本日は「自殺はなぜダメなのか?」というテーマでお話しします。
こういうテーマで話をする場合、必ず反論があると思います。
いや益田、何を言っているんだ?と。
スイスや最近ではフランスでは安楽死が認められるようになっているじゃないか、と。
なぜそんなことをお前が言えるんだ、ということです。
本当に苦しい人であれば、一部認められても仕方がないのではないか、ということです。
そういう話を臨床でよくやるんです。
だけど少なくともあなたの自殺は認められないですよ、あなたの安楽死は認められないと思いますよ、ということを僕は言いますね。
今回は総論です。
総論として、なぜ自殺はダメなのか、ということをお話しします。
確かに一部の自殺は認められ得るかもしれないです。
ただ日本では自殺というのは認められていない、安楽死は認められていないですね。
そのことをお話しします。
合理性
まず自殺はなぜダメなのかというと、その判断というか、その行為自体が合理性を欠く、ということが言えます。
本当に合理的な行動なのかということです。
例えば、その苦しみは永遠に続くのかということです。
本人は永遠にこの苦しみが続くので、死んでしまいたい、もうやめたいという風に思っている。
でもこれが一時的なものであったら、今苦しいかもしれないけれど、治療によって苦しくなくなるのであれば、良くなっていくのであれば、自殺というのは合理的な行動とは言えないですよね。
永遠なのか永遠でないのか、というのがポイントです。
例えば、末期がんの人や終末期の人で痛みが強すぎて穏やかに過ごせないのであれば、自分の判断で死を選びたい。
ALSとか、良くならないことがわかっている、自分の体の自由が利かなくなってきて、生きていることが苦痛だ、呼吸をしているだけになってしまう時に、コミュニケーションを誰とも取れない状況で、孤独で苦しいのであれば殺して欲しい、死んでしまいたいという時に、そういうものであれば一部認められるかもしれないですよね。
永遠に続くのであれば。
だけど今あなたの抱えている問題は、永遠に続かない可能性の方が高いということになります。
少なくとも精神疾患はそういうことが多いです。
もちろん精神疾患の一部も認められ得るのですが、多くの臨床で語られる苦しみというのは永遠じゃない可能性の方が大きいです。
うつ病だったら良くなるし、統合失調症の幻覚妄想での苦しみ、躁うつ病のうつ状態による苦しみ、病気が再発し繰り返すことへの苦しみ、トラウマの苦しみ、誰からも認められない苦しみ、色々ありますが、それは永遠じゃない可能性の方が高かったりします。
合理的じゃないということです。
では、耐えがたいほどの苦痛なのかということですよね?
永遠じゃないかもしれないけど、その一瞬、その数ヶ月が苦しいのであれば耐えられないんじゃないか、と。
その後いくらご褒美のように良い瞬間があったとしても、この1年が耐え難いんだ、ということですよね。
だから死んでしまいたいということですよね。
でもこれも難しいですよね。
末期癌ほどの苦しみ、永遠に続くような苦しみではないかもしれないけど、病気というのはもう治らないですよね。
双極性障害とか統合失調症とかパーソナリティ障害、発達障害、知的障害というのは治らない可能性があるじゃないか、ずっと続いていくじゃないですか。
この状態で自分は生きていくということが、今すぐ死んでしまいたいという程切迫的なものじゃないかもしれないけど、これがずっと続いていく人生というものを受け入れ難いんだと言った時に、それはどうなのかということですよね。
それは本当に耐えがたい程の苦痛なのか、耐えられないんじゃないか、と。
耐えられると何を根拠に言ってるんだという意見ですよね。
確かにな、と。
後はよく言われるのは、判断する主体の意志は正常か否かです。
死んでしまいたいと思っている時に、それはうつ病の症状としてそう思っているんじゃないの、双極性障害のうつ状態だからそう思ってしまってるんじゃないの、躁うつ混合状態だからそういう風に思ってるんじゃないの、統合失調症の幻覚妄想状態で正常な判断が利かなくなっているからじゃないか、発達障害のこだわりでそこばかり集中してしまって、そこに囚われているんじゃないか、トラウマに囚われているんじゃないか、ということです。
病的な状態で正常な思考ができていない時であれば、それを本人の意志として認めていいのか、認めてはいけないんじゃないか、という問題もあったりします。
それが合理性の問題だったりします。
色々思いますが、やはりこの正常か否か、その時の本人たちの気持ちというのは、それは異常だ狂気だという形でピシっとはねのけるのではなく、やはり個別に見ていく必要がありますし、きちんと語っていくべきなのかなと思います。
今週はちょっと総論的に話をしますが、来週以降は疾患ごとの希死念慮をもうちょっと深く掘り下げていこうと思います。
僕は倫理学者でも哲学者でもないです、もちろん。
自殺のことに詳しいとか、死とは何かを詳しく知っている人間ではないんです、もちろん。
宗教者でもない。
ただ、個別の話はよく知ってますし、個別の疾患のことはよく知っているので、総論的に答えるのではなく、自殺と人類みたいな壮大なテーマで話すのではなく、来週以降は疾患ごとのことをちょっと話していけたらなと思います。
そうすれば、それがどういうものなのかもっとリアルに伝わっていくんじゃないかなと思います。
僕が思うのは、やはりこの問題の中にあるのは、社会側が変わっていくことによって解決できることもたくさんあるんじゃないかなということです。
新しい薬ができることによって良くなっていく。
社会が変わっていく、障害をもっと受け入れていく、社会がインクルージョンをしていくということです。
差別偏見をなくしていき、孤独感を癒していく。
社会が変わっていけば、彼らの死にたくなるほどの苦しみや苦痛、悲しみがやはり軽減されるんじゃないかなと思います。
やはり一昔前はLGBTQのような性的マイノリティの人は、差別があり、苦しんでいました。
今でもそれはなくはないですけれど、でもだいぶオープンにしやすくなっています。
この何十年かで、だいぶ生きやすくなってきているとは思うんです。
そういうもの、彼らの頑張り、やってきた行動、社会に与えてきたアクションを僕らも学んでいき、それを応用していくことで、精神科の患者さんや発達障害の人たちが生きやすい社会をつくっていくべきなのではないかなと僕は思ってます。
僕とというか、僕らは思っているという感じですね。
こういう活動をニューロダイバーシティと言うんですけど、それを推進していけば彼らの持っている孤独や苦しみはもっと軽減できるんじゃないかなと思います。
だからちょっと待ってくれ、という感じです。
病気は良くなるから待ってくれ、社会を変えていくから待ってくれ、という感じですね。
君たちが大人になるまでにはもっと良い社会に変えていくよ、ということです。
実際変わってますよね、この1年2年でね。本当にそう思いますね。
YouTubeとかSNSの影響で変わっていくと思いますね。
道徳性
あとは道徳性の問題です。
自殺はなぜダメなのかと言った時に、合理的な判断だけではなくて、道徳の観点から見ても否定され得るかもしれないということです。
神様はそもそも許すのかということです。
人間社会の判断は、宗教やその民族が持つ文化的な影響を大きく受けます。
わかりやすい言い方をすれば、神様という存在を僕らは創造し、それを文化や社会の仕組みの中に取り込んできました。
一神教の神様であれば自殺は基本的に禁止しています。人間の命というのは神様の所有物なので、人間個人が勝手に死んではいけないからです。
日本であれば神様というものが明確にないので、先祖とかご先祖様の霊魂と言ったりします。
霊魂が神様に該当するのかなと思いますが、先祖に顔向けできないという形ですよね。自殺をしたら先祖に顔向けできないということがあったりするので、そういう意味からもダメと言えます。
先祖とか考えたらわかりやすいんですけど、社会への悪影響ですよね。
人様に迷惑を掛けるなということです、日本的に言えば。
自殺というのは人に迷惑を掛けてしまうんです、どうしても。悪影響を与える。
本人は苦しんだけれど、その本人が死んでしまうことによって、周りの人に影響を与えてしまう。
周りの人も悲しむ。周りの人が心をえぐられるように苦しんでしまう。
周りの人がトラウマを持ってしまう。
色々な意味で悪影響が出てしまうので、そういうことは許されるべきではないという道徳的な観点です。
これを言うとすごく厳しく聞こえるかもしれないのですが、道徳的な観点は基本的には自己中心的な行動よりも脱自己中心的な行動や価値の方が尊ばれる傾向があります。
益田個人の意見じゃないですよ、ディスカッションとしてはこういうことがよく言われてます。
社会に傷付けられたんだから、最後くらい社会に仕返しさせろよ、という風に思いたくなる気持ちもよくわかります。
でもいずれにせよ、もうちょっと個別に見ていくのがいいんじゃないかなと思います。
治療によって良くなっていくんだということを知ってもらう。
今の判断は正常じゃないかもしれないから、少し待とうよということをきちんと伝えていく。
そして今抱えている問題は、その病気だけじゃなくて、社会の問題であるのであれば、一緒に解決していこうと思っている、社会を変えていきたいと僕らは思っているんだということです。
この活動も社会を変えていくための一つだと思っていますから、少なくとも100年後は精神疾患や発達障害の人とか、もっと社会に受け入れられていると思います。
人類はだんだん道徳的、倫理的になっているので、そういう仕組みを社会に実装してきていますので、100年後は平和が続いているのであれば、そういう風に変化しているはずです。
ゴールはそうなるのはわかっているので、僕らが生きている間に変化できるように手前に引き寄せて行く努力をしていきたいな、と思っているという感じです。
自殺はなぜダメなのかというテーマで、合理性の観点から、また道徳性の観点からざっくり意見を述べました。意見というか、ディスカッションをしてみました。
死について
2023.8.13