本日は「余命1年、何をしたいですか?」というテーマでお話ししようと思います。
自分の人生があと1年しかないとわかった時に、僕らはどういうことをしたいのかを考える。
これは結構思考実験としても面白いし、重要なことなんですよ。なので、今回はそのテーマで皆さんと考えてみたいなと思います。
アンケート結果
事前にアンケートを取りました。YouTubeのコミュニティでアンケートを取ったところ、こんなデータが出ました。
1万票ぐらい集まったんですよ。
18%ぐらいの人は、余命のことを気にせずに今の生活を淡々と過ごしたいと思う人ですね。
家族や友人と過ごしたい、穏やかに過ごしたいという人が36%
貯金を使い切ってやりたいことをしたり、世界旅行とかやれなかったことをやりたいという人が39%
慈善活動をしたいという人が3%
自分の伝記を残したいとか、後世に何かを残したい人が3%
その他が4%という感じでしたね。
僕は結構意外だなと思ったんですよね。
人生もう最後なんだ、もう1年後には死ぬんだと思ったら、淡々とはあるかなと思うけど、もうちょっと慈善活動が多いと思ったんですよね。
そうじゃなくて、自分のために時間を使いたいという人が多いんだなということは結構驚きました。
僕は慈善活動がしたいなと思いましたけど、最後もう死ぬんだったら。
そう思わないみたいですね。なかなか面白いなと思います。
僕はこのアンケート結果を見て思ったのは、これがいいバランスなのかなと思いました。
やりたいことやる人が3~4割ぐらいいて、淡々と日常を過ごしたいという人が5割ぐらいいて、穏やかに過ごしたいというのが5割強いて、世の中のために何かやりたいと言っている人が1割切る感じ、5%くらいいるという感じなのかなと思いまね。
逆に世のためにという人が多かったら、たぶん世の中困っちゃいますよ。
世の中のために変えるんだとか、世の中のために何かしようとか、世の中を変えてやる、今の世の中間違ってると思う人が多かったら革命が起きすぎちゃって困ると思うんですよね。
だからこんなもんなのかな、これがいいバランスなのかなと思いました。
少しずつ「死」を経験している
毎週日曜日に「死」を中心にお話ししているし色々考えているんですよ。
僕がよく言っているのは、死後の生はない、死んだ後は「無」という話とか、心や魂はなくて全て脳なんだとか。
自分達の考えとか気持ちは全て自然現象でしかないですよね。
自由意志というのはどこまで本当にあるのかわからない、文化、カルチャーでさえ自然現象だということを話したりしていた。
寝るとか忘れるということは「擬似的な死」ということを言っています。
意識が消失するということは死ぬということなので、毎晩僕らは死んでいる。
忘れていく変化しているってことは、部分的に自分たちが死んでいるということで、死を少しずつ経験していることもいつも話していることです。
そういう中で余命のことを考えると、何て言うんでしょうね、すでに僕らはもう毎日死んでいるわけで、毎日死に向かっているわけで、最後の1年だからと言って大きく行動は変わらないのかなという気もします。
やりたいことをやれてないというのはあるかもしれないですけどね。
でもどうなんでしょうね。やりたいことをやることが本当に正しいのかというとわからないですね。
やりたいことをやらないことによって、失敗やトラブルを防いでいるわけで、僕らというのは。
やりたいことをやっている結果、芸能人やYouTuberみたいな人たちが後に悲惨なことになっていることも僕らはよく知っているわけで。
運が良ければうまくいくかもしれないし、運が良かった人も没落していくというか、困ったことになっていることを見ていると、やっぱりこんな感じなのかなと思いますね。
毎週日曜日にこういう話をしつつ、僕らはこういう事実を確認しつつ、命のことを考えていく、そして日常に生かしていくということを毎週やっているという感じですよね。
コメント欄でまたディスカッションしましょう。
死について
2023.7.23