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精神科患者は甘え? 生きている価値がない? 神様なら、どう思うか? アウグスティヌスを紹介

00:00 OP
01:27 キリスト教の理論をまとめた
02:56 アウグスティヌスの生涯
12:24 自由意志
17:38 神様を信じにくくなっている
19:03 現代の話

本日は「働かない僕らは無価値なのか、甘えているのか。神様は僕らのことを罪人と思うのか」というテーマで考えてみようかなと思います。

アウグスティヌスだったらどのように答えるのか、解釈するのかというテーマで話そうと思います。
結構このテーマは重いんですよね。

よく患者さんは罪責感に駆られて「自分はダメな奴なんじゃないか」「無価値なんじゃないか」という思いにとらわれたりしています。

悪いことばかりしている自分は、愚かだし、死んでしまった方がいいんじゃないかと思っていますね。思っている人は多いです。
自分のことを汚らわしいと思っている人が多くいます。

それはキリスト教の観点というよりも、アウグスティヌスだったらどう答えるのかを一緒に考えていきたいなと思います。

今日の動画のテーマはこんな感じです。

キリスト教の理論をまとめた

アウグスティヌスは4世紀の人なんですね。
キリスト教の理論の根幹を作った人なんです。

キリスト教はいろいろな教えがあって、理論立てていく中でギリシャ哲学を取り込んでいったんですね。
プラトンの哲学やアリストテレスの哲学を取り込んでいったんですけど、取り込んでうまく融合させて理論化したのがアウグスティヌスだと言われてます。
アウグスティヌス以外にも色々いるんですけども、代表的な人物です。

アウグスティヌスの理論で一番難しいのは、自由意志と神の恩寵の話です。

僕らっていうのは弱いじゃないですか。
だから誘惑に負けちゃうし、悪いこともしちゃうし、心強くいられないです。
それは神様からどう見えるんだろうということなんですよね。
それをアウグスティヌスはいろいろ語ったということです。説明してくれたんです。

そして弱い僕らのことも神様は「お前なんかいらねえよ、地獄へ行け」というわけではなく、しっかり愛してくれているよということを説明してくれた人なんですよね。
それを話そうと思います。

アウグスティヌスの生涯

前半はアウグスティヌスの生涯を振り返りましょう。
まず、北アフリカで生まれました。352年くらいのようですね。
76歳まで生きる。

母親は教育熱心な人だった。クリスチャンとして熱心だったみたいですね。
アウグスティヌスは子どもの頃は賢かった。
家は決してお金持ちだったわけではないんだけれど、出来も良かったし母親も教育熱心だったので、何とかお金を借りてきたりうまくして、カルタゴの方に勉強に行かせてくれるということになります。

16歳くらいで行くわけですよ。そうすると親元から離れるので「うひょー!」となるわけですね。そうなりますよね。
地元で超エリートで、あんた行きなさいよとお金を渡されて、当時の都会というか東京とかに行くわけですよ。
そうすると「イエーイ」って感じになっちゃうわけですよね。

アウグスティヌスはイエーイとなっていく中で、友達同士で悪さをしたり、盗みを働いたり、性的な遊びをいろいろしてしまったと言っています。
実際どれくらいのことをしたのかというのを詳細には書かれていなかったりするし、当時の風俗がどういう形だったのか、当時の常識というのはどういうものだったかはよくわからないんですけども。
僕がわからないだけできちんと歴史研究の中ではわかっているところもありますが、いろいろやっていたみたいです。

アウグスティヌスは「マニ教」という新興宗教にどっぷりはまるんです。
だからキリスト教を学ぶのではなくて、マニ教の方に行くんですよね。

そして結婚を断って恋人と暮らしてしまいます。その恋人との間に息子が生まれてしまうということになります。

マニ教はどういう宗教かと言うと、当時の仏教、キリスト教などの宗教を混ぜて預言者のマニという人が作った宗教みたいですね。

宗教というとあまりなかったんじゃないかと思うかもしれないですけど、結構あったんですよね。
グノーシス主義、モンタニズム、アリウス主義とかちょこちょこあったみたいですね。
キリスト教は主流で、これは異端だと迫害したり、これは取り込もうと言って取り込んだりしてきた。
マニ教も結構強くてその後廃れていくんですけど、マニ教にどっぷりはまってそこで学んだみたいです。

マニ教は善悪がはっきりしていたり、神秘主義なところがあったり。
当時のキリスト教よりも、学問として哲学的な要素として色々あったようです。
気持ちはよく分かりますね。僕なんか親が教えてくれた教えよりもこっちがいいんじゃないかとか、新しい治療法がいいんじゃないかとか。
医局で学んでいるものとか主流派がやってるのではなくて、こういう治療法がいいんじゃないかとか挑戦したくなるというのがあるのかなと思います。

この恋人というのがですね無名の女性なので、もしかしたら当時でいう売春婦かもしれなかったということです。推測ですね。実際はどうかわかりません。
名家と言えば名家みたいなので、アウグスティヌスも。だから一般庶民と結婚するのはタブーというか。
現代でいうところの一緒に暮らしてるんだから別にタブーじゃないだろという感じはするかもしれないですけど、当時の感覚としてはそういう感じのようでした。

34歳の時が色々あって、マニ教の教えだけだと満足できなくなったんですね。
それで色々な学びをしていく中で、キリスト教に戻っていく。34歳の時にキリスト教へ回心していくということです。

恋人とも別れちゃうんですよね。
この女性はその後どうなったかというと、生涯独身で一人で暮らしたと言われています。
アウグスティヌスは息子を連れて他の場所に行ったりするんですよね。ちょっと忘れちゃいましたけど、勉強しに行ったりする。

息子は当時14歳くらいなんですよね。
16歳ぐらいかな、それぐらいの年齢なんですよね。
母親から引き離されて、父親と一緒にキリスト教を学ぶんだけど、その2年後にですね。息子は亡くなるんですよね。

病気か何かで死んでしまうということです。母親を引き離して、息子も失ってという形になって凄く落ち込むことがあったみたいです。
凄く自分のことを責めたんじゃないかなと思います。

アウグスティヌスはその後再婚はせずに独身を貫くのですが、42歳の時に司教となります。

司教となって色々な人たちの悩みを聞くんですよね。
そういう中でキリスト教の教えをするんだけども、教えをする時に一般の人とたぶん問答を色々としていたと思うんですよね。

これはどうしてですか? どうして神はこうなんですか? じゃあ神様はこういうことをするんですか? とか色々な人と会話をすると疑問が生まれてくるんですよ。
その疑問を解決するために、哲学を交えながら説法したということになります。

新プラトン主義というのですが、プラトンの教えなどを交えて、ギリシャ哲学の要素をキリスト教に矛盾なく盛り込んで、バージョンアップして説明したということです。

よくわかりますね。
このYouTubeを見ても思うと思うんですよ。
病気の説明とか脳はこうなっているよとか、うつだから休めばいいよ、薬はこう効くんだよと言っても、やっぱり患者さんって良くなっていかない。良くなってくるんだけれども、全ての人はそれではうまくいかない。

どうしても色々な言葉を使って説明してあげなきゃいけなかったりするし、やればやるほど臨床は疑問が深まったり、疑問に答えるための新しい手段が必要になったりするんですよね。

当時はイノベーションっていうのがギリシャ哲学を盛り込むことだったと思うし、現代のイノベーションはYouTubeだったりSNSだったり、ChatGPTの応用とかなのかなと思っています。
でもすごくわかります。年齢も近いしね。

46歳の時に「告白」という自伝を書くんですよ。
自分は若い時にこんなことだったけど、キリスト教に目覚めたんだよと話す。
これも結構当時はすごいことなんじゃないかという気がしますね。

自分はこんなダメなやつだったというのを告白するのは、現代でこそインターネットやSNSがあるからオープンに語りやすいけれども、なかなか厳しいと思います。

僕でさえYouTubeをする前は、医者が個人情報を出しちゃいけない、個人の気持ちを語ってはいけない、医者は患者の鏡じゃなきゃいけないということで、個人の気持ちはあんまり出すなという感じだったんですよね。

こんな人格のわかるようなキャラクターを出しちゃいけないみたいな感じで。
それが5年、10年前の話ですよ。だからYouTubeをやるのはかなり勇気がいったし、こうやって喋るなんて何なんだと思ったり。
今でも何なんだと思ってる人はたくさんいると思いますけど。

それが2000年の今ですからね。
1500年以上前の話だとより大胆なことをしたんじゃないかと思います。覚悟がいっただろうなと思います。
でもそれが人々の共感を生み、心を打ったんでしょうね。だから今でも残っているし、名著と言われている。

73歳の時に「神の国」という書籍を出して、76歳の時に亡くなったということですね。

これがアウグスティヌスの人生です。

自由意志

アウグスティヌスは色々なことを理論化したんですけど、精神医学の中で親和性の高いものは「自由意志」ですよね。

自分はどこまで頑張れるのか、自分が弱いのは、行動できないのは自分のせいなのか、努力が足りないのか、自分がダメなのかということですよね。
これを今の人も悩んでいるし、当時の人も悩んでいたわけですよね。

対ペラギウス論争というのがあります。
ペラギウス派の人は人間には自由意志がある、神様は僕らに自由意志を与えてくれた、自由意志をもって悪いことをせずにすむ。
動物のように本能ではなく、自由意志があるからこそ本能を抑えることができる。

それが神様が与えてくれた僕らの自由であり、愛なんだ。
だから善いことをして天国に行くべきなんだ、ということを言ったんですね。簡単に言えば。

だけどアウグスティヌスは違うと言ったんです。
僕らはそもそも原罪ある。生まれながらにして罪を負っていますよね。
本当に自由意志がありますか? 自分らは弱くて自由に動けているようだけど動けていないし、弱い心を持っている。
神様が本当に僕らに愛を持って自由意志をくれているのであれば、そんなことはしないはずだよねと。

僕らが弱い心を持っている、ちゃんと自分がやろうと思ってもできないのは、僕らが原罪を持っているから。生まれながらの罪を背負っているからなんだ、と。

じゃあ僕らが自由意志を発揮できるのはどういうことなのか、どうやった善行を積めるのかというと、神の恩寵があるときにのみなんだと。
神様が僕らにそういう機会を与えてくれて、神様が何とかして僕らを善いことをできる人間にしてあげようと思っているんだけども、どうしてもできない。
だけど神様はそれを許してくれてるんだよ、ということを言ったということですね。

アウグスティヌスは自分の若い時も振り返り、自分がやってしまったこと、息子へのことの懺悔、恋人への懺悔、母親への懺悔、色々なものがあって、たぶん自分がいくら大出世しても自分の弱さを常に自覚していた。
そしてそれを、他の人たちもそうだよね、みんなそうだよね、だから神様って優しいよねと持っていった。

これはすごい理論だなと思います。だから「自由意志はないんだよ」と言ったんですよね。

これは理解がメチャむずいと思います。
僕らは意志がないと思うのは結構難しいと思います。

僕は臨床していく中で、色んな患者さんを見て、脳科学のことを見て、調子の悪い患者さんを見て、そういう中で「人間て本当に脳が生んでいるんだな」「人間の自由意志なんて本当にわずかだな」「運命には勝てないな」とか、色々な人を見たり、色々勉強してるからわかるんですけど、当時の少ない科学知識でここまで辿り着くとか、患者さんたちがここまで思えるかというと難しいなと思います。
でもわかっていくと、ああなるほどなと思います。

結局、論争で勝つんですよね。
それでアウグスティヌスの考え方がメジャーになり、キリスト教の中で教わり続けることになります。

自分たちの意志、人間の知恵、自由意志というのは、ある意味去勢を受けているというか、抑圧されているわけですよね。

抑圧されたまま過ぎていき、いやいや人間だっていいところあるじゃん、人間バンザイとなるのは、ルネサンスを経て19世紀ぐらいまで待たなきゃいけないんですね。
本当の意味で科学とかそういうものにいく、知的なものに対する自信が持てるようになるのは、人類はここら辺くらいまで待つ必要があった。

だから、ある意味反知性主義なんですよね。
僕らはバカなんだから祈っておけという話なので。
そう言うと誤解を生みそうですけど、そういう側面もあるんじゃないかなという気がします。

でも面白いですよね。
その後人間は意志があって万能なのかというとそうでもなくて、やっぱり戦争を起こしてしまったり、悲劇を生んでしまっているわけですよね。

人間の欲望は際限がなくて、今のような資本主義社会になり、格差を生み、うつ病の患者さんを作っているわけです。
労働時間もどんどん長くなっていくわけだし。

神様を信じにくくなっている

神様というのを科学の進歩と共に信じにくくなっていますよね。
人間よりももっと大きな力、個人を超える大きな力。
しかもその大きな力は不安を煽るだけじゃなくて、優しくて包み込んでくれるような大きな力があるのを感じることは難しくなってきているとも思いますね。

あと「祈る」ということですよね。祈るということが持っている要素、マインドフルネスだったりしますけども、ちょっと違うんだよね。
マインドフルネスとかフローとか、何かに集中するとか好きなことに打ち込むとかとはまたちょっと違う「祈る」という、人間の弱さというか優しさというか愛というか、そういうものを失いつつある。
それが現代においてどういう形で代用できるのかっていうのは、一つの大きなテーマだなと思います。

臨床していて、薬を使うということとか、薬の中にもプラセボ効果がありますからプラセボ効果をうまく運用するとか、どういうことなんだろうと思いますね。
そういう中で「祈る」ということの強さがあったんだろうなと思いつつ、云々とか考えますね。

現代の話

ちょっとだけ個人的に話をすると、現代においてどういうものを持って僕らの価値、僕らの弱さは肯定されるのかというと、一つはニューロダイバーシティという考え方ですよね。

人間は生まれながらにして多様なんだよ、と。
色々な脳みその形があって、色々な感じ方がある。
そもそも普通というものがあって、そこから優秀な人、劣っている人がいるのではなくて、そもそも多様なんだよというニューロダイバーシティの考え方も重要だし、脳科学的にも証明されていますね。

逆に脳が決まっているから、僕らは意志が強い人もいれば我慢が弱い人もいるし、発想が柔軟な人もいれば保守的な人もいるということがわかる。

あとは人権ですよね。
神の愛からやっていくという理論ではなく、哲学的にロジカル的に、人権というものから僕らの価値を引っ張ってくる。

あと運ですよね。
結局、運の要素というのはあるわけですよ。統計的に見てもデータから見てもあるわけで。
個人の努力と一見思われてるものは実はそうではなくて、運の要素がすごく絡んでいるよということも、最近でわかってきている。

あと福祉ですよね。
福祉をきちんとやっていこうとか、それが正義なんだということですよね。
それが現代的かなと思います。

福祉の概念や運が世の中に絡んでいることがわかっていくと、神様というものを介在させなくても、世界の複雑さや自分が悪くないということもわかるんじゃないかなとは思います。

より難しいね、こういう概念からアプローチしていくのが。
ベースのキリスト教的な考え方を踏まえて人権などの概念が生まれてきているので、元々あったアウグスティヌスさんのいろんなことを考えたことも、僕らの人生に活きると思います。

人間というのは遺伝子プラス記憶と環境によって今の心の形とか変わってきますから。
そういうことを理解してもらうということかなと思います。

今回は、うつ病は甘えなのか、アウグスティヌスさんはこう答えるというテーマでお話ししました。


2023.5.19

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