本日は「ぐるぐる思考をやめる方法」というテーマで、デューイですね。
プラグマティズム、道具主義と呼ばれる哲学の一派がいるんですけれども、その道具主義の代表的な哲学者の一人であるデューイを紹介しようと思います。
難しいんですけど、高校の倫理で習う範囲のことなんですよね。
ジョン・デューイ(1859-1952)はアメリカのバーモント州バーリントンで生まれました。
両親は食料品店を経営していました。 いう気がします。
あの時代のアメリカ人の素朴な感じとか、すごく勤勉な感じというイメージです。
飾らない感じ、僕のイメージですけど。
16歳の時に大学に入学して、20歳の時に高校教師となり、25歳の時から大学の講師となり、35歳の時に哲学の主任教授となるということです。
基本的には哲学の教授をされていた人のようです。
プラグマティズム
プラグマティズムとはどういうものかと言うと、元々あった功利主義は結果が良ければ良いよ、結果が良くなるように色んなことをした方がいいよというものです。
あと進化論、物事は変わっていく、変化していく、より良い方に行く。
あと実証主義ですね、科学的に実験によって確かめた方がいい。頭の中だけで考えるのではなくて、結果をみんな見た方がいい、そういう思想の影響を受けて「プラグマティズム」は生まれたということになります。
プラグマティズムの特徴は、「実用主義」と「道具主義」という2つの重要な概念があるんです。
「実用主義」というのは、役に立つものは価値があるよというもの。
「道具主義」というのは、全てのものは道具に過ぎない。完璧なものとか、前にやったプラトンのイデアみたいなもの、そういうものはないんだよと。役に立つ、だから知性さえも道具の一つでしかない。
だけど道具というもの自体に価値があるんだ、ということです。
これは何て言うのかな、貴族的なものとは違ってすごく庶民的というか、大衆的というか実直ですよね。実直な概念だし実直な哲学なんですよ。
実用主義と道具主義を合わせて「創造的知性」とか「実験的知性」と言います。
人間が持っている価値は何なのかというと、現状とか問題に直面した時に何とか活路を見いだしていこう、それはクリエイティブな作業なんだ、問題解決していこうというその動き、ダイナミズムに価値がある。そこに知性がある、人間の意志がある。
そしてそれらを称えるという感じですよね。
背景にあるのは、アメリカのフロンティア精神とかピューリタニズムなんですよ。
ピューリタニズムとは何かというと、聖書の教えに実直にやる。敬虔、簡素。派手さを好まずに日常生活を淡々と送っていくという宗教の考え方なんですね。それが素晴らしいという考え方なんですよ。
カトリックもどんどん大きくなっていくと、すごく華やかになってしまうんですよね。
そういう華やかで儀式的なものではなく、やはり淡々と生きるのが大事だよみたいな。淡々と教えに従うことこそ正しいんだよ、という宗教的な概念から来ているということです。
本当にアメリカ的というか、あの時代のアメリカ的という感じですね。
今もこういう要素はあるんですよね。
アメリカ人の強さとか、競争主義でアメリカンドリームとか言ったりして、すごく華やかな面ばかり見えてしまうけど、一方でアメリカはすごくフロンティア精神にあふれている。それで保守的な部分もあったりする。古臭い、自然と戦っている部分もあるんですよね。
そういうプラグマティズムの人ということです。
いろいろな単語が出てきたのでイメージがしにくいかもしれないですけど、デューイの時代のアメリカ映画とか、アメリカの社会をイメージしつつ、16世紀、17世紀のピューリタニズムを想像しつつ、アメリカのフロンティア精神というか、アメリカの内側のだだっ広い感じ。
だだっ広い自然を想像する、カウボーイとかそういうのを想像すると、何となくああこういうことかとイメージがつきそうですね。
男は黙ってやればいいみたいなね。こういうタフな世界ですね。
タフに解決していく
このタフさなんですよね。
ぐるぐる思考を持った時に、タフに解決していこうとするわけです、デューイは。
とりあえずやれってことですよね。
とりあえずやってみてからもう一回反省したらいいんじゃないか。
とりあえず決めたんだから、何ヶ月かやってみて、その後もう一回反省し直せばいいじゃないかと考えるんですよね。
ぐるぐる同じことを考えるのではなく、一度きちんと今の状況を評価して、その中で意味を見出す。
今こうだからこうしようと、そして行動を調整するということなんですよね。
そしてやってみた結果、また状況を評価して本当はこうかもしれないなと意味を考えて、もう一回行動するということをやっていく。
これが人間なんだよと言ったわけですよね。
私はこれでいいのかな、こんなんじゃダメかなとか色々ぐるぐる悩むし、人に嫌われるんじゃないかとか、これで良かったのかなとか思うんですけど、とりあえず半年働いてみるとか。
とりあえず半年このままでやってみる、ということは結構重要ですね。
これは哲学の話だけじゃなくて、やはり今日の精神医学の中でもやっぱり生きていて、なんだかんだ言って科学の中心というのはアメリカにあって、精神医療の中心もやはりアメリカにあるんですよね。
アメリカのこういう概念、カルチャーが認知行動療法の背景にあるなといつも思います。
仮説検証を繰り返していこうよというのは、アメリカ生まれのCBT(認知行動療法)とすごく合っているし、僕らがやる今の臨床とか今考えていることもこの流れを受け継いでいるという感じです。
フロンティア精神とかピューリタニズムとか浮かびにくい人は、Googleで検索して画像や動画を見てもらうとイメージつきやすいし、ぐるぐるした時や迷った時には、こういう自然のこと、写真をパッと思い浮かべながら、「いや、でも頑張ってみよう」みたいなカウボーイの気持ちになってみるとやれるかなという気がします。
アメリカの人たちも自分達が心弱った時は、カウボーイというかそういう精神を思い出そうとするんですよね。
それは日本人が弱った時に武士を思い出すとか、禅とかそういう日本の美意識的なもの、美的な存在を思い出すように、アメリカ人にとってはこのカウボーイ的なものなんですよね。
心の内側にある美徳というか正しさ、美しさというか。
ぐるぐる思考がある時は反省的思考、こういう思考が不十分だからぐるぐる思考になるんだよ、というデューイの教えです。
今回は、デューイについて解説しました。
古典
2023.6.16