本日は「死ぬときはひとり、は正しいか?」というテーマでお話ししようと思います。
日曜日は「死」「自死」をテーマに扱うとなっているんですけど、なかなか死を扱うのは難しいので、シェリー・ケーガン氏の本を教科書に皆さんとディスカッションをしたいなと思っています。
この本自体は哲学の教授が書いている本なので、僕はその議論に精神科医目線でいろいろな解釈や解説、感想を加えていきたいなと思っています。
死ぬときはひとり?
よく患者さんは言うんです。
「どうせ死ぬ時はひとりでしょ?」「益田先生は別に私が生きようが死のうが関係ないでしょ?」とか言います。
「実際に関係ないし、あなたの生活に」
「先生には迷惑をかけないからいいじゃないですか」
「どうせ人間ひとりですよ」と患者さんはよく言いますけれど、死ぬ時はひとりというのは正しいのかというのはありますよね。
本当に死んだ後は、自分たちはひとりなのか、永遠の無の中をひとりでさまようのかというと、本当にそうかどうかよくわからないですよね。
でも何となく死んだ後はひとりなのかなという気はしちゃいますよね。
怖いから死にたくないなと思ってしまう。
ひとりで死ぬことがもちろん多いんですよ。
死ぬ時はひとりの時が多いですよね。だけど同時に亡くなることもありますよね。
飛行機が墜落したとか、船が転覆したとか、災害の時とかね。
コンマ何秒ずれたりとかあるけど同時に亡くなることもある。
物理的にひとりで死ぬことが多いんだけれども、同時に亡くなることもあるよということですよね。
同時に亡くなることもあるから、死ぬ時はひとりじゃないかもしれないということですよね。
それから、「私の代わりに私が死ぬことはできない」ということです。
別の人が私の死を体験することができない、そういうことですよね。
YouTuberだったら別の人が代わりにやるとか、楽器の演奏だって別の人がやるとか、精神科医だって別の人がやるとかできるんだけども、自分の死ということは、自分以外の人間がやることはできない。
散髪に行くっていうのも自分以外の人ができるわけじゃないので、そういう時ひとりでしょということですよね。
それもまあそうと言えばそうだなという気がしますよね。
あとはこれがよくあると思いますね。死んだら誰にも会えない、永遠の別れなんだということですよね。
死んだ後は誰にも会えなくなっちゃうよということですよね。
誰にも会えないということは孤独だということなので、まあこれもなるほどと思います。
死ぬ時はひとり、死んだ後はひとりという感じですよね。
あとは葬式はひとりですよね。
同時にやることもありますが、そういうのもあって死というのはひとりなんだという感覚があるんじゃないかなという気がしますね。
同時に亡くなることもあるんですけど、死後の世界はひとりかどうかすらわからない。
そもそも死んだあとは誰にも会えないんだというのは近代というか最近の考え方で、死んだらみんなに会えるとか死んだら天国でみんなに会えるよと言ったりすることもある。
そういう意味では死ぬときはひとりというのはちょっと誤解があるなという気がしますね。
人は群れで生きる
孤独と死というのは、そもそも生物学的、文化的にもすごく密接な関係にあるんじゃないかなと思います。
人間というのは孤独を恐れます。
孤独をなぜ恐れるかというと、孤独になると死んでしまうからなんですよ。
人間は群れの動物なので、迷子になったり、ひとりきりになると殺されたり、事故に遭ったりする。
孤独と死というのは密接的な関係にあるので本能的に恐れます。
孤独ということを恐れるし、孤独でいると死を連想してしまうんですよね。
文化的にもそういう背景があるので、死ぬということは別れだったり、孤独ということのオマージュだったりする。
逆に死ぬことに対する恐怖を和らげるために、死後の世界はみんながいるよと反対の意見を言うこともあります。
でもいずれにせよ、死と孤独の関係というのは文化や生物学的な影響、特に文化的な影響があることは分かるんじゃないかなという気がします。
患者さんは死んだらひとりでしょうと言うんだけれども、それは真実というよりは文化的な影響を受けているので、何かのバイアスというか、誰かから教わったことを言っているという感覚の方が大きいんじゃないかなと思います。
とにかく孤独感を感じていて、死にたいほど苦しいんだということなんだろうなと思います。
そこをどうやって気持ちを共有していくのかとか、相手の気持ちがわかっていることを僕らは伝えていくのかは結構難しいですね。
それこそどんなに言葉を投げかけても、誠意を尽くしても通じないというのが精神疾患の本質でもあったりするので、伝えてるのに伝わらないというのが孤独を生んでいるというのもあるので、なかなか難しいよねという気がします。
でも、逆に言ったら良くなっていけば、死にたいという気持ちが減っていくことでもあるし、文化的な影響があるということは、きちんとカウンセリングをして認知の歪みをなおしていけば、死にたいという気持ちもなくなっていくということなので、きちんと適切に治療をしていくこと。
それは根気が要る作業なんですけど、やり続けることの意義はわかるんじゃないかなと思います。
今回は、死ぬときはひとりは正しいか、というテーマでお話ししました。
死について
2023.5.28