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なぜSNSはメンタルヘルスに悪いのか? SNSで傷つき、不登校になった女の子の治療(創作ケーススタディ)

00:00 OP
00:54 フーコーの理論
04:19 良い超自我・悪い超自我
07:36 SNS
09:23 ケース紹介(創作)

本日は「SNSはなぜメンタルに悪いのか」というテーマでお話ししようと思います。

毎週土曜日は、現代社会がこういう社会であるがゆえに、こういう精神疾患が生まれていますよという話を中心にお話ししようと思っています。
今回はSNSを取り上げようと思います。

実際にどんな患者さんがいるのかということを具体的にイメージしやすいように、SNSをきっかけに不登校になってしまった女の子。これはケーススタディという形で創作ですけれども、その話をしようかなと思います。

フーコーの理論

まず、なぜSNSは精神に悪いのかというと、フランスの哲学者にミシェル・フーコーという人がいるんですけれども、フーコーの理論を借りてくるとわりと説明がつきやすいかなと思います。
つまりSNSによる監視を僕らは常に受けているからです。
SNSによって評価される。

いいねをつけられたりとか、炎上させられるとか、匿名的な人に常に見られているような感覚に僕らは支配されているから良くないんですよ。簡単に言えばね。

じゃあSNSを見なければいいじゃないかとか、実際監視されてるわけではないでしょうとか、匿名でやっているんだから本当に監視されてるわけじゃないよねと思うかもしれないけれども、そんなに単純な話ではない。
我々は無意識な状態で支配されているし、抑圧されているんだということをフーコーという哲学者は言っています。

フーコーはSNSを題材にしたわけではなくて、社会というのはそういうものだということを言ったんですけど、フーコーの理論は今日のSNSにも応用可能かなと思ってここで取り上げました。

ちょっと難しい理屈ですけど、まあでもわかりますよね。何となくね。
こんなことやったら後で炎上するかなとか、酔っ払って駅で吐いちゃったらこれ動画を撮られてSNSで拡散されるんじゃないかなとか思っちゃいますよね。

時効だから言いますけど、本当に20年くらい前はそんなことなくて、お酒飲んで道端で吐いちゃうとか飲み過ぎて潰れちゃうとか、そこら辺に寝ちゃうとかありましたね。大学生の時ね。

今はそれをやっている人もいるけれども、どこか常に撮られるんじゃないか、それが拡散されるんじゃないかという感覚はあるのかなと思います。
別にそんなもの気にするかという強い心というか、ある意味反社会的な勢いが10代の心にはあるんだけど、そういう人は一部というかあったとしてもごく一部という感じですよね。

だから僕らは常にこういう風に晒されている。
それは皆さんも同意できるんじゃないかなと思います。

ただ、そもそもじゃあそれは悪いものなの?と思いますよね。
そういう風に監視されている、無意識に監視されていることで、治安は良くなっているんじゃないのとかね。
酔っ払ってゲロ吐く大学生なんか減ってほしいよと皆さん思うわけで。

良い超自我・悪い超自我

確かにその通りで、完全に悪いものではないですね。
こういう風に監視をされている、無意識的に監視されてる、誰かに見られているんじゃないか、自分は正しくあらなければいけないのでは、倫理的、道徳的にやらなければいけないんじゃないかというのは、精神分析の世界で「超自我」と呼ばれるものなんです。

ちょっとまた難しい話をしますけど、頑張ってついてきてください。
人間の心というのは、超自我、リビドー、自我、この三すくみの状態でバランスを保っているんじゃないかと考えたのが、19世紀から20世紀の精神分析家であるフロイトです。

「超自我」というのは何かというと、いわゆる常識だったり、親の教えだったり、倫理観や道徳と呼ばれるものです。
そういうものがあるから、僕らはやらないようにしている。

「リビドー」というのは本能的なものです。
食べたい寝たい誰かから承認されたいモテたい欲しいとか、そういう本能です。
本能みたいなドライブがありつつ、だけどこういう抑制をかけていく、超自我という常識的なものがやっている。
ここの対立構造のバランスを保つのが「自我」なんじゃないか、理性なんじゃないかみたいなことをフロイトは簡単にまあざっくり言うとそういうことを言ったわけです。

だからこの超自我がもしなければ本能のままやってしまうので、酒池肉林になればいいですけど、単純に争いが絶えない動物的な社会になってしまいます。絶えなくなっちゃいます。
なので超自我が全くないというのは良くないんですよね。

だからここのバランスの問題なんだということですね。
ただ、もうちょっと精神分析のフロイト以降に進んでいくと、超自我にも良いものと悪いものがあるんじゃないか、みたいなことがだんだん見つかってくるんですよね。

道徳的で正しい超自我、優しい超自我、ある種正しい超自我と悪い超自我があるんじゃないかということです。
すごく「べき思考」が強いというか、攻撃的で救いがない感じ。まさにSNSの炎上とかそうですよね。

たかがそれくらいのことでみたいなところで燃え上がってしまって、その人の息の根を止めるかのような社会復帰できないところまで追い込むわけですよ。
不倫は悪いことだと僕も思いますけど、でも不倫をしたことで息の根を止めるくらい社会的な制裁があるというのはやり過ぎなんじゃないの。
やりすぎという意味では悪い超自我だったりするし、何て言うのかな、差別的だったりもするということです。

何となくイメージつきますよね、ざっくりとした説明でも。
良い超自我と悪い超自我があるんじゃないかということですよね。

SNS

そして、SNSというのは近いものを近づけるという効果がありますよね。
だから自分のメンタルが弱い時とか、自分が未熟な時というのは、未熟な人たちが集まってくる。
匿名的なものでも未熟なもの。弱い人たちが集まりやすく、そしてそれらは往々にして悪い超自我として機能しやすいです。

たかがそれぐらいのことでということで怒ったりする、もしくはここには怒らないの?とかあったりするのかなと思います。

すごく自己中心的な道徳論を掲げている可能性もありますよね。こういう話ですね。

SNSは適切に使えばやっぱりいいツールだと思います。
いろいろな人とつながれるし、いろいろな意見が見られると思います。

大学に行かないと聞けなかった話が、SNSを使えば聞ける。
大学の教授から飲み会だから聞けた話がSNSでは聞ける、社長とゴルフに行かないと聞けなかった話がSNSを通じて知れる、経営理論とか。昭和の時代であれば鞄持ちみたいなことをしなければ聞けなかったものがSNSの世界では知れるということなので、それはいい。
いい活用法をすればそうなんだけれども、ただそういう活用でないものもあるよということですよね。

ケース紹介(創作)

臨床の話をしようかなと思います。創作したケースですけど、イメージしやすいので書きます。

例えば、16歳の女の子で不登校の子。
SNSをきっかけに潰れてしまった、落ち込んでしまったみたいな形です。
それで不登校になってしまった。

SNSで悪口を見てしまって、何か自分ってダメなのかなという思いに駆られてしまった。不登校になってしまった。
同世代の子たちとは、コミュニケーションを取るのが苦手で、オンラインゲームの中でコミュニケーションを取っている。オンラインの中では互いに不登校の子たちが集まってゲームをしているんだけれど、自分たちはクズだとか、自分たちはダメなんだ、働かないやつはダメなんだとか、あとはその中でもいじめが起きたりするんですよね。
それでなんか落ち着かない。

ゲームの中では本音を語れないし、アニメのキャラクターとか2次元のキャラクターに対する推し活ということをしている。
推し活している時に、なんか心がリラックスできる。
そしてそこにお金を使うことでコミュニケーションを取る。グッズを買うということで、物質的なコミュニケーションを取ることで、自分の心を保っているんだけど、将来の不安とかモデルがないような状況に陥っているという感じですよね。
SNSで知る情報はなんだかネガティブなものだったり、寛容性がなかったりしているということですね。

こういう人が通院した時には、そもそも最初はどんな状況かというと、社会化の拒否が起きているんですね。ひきこもり、社会に馴染むということを拒否する。僕らは働いているということはある意味社畜になっていくことなんですよね。

サラリーマンは社畜だし、僕は僕で何て言うのかな、厚労省のルールに従っている。
自分の意志でやれていることはほとんどないんですよ。
臨床だってガイドライン通りにやらなきゃいけないし、厚労省の決めたルールに従っているし、YouTubeだって好きなこと喋っているわけではないですよね。

再生回数とか気にしながらやっているからある意味奴隷なわけです。僕も社畜。
そういう社畜になっていくことをすごく拒否するし、これは悪いことなんだ、そんなのは惨めじゃないかという形ですごく拒否しているんですよね。

じゃあ社畜にならないなら将来どうしたいの?と言ったら、ミュージシャンとか作家とか、あたかも自分の力でだけで生きていけるようなもの。そして推し活のように推される存在になるようなものを選ぶんだけれども、自分にはそうなれる力がないんじゃないかと思っている。

それはそうだよね。そんなものになれる人なんて、才能と運があるごく一部の人たちだし、それは永遠に続くことはないからある年齢が来たらつぶれちゃう人たちもまあSNSを通じて知っているわけですよ。

売れっ子だった人が40代のときにはどうなっているのかとか知っていて、じゃあ生きている意味はないんじゃないか、希望はないんじゃないかとか思っていたりします。

結局、社畜になるっていうのは全部悪いことだと思っている。
良いと悪いの区別がないんですよね。

別に会社員になることが本当に自分の人権を損なっているかとか、そういうわけじゃないし、ブラック企業で働くなんて終わっているとか言うかもしれないけど、実際、ブラック企業で働いている人たちはいるわけだし、ブラック企業でありながらも志があったりね。
社長は何とかしようとしている時だってある。過渡期である可能性はあるわけですよね。

でも、そういう区別がつかないんですよね。
それはまだ幼いし、知識も経験もないから。
結局良いと悪いの区別がない状況で、でも情報だけは多いから、悪貨は良貨を駆逐する、みたいな形ですごくネガティブな感じで支配されているということです。

通院でどうやって治療していくのかというと結構時間がかかりますね。
知識と経験を積んでいかなければいけないので、5年以上通院したりしながら少しずつ主治医を取り込んでいく、治療者を取り込んでいったり、家族との会話の中で取り込んでいったり、SNS以外の情報を少しずつ溜めていく。

溜め込んでいっていろいろなことを知りながら、自分のいたSNSの集団ではなく、別のSNSの集団のことを知っていくとだんだん変わっていく部分もあるのかなとは思います。そういう治療になりますね。

難しいですよね。
SNSというのは全てが見えてしまうし、すごく劣等感を刺激しますよね。
劣等感を刺激させることで、何かを買わせようとしたりするような装置でもあるので、距離の取り方は結構難しい。
僕ら大人というのは年を取ってからSNSを使うようになったので、ある意味SNSによる監視の作用は弱いんですよね。

でも、昔から身近にSNSがある子供たちというのは、SNSによる監視というものをかなり取り込んでいて、とても苦しい思いをしているのだろうなと思います。

今回は、SNSはなぜメンタルヘルスに悪いのかというテーマで、創作の臨床モデルケースを交えてお話ししました。


2023.6.17

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