本日は「自分を守るため相手を否定する心理」というテーマでお話しようと思います。
今日は何か久々にシンプルな感じですよね。YouTubeを始めた時みたいなシンプルなホワイトボードかなと思います。
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悪くないのに責められる
自分が悪くないのに責められることってありますよね。
それは相手が自分を守るために相手を否定しているというか、こちらを否定していることはあります。責任転嫁というやつですよね。
「悪いのお前じゃん」と思いながら、「こいつが悪いんです」と言われたり、「お前が悪いんだろう」と言われることは結構ありますよね。
こういうタイプの人は出世しますよね。
部下が失敗した時にめっちゃ怒るやつね。お前の部下だろという感じがするんだけど、よそから見たら「いや、お前ダメだろう」と叱って、社長に言うんですよね。
「僕がしっかり叱っておきましたから」とか言って。本来は自分が叱られるところを部下に責任をなすりつけて、さも自分の手柄みたいにして、評価を下げるどころかむしろ上げちゃうみたいなことあります。
そういう人いますよね。
これはどんな心理なのかということをちょっと話そうと思います。
大きく分けると3つのフェーズに分けることができるんですよね。
「策略・欺き」と「自己正当化・責任回避」の水準と「投影同一視」の水準ですね。
策略・欺き
策略・欺きというのは、「これ俺悪いな」と思いながら、逆切れというか、怒ったりとか、うまく見せかけるという感じです。
俺が悪いから、ここが見えないようにうまく誘導して、他の人からは自分が悪くないように見せよう。
むしろこいつが悪くなるように見せよう。もしくは少なくとも50:50で悪いみたいな形に演出していこうという知略です。そういうパターンもあります。
意外とここまで計算高い人は多くないんですけど、僕の体感では20%ぐらいはこんな感じです。
自己正当化・責任回避
よくあるのは自己正当化・責任回避です。
「いや、自分も悪いかもしれないけど、こいつも悪いところはあるんじゃないか」と言って、必死に相手の悪いところを探していく。
やっぱり相手が悪いんだと思って、自分が悪かったことを忘れようとする。抑圧する。
で、相手が悪かったんだというところは大きくして、自分を信じ込ませようとする心理です。自己正当化。
こういう人が6割ぐらいいるんじゃないかなと思いますね。
投影同一視
聞いたことないなと思うのがこの「投影同一視」です。
これは自分のネガティブな感情を相手にそのままぶつけて、相手がそれの権化のように見える。
例えば、自分が怒っているときに、相手が怒りの象徴のように見えてくる。こういうものを投影同一視と言うんですけど、なかなか難しいですね。
例えば、自分が怒っているときに、相手が怒っているように見えるときは「投影」と言うんですよ。
自分がお腹が空いているときに、自分はお腹が空いていないと思いながら、「でもあなたはお腹が空いてるでしょ」というのは投影なんですよね。
相手は「いやいや、そんな思ってないけどな」と思うんだけど、自分が感じている感情を相手が持っている感情だと勘違いすることを投影と言います。
それのもうちょっと何ていうのかな、もうちょっとサイコ的というか、幻想的というか、暗示がかかった状態に近いのが、「投影同一視」で、より原始的な反応、成熟していないプリミティブな反応なんですよ。
自分が怒っているときに、自分の怒りは感じられず、相手が怒りとか悪の象徴に見えるんですよね。
自分が弱っているとき、何か情けないなとか言うとき、自分の情けなさを忘れていて、情けなさの象徴として相手を見たりする。
そしてそいつを攻撃することで、自分の心を解決しようとする。
子どもはよくやるんですよ。例えばコロナが流行っていたときに、「コロナいじめ」というのが流行ったんですね。
友達の弱いやつとか、コロナにかかった子とか、「コロナだ」と言ってあだ名をつけて、その子に意地悪をしたり殴ったりするんです。
自分の中にあるコロナへの不安や恐怖を相手に重ねることで、相手をいじめることで癒していく。
そういうのは投影同一視と言って、子どもにはよく見られるし、大人でも結構見られますね。
とても原始的な反応ですね。陰謀論にも似ている感じです。
色々な水準がある
自己正当化の方が責任回避の仕方の中でも、自分が悪いと思っている部分もありつつも、相手が悪いと思う比重が大きいし、投影同一視に至っては自分が悪いとは全く思えてない状況ですよね。
策略・欺きは自分が悪いとわかっておきながらもうまくやっているという感じ。
自分を守るために相手を否定する心理と言っても、結構レベルに違いがありますね。
あとは、間(あいだ)もありますよね。
自分が悪いのか相手が悪いのかよくわからなくなってきている。複雑な状況を考えにくくなってしまって混乱している。
ただ感情に支配されている状況もある。
逆に甘える感じ、「僕も悪いけどさあ、でもこれくらい許してよ」みたいな甘えている感じもこの中間にあるかなと思います。
「いや、悪いと思うけど許してよ」みたいな感じもありますよね。
「お前だって悪いところがあるじゃない」「お前だって嘘をついたことがないなんてないでしょう」みたいなね。
「俺は悪いことしたかもしれませんよ。不倫したかもしれないけれども、不倫したことない人間なんかいませんよね」とか。「下心のない人間なんかいないでしょ」とか言ったりする感じですよね。
でも「策略・欺き」の水準はなかなかいなかったりしますね。どちらかと自己正当化・責任回避の方が多いんじゃないかなと僕は思います。
人間の6割、7割ぐらいはここら辺の水準。
「何なんだコイツ」と思うかもしれないですけど、だいたい僕もそうですけれど、自分が悪いと思わずに相手が悪いと思っていたり。
だいたい自己正当化・責任回避してますよね。無意識的に自己正当化・責任回避で処理していることの方が多かったりします。
最近、僕は仏教が好きで読んでいますけど、浄土真宗の親鸞は「悪人正機説」と言って、悪人こそ救われるんだ。なぜなら悪いということ、自分が弱いということを自覚しているからだ、と言う。
そりゃ救われるよね。悪人正機説の悪人は「策略・欺き」の話をしてるから。だからよく見えてますよね、悪人は。
だけど本当の悪人というのはだいたい自分が悪いと思っていなくて、投影同一視側ですから。
盗んでしまうのは自覚できなくて、単純にそうしないと生きていけないからでしょ、お前らが悪いんでしょう、みたいな形で、むしろ責任回避的だったりするのでまあ違うなと僕は読みながら思いましたね。
それはきれいなところを見すぎだよみたいな感じがしますけど、「策略・欺き」の人たちは救われますよね。知的エリートだから。そりゃそうだって感じがしますね。
今回は、自分を守るために相手を否定する心理というテーマでお話しました。
人間関係
2023.4.25