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大きな物語の消失と小さな物語への移行 ジャン・フランソワ・リオタールから学ぶメンタルヘルス

00:00 OP
02:41 大きな物語の消失と小さな物語への移行
05:08 SNSでの承認、お金
08:05 メンタルヘルスの問題
08:55 転職する社会
10:27 多数の物語と統合する自己

本日は「多様化する社会ゆえの無理解、すれ違い」というテーマでお話ししようと思います。

なかなか難しいテーマなのでついていくのに必死かもしれないですけど、何とかついてきてもらえたらなと思います。
どういう話かというと、昭和の世界、昭和以前の方がよりそうなんですけど、皆が信じるものがあったわけです。
皆が同じようなテレビを見て、皆が同じような価値観があったんですね。
高学歴、高収入、大企業というもの。それが幸せの形だったみたいなところがあるわけですね。

いかにその理想形に近づくのか、イデア的な日本国民に近づくのかというのが、言っててバカみたいですけど、成功だったし幸福だったわけです。
もちろん、そんな単純じゃないかもしれないし、他にもありますよ。
でも矢沢永吉的な「成り上がり」みたいな、いい車、いい女、名声、みたいなのを目指すというのが昭和的な価値観というか大きな物語でした。

最近はそういうものはなくなっていますよね。
テレビとかマスメディアが力を急激に失っていく中、そういう独自の価値観や独自の生き方をしていかなきゃいけないことが、同じようなタイミングで起きているという感じがあります。

大企業での終身雇用制というのもなくなっていく中で、自分独自の価値観とかキャリアプランを立てなければいけないということも同時に起きていて、大きな物語から小さな物語に移っているということになるのかなと思います。

皆が独自の価値観で生きるようになってくると、多様なことになっていくと、やはりすれ違いや対立、摩擦が起きるんですよ。

どういう風にこの多様性の中で生きていくのか。国家を分断させずに暮らしていくのかは結構難しい課題で、そういうことがでも今起きている。これからもっと顕著になっていくことがわかっているんですね。

まあそういう話です。難しいね。

大きな物語の消失と小さな物語への移行

ジャン・フランソワ・リオタールという人がこういう話を予見しました。
リオタールは聞いたことがないかもしれないんですけど、高校の倫理の教科書にも載っているくらいなので、わりとメジャーな人です。
メジャーな思想家で哲学者です。

彼は、ポストモダンはどういうものかというと、「大きな物語の消失と小さな物語への移行」ということを説明しました。
もちろん、リオタール以前にもポストモダンとかそういう言葉はあったんですけど、リオタールが代表という感じです。

大きな物語の消失というのは、いわゆるキリスト教的な世界観、宗教、そういうものがだんだん影響力を失ってきていて、個人個人の生き方に変わってきていると。
そこから国家とかそういうものへの不信感も生まれつつあって、そして知識の専門化が進んでいくと、こういうことが正しいとか、こういうことは道徳的だとか、こういうことが成功なんだとか幸福なんだという言葉が意味を持たなくなってきて、だんだん専門知識だけ、役に立つ知識だけ、お金になる知識だけが注目されるようになってくるんですよね。

それは知の外在化と言ったりして、商業価値があるものだけが注目される話になっていると。

現実ですね、欧米の方では文学部とか廃部になっていたりもしますし、役に立つというかそういう学問、理系的な学問以外には予算が回りにくいというのもあったりするので、まあそうだなという感じです。

インターネットとPCの出現によって人類が扱える情報量が爆発的に増えているので、これからどんどん多様な価値観や多様な情報を生かせるようになってくるんですね。
そうなってくると大きな物語というのが相対的に弱くなるだろうなと思います。

とは言ってもですね、じゃあ大きな物語がなくなって、みんな小さな物語の中に生きるかというとそういうことはなくて。

SNSでの承認、お金

現実的には今までこういう形だったものが、 んですよね。
つまり、皆が野球とかテレビを見ていて寄っていたのが、皆が持っている共通の価値観、共通の文脈というのもあるんだけれども、YouTubeだったりTwitterだったり、メディアが多様化していくという形になっていく。
これはロングテール構造と言います。
これになっていくということです。

人それぞれ好きなものがあるんだけれど、皆が共通の価値観として重視できるものは何かというと、今度はSNSの承認とかお金とか、何か空虚なものになってしまうんですね。Twitterのフォロワー数とか。
低きに合わせるのでそうなっちゃうということですね。
あとは外見、ルッキズム、若さ、そういうものになってしまうので、空虚な感じになっていく。

神とか真理とか国家とか社会というものを皆が信じたのではなく、そういうものは信じられなくなり、SNSの承認というものが中心になっていく時代に変わっていくんだろうということになりますね。

リオタールはそこまで言ってないですよ。
98に年亡くなったから。でもその理論を進めていく先にはこういう話になっているということですね。

僕自身もこの大きな物語の消失小さな物語への移行っていうのはよく感じていて、時々苦しい思いをします。

僕も昭和の人間ですしもともと自衛隊にいて、大きな物語ですよね。国家とか軍隊ということで、そこに身を置いていたので、まあそういう価値観ですよね、ベースは。
だけどそこからどんどん小さなところに移行している中、何か大きな物語から疎外されていたりとか、そこを信じられなくなってくる苦しみみたいなのは感じています。

今YouTubeとかやってね、本当に何て言うのかな、共感されにくいというか自分と同じような価値観を持っている人たちは少ないですよね。
精神科医でYouTuberでこんなことをやっているって。そんな感じです。

松崎先生とか渥美先生くらいですし、樺沢先生とかメンタルドクターSidowとかいますけど、でも同じようなスタンスでやっていなかったりするので、孤独というか寂しいというか、難しいなと思ったりしますね。

メンタルヘルスの問題

メンタルヘルスの問題も小さな物語のまま残ってしまうことがあって、なかなか大きな物語の中に入りにくい。
国民全員から関心を持ってもらうのも難しい状態が続いているな、と実際YouTubeをやっていると思います。

テレビとか呼ばれないしね。全然テレビとかで取り上げてもらいにくいし、Abema TVも呼んでくれないですね、なかなか。呼んでもらいたいというわけではないんですけど。

でも自分がやっていけばどんどんそういう形で世に出ていくのかなと思ったら、そんなことはなくて、1年くらい停滞している、同じ状況は続いている感じです。
だから、本当に小さな物語のままだなという感じがしますね。

転職する社会

僕も昭和の人間だったんですけど、小さな物語へ移行しているように、今生きている多くの人たちも同じような思いをしていると思うんですね。

転職をする社会に変わっているので、大企業にずっといるという大きな物語にいるのではなく、小さな物語を移動する、つまり転職する。
いろいろな会社に入っていくということなので、物語を一個一個切り替えていくということなんですよね。

そうすると、自分のキャリアという軸があるんだけれども、同じキャリアがないので物語としては小さい。
そしてそのひとつひとつの会社に入るたびにいろいろな価値観の人がいますから、すれ違いだったり、対立や摩擦が起きます。

一つの共同体にずっと属していれば次第にくっついていって、すれ違いや対立は少なくなるんですけれども、いろいろなところに行くので、毎回毎回起きたりします。

これが結構きつかったりとか、これがあることが当たり前なんですけれども、その当たり前に耐え難い人たちも一定数いるということです。

結局さまざまな価値観が相対化されてしまっていくということは、何でもありだよね、みたいな形になると低俗なもので収まっちゃうので、本当の真理はよくわからなくなってくるというのはありますよね。

多数の物語と統合する自己

いろいろなところでいろいろな顔を持つようになる、多数の物語を行き来するようになるんですけれど、そうすると、どれが本当の自分なのかよくわからないし、統合しにくくなってしまうんですよね。
そういう人が出てくるという感じです。

例えば発達障害の人は、いろいろな側面を持ったり自分を統合していくということが結構苦手な人が多くて、アイデンティティが確立されにくいというか、混乱しっぱなしのことが多いです。

そうすると、いろいろな人の意見に振り回されて、自分は本当は何がしたいのかがよくわからなくて、結局反知性的なポピュラリズム、いますよねそういう政治家、トランプさんとか亡くなった安倍さんとか、そういうところに惹かれてしまうのはあったりするのかなと思います。

そういうところじゃなくても、ネトウヨとかそういうところに行っちゃったりとか、あとは外見に依存する、ルッキズムの世界に入ったりとか、整形依存、美容整形の世界に入っちゃうとかあったりしますね。

価値観の相対化は結構難しいんですよね。
例えば、人間の心をよく知っていたり、いろいろな対応、心のことというのは精神科医がやっぱり同列じゃなくて一つ抜けててほしいなと僕は思うんですよね。
思うというかそうあるべきだと僕は思っていて、脳科学とか神経科学から四方からいろいろなことを知ってやっているわけだから。

だけど「いやいや、益田先生の意見もただの一つの意見だよね」になってしまうと、本当に正しい医療というか適切な医療や薬が届かなくなってしまう。そして良い政策にもなっていかない、社会を良い方向に持っていけないというのもあったりしますね。

とにかく自分は何をすべきなのかというと、小さな物語の中を生きていく、皆が専門化していく中、ハブとなる人間はすごく重要になってくるんですよね。
このYouTubeもそうですが繋がりの場であるので、いろんな話題を扱うというのもやっぱり重要なんじゃないかなと僕は思っています。

メンタルヘルスをしっかり語る場所はなかなかできにくいと思いますね。テレビとか大きなインターネット番組では。
小さな物語のまま行く可能性が高いので、そういう中でもできるだけハブになるためにはどうしたらいいのかを考えるのが、僕にとっては重要なのかなとか、僕ができることの中では結構重要なのかなと思ったりします。

今回はジャン・フランソワ・リオタールの話をちょっとしてみました。


2023.6.2

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