本日は「他人からの評価が気になる」というテーマでお話ししようと思います。
他人からの評価が気になる、他人が自分のことをどう思っているのかすごく気になる人は多いですよね。
どういう人が気になるのか、そしてどういう風にしていけばいいのかということをお話ししようかなと思います。
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ほとんどの人が気になる
まず、他人からの評価が気になるというのは、ほとんど全ての人がそうですね。
例えば10代の脳というのは、他人のことが気になって気になって仕方がない脳みそだと言われています。
思春期をきっかけに脳が成長するんですね。爆発的に成長する。
そして今まで考えられなかった抽象的な概念を扱えるようになるんです。
そして、抽象的な概念を扱えると同時に、性ホルモンの影響が強くなるんですね。
なので性欲が高まってくる。
そうすると、異性愛者であれば男子は女子、女子は男子にどう思われているんだろうということが気になるし、そして同性間の中で自分が優位に立ちたいと思うようになります。競争意識が芽生えていく。
性ホルモンの影響で、その集団の中でのトップに立ちたい、できるだけ人気を集めたい、できるだけモテたいと思うようになる。これは10代の脳の普通の姿ですね。
今まで考えられなかったことも考えられるようになるわけです。
あいつは自分のことを友達と思ってくれているけど、裏では何て言っているんだろう。あいつは本当に俺のことを友達と思っているのかな。俺がいない時に友達同士で悪口を言ってないかなとか、そういうことを思うわけですね。
実際、自分も言っちゃうわけですよ、友達のことを。
けなしたことを言いたくなるわけですよ。競争意識もあるからね。
そうすると自分も言ったってことは相手も言ってるのかなとか、色々なことを考えるわけですね。
この強烈な他者への関心という時期、10代の強烈さ、他者への関心というものがなければ、その後の20代、30代、40代と複雑な人間社会の中で生きていくことが難しいですよね。
その後、20代、30代、40代になるにつれて、他人への関心は失っていくんですけれど、それでも10代の時に学んだこと、身につけたことというのは後々も活きたりするので必要な葛藤なのかなという気がします。
なぜ他人からの評価が気になるのか
なぜ他人からの評価が気になるのかというと、まず自他の区別がついてないんですね。
自分のことと他人のこと。
これは自分のことなんだ、自分はこれをやればいいんだ、ここから先は相手の問題なんだという区別がついていないんですよ。
味方なのか仲間なのか、敵なのか敵じゃないのか、敵だけれど手を取り合うのか、ぐちゃぐちゃしているんですよね。
そこら辺の経験と知識が足りなくて、自他の区別がなかなかついていない。
人間社会とか人間が群れであるということ、その全体像とか変動する感じ、群れが動いていくダイナミクスというのが全然理解できていない。体感的に理解できていないんですよね。
そのダイナミクスを第三者視点で見ると同時に、自分は同時にそのダイナミクスの中の一つの歯車であり、そこの中の一登場人物でしかないんだけれども、これが難しくさせるんですよね。
中にいながら外を見れるような感覚というのが、理解するのに時間がかかっていたりします。
自体の区別がついていない。
結局、やるべきことに集中できていないんですよね。
人類は分業制なわけですよ。当たり前と言えば当たり前ですけど、人類は分業しているんですね。
ある人は野菜を作る、ある人は魚を獲りにいこう、ある人は釣った魚と野菜を交換しよう、ある人は子供を育てよう、ある人は子供を教育しよう、ある人は老人となっているので自分たちの体験を子孫に語り継ごう、ある人は語り部となって本を書こう、そして僕みたいに精神科医というのは精神疾患の患者さんを治療していったり、治療で得たノウハウや心について学んだことをこうやって社会に還元していったりしていく仕事だったりします。
人類は分業制であって、基本的には競いあうものではないんですよね。
与えられた、分業された役割を精一杯やればいいわけですよね。
だからそれがやるべきことに集中するということなんだけれど、子供の時、10代の時はまだ分業化がされていないわけですよ。
自分がどこの場所に行くのかというのが分かっていないので、やるべきことに集中できず横が気になったり、お前があっちに行くなら俺はこっちかなとかやったりしている。
他人からの評価が気になる疾患
その後も他人に対して評価が気になる疾患はないのかと言うと、例えば、社交不安障害や回避性パーソナリティ障害の人は、他人からの評価はめちゃくちゃ気になります。
すごく気になるし、失敗や恥を過度に恐れたりします。これが病的な評価の気になり方です。
その結果、評価されないように見られないようにひきこもってしまうこともあったりします。
重症化するとそうなっていくという感じです。
あとは発達障害の人ですね。
発達障害の人たちは、他人とコミュニケーションをうまく取ることが難しいんですよね。
難しい結果、大きなトラブルを起こすんです。大きなトラブルが起きると、それはトラウマとなって忘れられない。
忘れられないから何度も確認してしまったり、また起きるんじゃないかと思ってビクビクしたり、そういうことになったりします。
他人からの評価を常に気にするんだけど、他人というものを正しく捉えたり、社会というものを正しく捉えたりすることが難しいので、間違った理解をしてしまって、また次の問題を起こすということが起きたりします。
あとは何かしらのパーソナリティ症ですね。
自己愛性でも回避性でも演技性でも境界性でもいいんですけれど、何かしらのパーソナリティ症は、人格や人間のあり方への誤解があり、自分自身も変わっているので、他人をどういう風に理解していけばいいのか、他人をどうコントロールしていけばいいのかがよくわからずに気になっている。
トラブルも起きるので、気になることが多いかなと思います。
息をするように自然に他人と仲良くし、自然に他人と協力し合うということが難しいんですよね。
頭を120%使わないと、他人と協力し合ったり、仲良くすることはできないんです、こういう人たちは。
なのでとても苦しい生き方なんじゃないかなと思います。
これはもう脳の特性上、仕方がないと言えば仕方がないですね。
120%使わないと他者と仲良くできない。他の人は60%、50%の労力で、息を吸うように自然と雑談ができて、他人とコミュニケーションを取って仲良くできるにもかかわらず、彼らは120%くらい使わなきゃいけない。
だからそれが楽になるように知識をつけたり、トレーニングしましょうよというのが精神科の治療だったりします。
よくあるストレス
なぜ他人からの評価が気になるのかということですけど、またこの三すくみ、よくあるストレスの悩みを持ってきました。
全部つながっているんですよね。
思い通りにならない、自分のことを思い通りにできない、他人のことを思い通りにできないから悩む。
そんなのを放棄しちゃえばいいんですよね。
自分のことを思い通りにしてやろうとか、他人のことを思い通りにしよう、コントロールしようという欲望なんか捨ててしまえば楽なんだけれども、ついつい人は痩せたいとかカッコよくなりたい、成功したいと思ってしまうわけですよ。
でも、なぜそうなのかというと、自分は劣っているからだと思うんですよね。
自分はダメです、駄目だから努力しなきゃいけない、自分のことを愛せないからそう思っていることもあるし、トラウマですよね。
自分をコントロールしないと、痩せないと愛してもらえない、勉強がうまくいかないと、成功しないと親から認めてもらえないとか、そういうのがあるので、これが起きていたりします。
思い通りにしなきゃいけないとコントロール欲が強いかもしれない。
でもそもそも親から愛されなかったというトラウマがあるから劣等感が強くて、劣等感が強いからなおさらコントロールしたい、成功するために努力をしたい。
だけど、努力をどれだけしても、自分が満足するだけの努力はないわけですよね。
結局、このトラウマを消すための成功はたぶんはるか上なので、キリがないわけですよ。
キリがなかったら極限まで努力しなきゃいけないんだけど、極限まで努力するなんて無理なわけですよね。
そんなの机上の空論みたいな。
でも机上の空論まで自分をコントロールしたいという、摂食障害の人にあるようなものがあったりします。
全部つながっていますよね。
他人からの評価が気になるというのは、一見トラウマの問題のように見せかけて、実は劣等感の問題だったりもするし、コントロール欲望の問題だったりもするし、という感じですよね。
あなたは誰からの評価を気にしてるの?と言うと案外言えず、「やっぱり自分が自分を認めてあげたいんです」みたいな言い方をするし、何でそんなに自分のことをコントロールしたいの?と言うと、「いやいや、私はダメなやつだからです」と。
何でダメなやつなの?と言うと、「自分をコントロールできないからです」とかね。
こういうシステムが生まれているなとは思います。
人間というのは一つの動物なわけで、原始時代から生きているわけで、その時から他人のことに興味があったり、気になったりしているわけで、キリがない。
原始時代は現代ほど分業化が進んでいないんですよ。
マルチタスクが求められていた時代です。
狩りをしたり、洋服を作ったり、いろいろなことしなければいけなかったのですが、今はもっと分業化が進んでいますから。
当時の方がやっぱり人からの評価が気になりますからね。
法律もないから、下手したら村人からs嫌われたら殺されたり追放されたりするわけですから。現代はそんなことないので、そこまで人を気にしなくてもいい。
自分のやるべきことをやれば別にいいわけで。
やれることをやればいいわけで。人権が認められているので。
生活保護もありますから、そんなに無理をしなくても良いという感じだろうなとは思います。
今回は、他人からの評価が気になる、というテーマでお話ししました。
人間関係
2023.8.8