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快楽と死までの時間

00:00 OP
01:20 哲学的な思考実験
05:59 快楽至上主義
07:51 人生の課題

本日は「快楽と死までの時間」というテーマでお話ししようと思います。

「死」です。Deadです。
物騒なタイトルですよね。毎週日曜日は「死」をテーマに動画を撮っています。
死を考えることで生きる意味を考えたり、人生の価値を考えてもらいたいというのもあるし、常識を疑ってもらいたいというのもありますし、何より今自死を検討されている方に踏み留まってほしいから、この動画を撮っています。

ちょっと嫌なことを言うと、月曜日が多いんですよ、事故が。
なので日曜日にこういう動画を撮っているということです。

生きることの目的は何かと考えた時に、ある人は楽しい時間、気持ち良い時間を味わうためだ、そういう時間ができるだけ長い方がいいよと考える人たちもいるんですよね。
快楽至上主義みたいな人たちです。

今回は快楽至上主義について考えてみようかなと思います。

哲学的な思考実験

よくこういう議論をする上で考えることは、哲学的な思考実験として例に出されるのは、ビーカーに閉じ込められた脳を想定するんですよ。

ビーカーに閉じ込められて、脳は完璧な空間、完璧な気持ち良さを味わっているんですね。
死ぬまでこの気持ち良さを味わえていたら、神経を刺激されて味わえているなら、これは最高の人生かということなんですよ。

例えば、コレクターの宇宙人がいて、できるだけ長く自分のコレクションを維持したいという意味で脳をなかなか老いないように加工した場合、人間の脳みそを。
これは幸せなのかなということですよね。

後は、映画マトリックスですね。
ただ快感物質を味わっているのではなくて、機械に繋がれて最高の体験をしている場合、それはどうなんだということです。

コンピュータが見せてくれたバーチャルリアリティの体験、ゲームみたいなこと。
もしくは人によっては「アイドルになりたい」という人は、自分がアイドルだったという想定の夢を見ているかもしれないし、いろんなファンタジーが考えられると思うんですけれども、そうだった場合、それは幸せなのかということですよね。

ある人は、本人は気づかないから幸せではないかと思うかもしれない。
じゃあ、横から見ている僕たちは、あのビーカーの中の脳みそみたいになりたいかということですよね。
羨ましいと思うでしょうか、ということです。

この動画を見ている人の全員が羨ましくないということはないと思いますね。
一部の人はうらやましいと言うと思いますが。

あとは金持ちの猫ですよね。
金持ちの猫になりたいかということです。
贅沢な暮らしができるし、おいしいも食べられるけれども、金持ちの猫になりたいですかということもよく哲学の思考実験の中では出てきますね。

いろいろな意見があると思いますけれど、僕は子供の時とか10代の時はビーカーの中の脳もアリかなと思っていた側ですね。
サイケデリックなドラッグに関心がなかったと言えばウソになるかもしれないです。
お酒も結構飲んでましたしね。違法薬物はやっていないですよ。
もちろんやっていないですし、お酒を飲むのもやめましたけど。3年前くらいからもう飲むのをやめてます。

でもやはり大人になった時に、今こうやって精神科医の仕事をしている中で、自分なりに仕事をしたりとか、責任がある時に、やはりあまりなりたくはないですね。
たとえ苦痛があっても、世の中のために生きたいとは思います。

家族のためとか、職場の仲間のために、視聴者のために生きたいと思うので、いくら完璧な幸せを与えてもらったとしても、やはり他者に貢献できない人生というのはやっぱり残念だなと思います。
それはあくまで僕の意見なので、皆さんが同じような意見を持ってほしいとは思いません。
けれども、僕はそういう風に思いました。

僕自身も色々変遷を経ているんですよね。
自衛隊みたいなところで体を鍛えることで真理に到達したい、みたいな部分もあったようななかったような。
国という大きな組織、そこに軍隊というものも加わって、そして医師という看板までくっつけて設定モリモリの状況で、自分の人生の価値ということを他者に納得させたかったというか。
自分で納得させたかったという部分もあったのかなとは思いますけれども、今はちょっと違いますね。
僕は元々自衛隊にいたんですよ。

快楽至上主義

快楽至上主義というのは、完璧にこれを体験している、もしかしたらしてるかもしれないですけど、もしかしたらこれかもしれないですけど、違うという想定で話しますけど、これを体験できるかというと、実は僕らは部分的にはしてるんですよね。

例えば、お酒を飲んだりとかドラッグを使っている時は、似たような快楽を味わっています。
強制的に快楽を味わっているので、インスタントに疑似体験しているこれを延々と繰り返したいかということですね。もちろん繰り返したい人もいて、それが依存症になったりしています。
依存症という破滅的な終わりを迎えなかったら、皆それをやりたいかというとそうじゃないんじゃないかなという気がします。

後は、何か最高の体験をしたいかという時に、映画を見ている時とかゲームをしている時というのは、疑似的に最高の体験をしているわけですよね。
映画を見ている時は自分が主人公になった気持ちになるし、ゲームをしている時もそうですよね。没入してますからね。
それを100%じゃないかもしれないけれど、最高の体験を擬似的に体験したりする。じゃあこれを永遠に味わいたいかということですよね。
味わいたいという人もいると思いますけど、全員じゃない。

もしくはお金やトロフィーですね。
そういうものを手にした瞬間が気持ちいいのであれば、それをいっぱい手に入れたら気持ちがいいのかというと、また違うんだろうなと思います。
そういう人もいるかなとは思いますけれども。

人生の課題

だから何て言うんでしょうね、何のために生きるか。
いつかは死ぬんですけど、人って。
死ぬまでの間にどれくらいの気持ちよさを味わうかということが幸せの定義だとすれば、人生の定義だとすれば、ビーカーの中の脳が一番良い状況になるんですよね。
これになれないのであれば、アルコールやゲーム、お金などをうまく工夫してインスタントに入れることで、できるだけこれを味わう時間を長くすれば幸福ということになる。
でも、多くの人はそう思わないんじゃないかなと思います。

人生というのは、赤ん坊の時からお爺ちゃんになって死ぬんですけれども、人生の中で何回か課題があって、その課題を乗り越えなきゃいけないんですね。

乗り越える時には苦しいですよ。挫折があったり、否認があったり、落ち込みがあったり、怒りがあったり、いろんなことを体験します。
乗り越えたと思ったら次の壁があって、何個か壁を乗り越えて死に至るという感じですね。

こういう乗り越える楽しさもあるかもしれないし、一方で要所要所で他人の人生と交わっていく、影響しあうというのも人生の意味だったりすると思うんですね。
これらはビーカーの中の脳にはない要素ですよね。

やはり人間というのは、単独でいると何となく羨ましいと思えなくて、群れの中で何か問題を解決したり、自分をアピールすることに幸福を覚える生き物のようですね。
群れの生物だからビーカーを選ばないんじゃないかなと思います。

でも今傷ついている人とか、群れの中で傷ついている人は、せめてビーカーの中の脳になりたいと思ってる人も、この動画を見ている人の中にはいるんじゃないかなとは思いますけどね。

あとは楽しい時間はすぐ過ぎますからね。
本当に楽しいだけの時間だと、すぐ過ぎ去ってしまいますから、時間って。
脳が動かないですからね。楽しい時って。記憶もしないですから、楽しいだけの情報って。
だからそれで人生が終わってもいいのか、ということも考えるポイントかなとは思います。

今回は、快楽と死までの時間というテーマで、快楽至上主義について考えてみました。


2023.7.2

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