本日は「人生のピークはいつが望ましいか?」というテーマでお話ししようかなと思います。
人間というのは、今は苦しいけれど将来はきっと楽になるとか、今はつまらない、今は面白くない、不幸だけど、将来は幸せになれるんだ、そう思った方が幸せなんですよ。
幸せに生きていけるんですね。
逆に今は十分満ち足りている、今は幸せなんだけれども、将来は不幸になるんだろうなとか将来は嫌だなと思っているとですね、やっぱりなんかこう何て言うのかな、落ち込んでいくわけです。つまらなくなってしまいます。
基本的には人間というのは未来志向なので、未来の方が良くなると思い込んでおく方がいいわけです。
実際、未来の方が良くなっていくんですよ。
科学の進歩もあるし、何かしらいろいろな意味で良くなっていくとは思います。
人権の意識や倫理観だって良くなって行っていますから、基本的には未来に行った方が良くなることは、統計的にもわかっているんですけど、なかなかそうは思いにくいですね。
今回はそこら辺の話をだらだらと話してみようかなと思います。
喋りながらちょっと思いついたんですけれども、いつが日本のピークかというと、過去100年、これからの100年のことを考えると、高度経済成長期やバブル前後が日本のピークだったのではないかと思います。幸福度というかね。
ここからは少子高齢化も進んでいきますし、日本の国際的な地位も下がっていくと思いますので、何となくそうなるとなあ、日本がいくら幸せな国、豊かな国だとしても、何となくこうなっていると落ち込んでいきますよね。何となくどんよりしちゃいますけど。
でもまあ、そうなのかなと思ったりはします。
ただ、そういう中でもどういう気持ちの持ち方をすると幸せなのか、一緒に考えていけたらなとは思います。
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益田のピークは?
僕自身のことを言うとですね、70歳ぐらいの時にピークが来たらいいなと思っているんですよね。
70歳くらいの時に本当に意味のあること、自分のオリジナルの本、オリジナルな意見が言えたらなと思っているんです。
精神分析の先生たちは結構長生きの人が多くて、70歳くらいで良い本を書いた人は多いんですよね。
だから自分もそこをピークに、そこで臨床的なことをわかって何か書けたらな、何かメッセージを残せたらなと思ってやっているというのは実はあります。
だから若い時は苦労をしてもいいんじゃないかって思っている。
この図はイメージですよ。
本当にそうなるかわからないし、若いうちに自衛隊にいて自由がなかったり、楽しい思いを制限されてたというのはありますけど、それが将来に活きているからいいじゃないかと思うかもしれないし、うーんとか思ったりはします。
でも、多くの人はこのイメージを持っている、こういう風になりたいなって思ってるんじゃないかなと思います。
普通の人はそんな感じな気がします。
人生のパターン
まずは、ピークが若い時にあるパターンです。
スポーツ選手、アイドル、ロック歌手、ヤクザのような人たち、反社会的な人たちというのは、若いうちにピークが来たりしがちです。
後半になっても出世し続ける人もいますよ。
でも、多くの人は若いうちにピークが来て、例えばスポーツ選手とか全ての人が監督になっていけるわけじゃないので、次のキャリアになったりするだろうし、アイドルの人たちも女優に転向していくとかそういう風に芸能界に残っていく人はごくわずかですよね。
不良の世界、反社会的な世界でも、若いうちはやれるけど途中で捕まるとか、最後まで残っていける人は少ないんじゃないかなという気がします。怪我をしたりとかいろいろあったりして。
かといって、彼らが不幸な人生なのかと言うと、そうとも言えるしそうじゃないとも言えます。
その後にあの時は良かったなということで、若い時のことを悔やみながら生きていく人たちもいれば、切り替えて生きていく人たちもいる。
逆に欲望のままに若いうちにやるので、後半は欲望のコントロールをするすべを覚えられずにいることもあったりするかもしれない。
いろいろなパターンがあります。
でも若いというのは、ここに「時分の花」と書いていますが、能を完成させたと言われる室町時代の能役者、世阿弥が言った言葉です。
若いうちというのは、若さの美しさや勢いがあるんですよね。
それは他のものには代えがたい美しさであって、時に名人を負かすと言ったりします。
若さの持つ美しさというのは、年を取ってから「老骨の花」と言っていますが、「名人の花」や「老骨の花」より勝るかもしれないと言っています。
現実的にマスメディアやいろいろなメディアを見ていくと、若さは美しくて、それがコンテンツの中心にあることはありますよね。
そしてコンテンツを消費する人たちも若い人が多かったりします。
あとは人生がずっと右肩下がりのパターンです。
没落貴族のような生き方とか、病気があって良くなっていかないパターンも確かに苦しいのかなと思います。
総量としての幸せ、没落貴族みたいな形で最後までお金持ちなんだけれども、少しずつ目減りしている状態、親の遺産で食いつないでいくというのは、本当に幸せなのかというと、やはり高齢にピークがある方が幸せな気がしますよね。
その時を楽しんでいく
でもこれは思考実験なので、あまりこれ自体は意味がないんですけれども、結局瞬間瞬間で「時々の初心」と世阿弥は言ったんですけども、ライフステージが変わるごとにその時々の初心になっていくんですよね。
その時はその時の初めてを体験していくので、その時を楽しんでいく、集中していくことだと思います。
人間は常に未来志向なので、未来が良くなると思いながら生活する方が楽しいんですよね。
右肩下がりの人たちの中でも、没落貴族であっても、自分の中ではすごく成長するポイントを見つけているだろうし、病気の人であっても、体は衰えていく体は障害があっても、魂のレベルや気持ちのところでは成長していくポイントを見つけていくだろうし。
若い時のピークがあった人たちもそうだと思います。
昔のように楽しくお酒を飲んだり、金遣いは荒くないかもしれないけど、若い時ほど出来ないかもしれないけれど、自分の中で次の楽しみとか成長ポイントを見つけていくということだと思います。
それはすごく重要で、そういう風に錯覚させていくということ、自分の中でそういう風に思っていくことは結構重要です。
外から見たら違ってもね、外から見たらあの人のピークそこだよねと思っても、自分の中で未来志向が常にあればいいと思います。
あと実際、経済の動きや投資マネーもそうですよね。
未来性のあるところの方が株価が上がりやすい。トヨタよりもテスラの方が上がりやすいですよね。
実際トヨタの方がしっかり売り上げを出していたとして、確実に売り上げがあったとしても、やっぱりテスラの方に流れやすいというのは人間はそういうものなんですよね。
やっぱり投資していく方が浪費していくよりも好きな人が多いですよね。
ギャンブルでさえ投資だと思っている、未来にお金が増えると思うから投資をやっていく。
旅行だって、旅行をすれば自分が変わっていく、学べるんだということで、投資の意味で旅行に行くとかね。
浪費より投資してる方がお金も使いやすいし、楽しめているんじゃないかなという気がしますね。
人間というのはそういう動物的なものがありますよということでした。
人生のピークはいつが望ましいかというと、後半にピークがあるんだと思い込んでおくのは結構重要です。
後半にピークが来るような趣味を持っておくのも重要かなとは思います。
今回は、人生のピークはいつが望ましいか、というテーマでお話ししました。
死について
2023.7.16