本日は「ひきこもり」について精神科医目線で再考してみたいなと思います。
なぜ「再考」と言ったかというと、考えれば考えるほどこの言葉は何かよくわからないなと思ったからです。
そもそも精神科医はあまり「ひきこもり」という言葉を使わないと思います。
聞いたことないと思うんですね。精神科医とひきこもりはあまり相性がよくないと言うか、あまり聞いたことがないんじゃないかという気がします。
ネットの記事を見ても、精神科医がひきこもりという言葉を使っていることは少ないと思うんですよ。
臨床場面でもあまり使わないんですけど、それはなぜかというと、そもそも精神科の病気はたくさんあるんですけど、だいたい調子が悪くなるとみんなひきこもるからです。
調子が悪いとだいたいひきこもってる。
重症の人たちはひきこもっているという感じです。
だから何て言うのかな、ひきこもりという言葉に意味がないというか、何を指しているかよくわからない感じがします。
一般的なイメージで言うと、ひきこもりというと統合失調症とかの症状ではなく、回避性パーソナリティー症とか不安障害とか、あとは親から子への虐待からひきこもってしまっている。
つまり、複雑性PTSDとかが多くて、隠れたところに発達障害の問題があったり、見落とされているけど、統合失調症があったというのが一般的なイメージだと思います。
でもやっぱりうつ病でも双極性障害でも、症状が重かったりするとひきこもりの状態になっているし、パーソナリティ障害であってもひきこもっている。
摂食障害とかアルコール依存症とかもひきこもったりしますから、自宅から出られないことは多いです。
その結果、家族以外とはコミュニケーションを取れない、家族ともコミュニケーションを取れなくなってしまうというのはよくあるので、精神科医的にはあまり意味をなさない言葉という気がします。
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ひきこもりとは?
ひきこもりは厚労省の定義によると、6ヶ月以上家庭内にとどまり、家族以外とは連絡を取らないみたいなもののようですね。ざっくり言うとそういう定義のようです。
ひきこもりというのは症状が多様であり、一言で表せるものではない、みたいなことを書いてあったり全てが病気ではないみたいなことを書いてあったりします。
だから何を言ってるかよくわからんという感じです。言葉としては。
家にいたら全部ひきこもりということになっちゃう。定義が広すぎて議論を深めにくいのかなと思います。
だからひきこもり支援というのが進みにくいのかなと僕は思います。
今回いろいろ調べたりしていく中で、あくまで私見ですけどそんな感じがします。
誰でもひきこもりになるんだ、だから精神疾患じゃないんだみたいな言い方もあったりするんですけれども、それはやはり僕は精神科の患者さんをよく診ているから思うんですけれど、逆差別なんじゃないかなという気がします。
精神科の病気は誰でもなりうるわけですよね。
ひきこもりは誰でもなりうる、だから精神病じゃないみたいな言い方、精神疾患じゃないというのは、精神疾患に対して差別的なニュアンスがあるんじゃないかという気がします。
親子問題が原因でこうなっているとか、親が厳しすぎたからだとか、なかなか社会になじめなかったからだとか言うかもしれないけど、それでうつっぽくなっている、落ち込んでいることをうつ病と言ったり、適応障害と言ったりするわけだから、しっかり診断はして、精神科の領域としてきちんとケアしていく治療していくことが僕は重要なんじゃないかなと思いました。
だからそんな曖昧な言葉でごまかさずに、きちんとやっていくことが僕は重要じゃないかなと思うんですよね。
ひきこもりは国際的な用語じゃなくて、日本独自の言葉なんですよね。
それは世界で見られない、日本だけで見られる、それは日本が苦しいからだとか逆賛美みたいな、逆に日本は辛い国だからみたいな形で、誇らしいというとアレだけど、日本のオリジナルなんだみたいな言い方の文章とかコメントとかも見ましたけど、それはなんか違うというか。
やっぱり国際的に使われている言葉や学術的に使われている言葉を積極的に使っていくというのがとても重要です。
ひきこもりもそうだし、HSP、自律神経失調症もそうだし、ローカルなターム、科学的でない医学用語じゃないタームはあまり良くない気がします。
これがもうちょっと定義が狭ければいいと思うんですよね。カサンドラ症候群みたいな形で。
カサンドラ症候群というのはいわゆる適応障害ですけども、医学用語としては。
だけど発達障害のパートナーだということをベースとした適応障害のことを「カサンドラ症候群」と言う。それは定義を狭めている。
狭めているという意味では良いのかなとは思いますけど、今ある既存の言葉をくっつけて大きくしてしまうと余計な混乱を生む気がします。
ひきこもりに関して言ったら、精神疾患の重症例のものはだいたいひきこもっているわけだし、HSPと言ったら過敏性のASDの要素もあれば、社交不安障害などの要素もあるので、そこを混ぜてやってる感じもあるしということです。
社会的罪悪感
でもじゃあ「ひきこもり」という言葉が悪いのか、本当にそれだけが悪いのか、マスコミが悪いのかというと、そういうわけではなくて、ある種の社会的罪悪感をベースに作られたのかなという気がします。
当時はやっぱりメンタル疾患があまり普及してなかった、精神疾患がよく知られていなかったわけで、そういう差別の言葉がある時に。
でもそういう人たちがいる、苦しんでいる人たちがいる、それを社会的に認知してもらうとか、受け入れてもらうためには、精神疾患とは別のタームが必要だった。「ひきこもり」という言葉が必要だった。キャッチーな言葉が必要だったのかもしれないですね。
それでメディアの人が考えたことでもあるし、その努力なのかなという気がします。
後はバブルの反省とか勝ち負けですよね。勝ち負けに支配され過ぎている感じ。
90年代後半からひきこもりという言葉が認知されるようになるようですけれど、社会的な要素とかもすごく含まれてたんだろうなと思います。
昔のひきこもりというのは、当初はおそらく親子問題からくる適応障害ないし、社交不安障害ないし複雑性PTSDを指していたと思うんですよね。
親が子供に対してしっかりやれとか負けるのは恥だとか、きちんと働けない、正社員になれないのは恥なんだという価値観による摩擦であり、押しつけであり、抑圧から来るうつ状態を指していたんだろうなとは思いますけど。
今だと広がり過ぎてしまって伝えにくい概念になっているなと思います。
でももうちょっと言うとですね。結局この問題は色々あって、精神科医がきちんと神経症を診ていなかった、心理療法をやっていなかったというのもやっぱり背景にあるのかなと思います。
精神科の領域なんだけれども、親子問題とか心のストレスとか悩み事というものを、医学の範疇として、精神科医がちゃんと治療してこなかったこととか、現在も治療していないからこそ、本来であればひきこもりは精神医学領域として扱わなきゃいけないことだったりするし、そこから福祉につなげていくべきことなのに、うまく回ってないんだろうなと思っています。
だから僕らの責任でもあるなと思います。
働けない人は一定数いる
ひきこもりの記事を読んでいると、ひきこもりというのは解決できるものだし、解決しなければいけないものみたいな論説のことがほとんどです。
どうやったら脱却できるのかとか。
でも僕思うんですけど、そもそも働けない人というのは一定数存在するわけですよ、やっぱり。
社会というのはこれだけ大きいので、何%かの人は働けないですね。
病気の中の重症な人、なかなか治りにくい人はやはり社会復帰は難しいですよね。
病気ですからね。どんな病気もそういう部分はあります。
全員が回復していくわけじゃないですから。
だからそういうところも結構重要だと思います。
ひきこもりという概念が広すぎて、うまくいけば全員が社会復帰できるんじゃないかみたいな雰囲気が出てしまうんですけれども、色々な病気の中の重症の人がひきこもってしまっているので、全員が復帰できるわけではないということですよね。
あとはなかなか通院に繋がらないんですよね。受診拒否してるパターンが多いです。
それは親が拒否してるというのもあるし、親が連れて行かない、家族が連れて行かないというのもあるんだけれども、家族がこれは医学の問題だな、通院しなきゃいけないなと思っても、次は本人が行かないということがあります。
なかなか連れ出すことができないわけです。
そういう時に訪問診療をすることになるんですね、本来であれば。
精神科医がそこに行ってきちんと治療するとか、保健所の人たちと一緒に行くべきではあるんだけど、そこがうまく制度としてでき上がっていないですよね。
あとは居場所ですよね。
病気があったとして、重症ですよ、働けないですよというときに、じゃあ彼らに対して本当に日本社会は居場所を準備しているんですかということですよね。
準備してないですよ。デイケアとかも含めてね。
本当に日中活動できる場所を用意しているかというと、十分じゃないと思います。
デイケア、就労継続支援A型B型、就労移行支援、生活自立訓練、地域活動支援センターとかありますけど、やっぱり十分じゃないような気がします。
あとはそもそも精神科の病気だとした時に、全部が薬物治療の適応かというとそういうわけじゃないと思うんですよね。
薬物治療ではない形で精神科の診療をできますかとか、医師が薬を出さずにカウンセリングで治療していますかというと、そういうわけでもないし、薬を飲まないんだったらあなたは通院しなくていいよとかね。
あなたは苦しいかもしれないけど、精神科の患者さんじゃないよね、みたいな形で突っぱねているケースもあると思うんですよね。
突っぱねることが逆に本人を甘えさせないからいいんだ、みたいな教えもあったりするわけで。でもそれってなんかナンセンスだなという感じはします。
やはり重度の社交不安障害の人とか、重度の発達障害の人はなかなか外に出て来ないし、対人不安、人間恐怖みたいなものがありますから、きちっと治療していく。
ただ外来で喋るだけでも治療になったりするので、うまくやるということだろうなと思います。
ひきこもりの支援は国や行政も皆心配しているし色々考えてますけど、それは氷河期世代への罪悪感みたいなところもあるのかもしれないけれど、もうちょっと医学的な観点からやっていくとか、何が有効な手段なのかもきちんと考えるというのは重要だと思いますし、その社会システムも一緒に検討することが重要なんじゃないかなと思います。
ちょっとふわっとしすぎている単語なんじゃないかなと僕なんかは思いました。
でもね、それはみんな知ってるんですけどね。ひきこもりの専門家の人はね。
医師につなぎたいとか言っても、なかなか初診を取ってくれないとか、医療につなげていけないと困っているみたいでよく聞きます。
僕も何かしらアクションは考えていきたいなとは思っています。
今回はひきこもりについて解説しました。
土曜日現代日本の問題を中心に解説していく予定ですので、また来週をお楽しみに。
社会問題・現代精神医学
2023.7.15