりします。

よくわからないけど理解できないまま、ある種のエロティシズムとかBL(ボーイズラブ)の問題みたいな形にしちゃって、生身の人間たちなのに、どこか異世界の話というか、架空の世界の架空のキャラクターのように扱われてしまっているとかもあるだろうし。

あとはもう曖昧なままにしてくれ、言語化しないで欲しいという欲望もあるのかなと思います。
この問題は結構複雑で、死角もあって、見えない部分があるということです。
死角もあって曖昧なまま問題意識を向けるのがとても困難なんだよね。

非常に複雑な問題なのでパッと一言では言い表せないので、途中で集中力が切れちゃって、よくわからないからもういいや、という感じになりがちです。

そもそも言語化していく力、全体を俯瞰的に見ることが苦手、弱いからアイドルファンを続けているという側面もあったりするので、ジャニヲタの人たちにとっては本当にこの問題というのはどうやって受け入れていくのか、どうやって自分の中で落とし込んでいくのかというのがよく分からないし、よく分からないことを言われるとすごく腹が立つのではないか。
私たちの方がジャニーズのこと詳しいのに、部外者が入ってくんなよ、と言って腹が立つんじゃないかな、という気がします。
そういう感じがします。

よく分からないまま混乱しているし、よく分からないから自分たちも蓋をしておこうというのが大衆心理なんじゃないかなという気がします。

でもこういう時だからこそ、しっかり踏みとどまってこの問題について考えよう、この問題が持っている複雑さ、この問題の背景にある複雑さ、そして道徳的なジレンマの問題、ギリギリまで悩み続けることの重要性、勇気を振り絞った人たちがいること、被害を受けて今も苦しんでいる人たちがいること、一方ではそういうことがあったとしても結構能天気にやっている人もいるというある種の現実、身も蓋もない現実とかがあったりするということです。
それらを知るということもとても重要なんじゃないかなと思います。

ジャニヲタの人たちは、たぶん今回の件はどういう態度を取ればいいのかというのはとても難しいし、混乱していると思います。
でもこういう事実があった上でも応援していくということ、こういう事実があったからこそ、もう一度その人たちの葛藤を考え直す、そして自分だったらどうだったのか、そういうことを考えるということが大事なんじゃないかなと思います。

最初に言った、作品には罪がないという話ですけど、やはり良い楽曲、良い作品、良いコンテンツがたくさんあるわけですから、それで全てが台無しだというわけではないと思うんです。
悪かったものは悪い、頑張ったところは頑張ってる、そういう色々なものを合わせて味わっていくことはとても重要だし、応援していくということも重要だと思います。


2023.3.30

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