本日は「松尾芭蕉」を取り上げてみようと思います。
毎週金曜日は倫理、哲学など精神医学の背景となる思想体系を学ぶということをやっているんですね。
7月から日本の芸術家及び美意識というテーマで、代表的な日本のアーティストを取り上げて、彼らの思想とか変化および社会背景を解説するということをやっています。
一番最初は平安時代、古今集の紀貫之を取り上げました。
次に、平安時代後期及び鎌倉時代初期の西行を取り上げて、室町時代の観阿弥世阿弥の世阿弥を取り上げました。能の世阿弥です。
次に戦国時代の千利休、茶道を確立した千利休を取り上げました。
前回が戦国時代末から江戸時代初期に活躍した宮本武蔵です。武道というものを確立した宮本武蔵を取り上げました。
今回は江戸時代初期ですね。
宮本武蔵が亡くなったのは1645年かな。その直前に生まれた松尾芭蕉です。
芭蕉が生まれた時にはもう戦国の影響から江戸の安定した体制に移っている時代になりますね。
人口がすごく増えたし、農村も豊かになったし、田んぼも増えたんですよ。
人口が当時3000万人くらいです。
今回、この松尾芭蕉の価値観に触れつつ、それをどうメンタルヘルスに活かすかを一緒に考えていけたらと思います。
■松尾芭蕉
松尾芭蕉ですね、生まれが1644年です。
伊賀の国で生まれたんですよ。伊賀の国で生まれたので、松尾芭蕉は実は忍者だという忍者説というのが時々出てくるのですが、もちろん関係ないですね。
伊賀の国で俳句や和歌を学びました。
一念発起して1675年、31歳の時に江戸に出てくる。
江戸で俳句とかを教えながら生計を立てていたんですけれども、36歳ぐらいの時に江戸のはずれの新川で小さい庵を建てて、そこで暮らすようになるんですね。
西行を真似ているんですよ。
俗世間から離れて侘び寂びを追求することをやります。
旅を繰り返すようになるのは、40歳ぐらいからなんですよね。
1689年に「おくのほそ道」の旅に出る。
「おくのほそ道」という有名な歌と紀行文を合わせた古典があるんですけれども、その紀行文のモデルになった旅に1689年に出るんですね。
3年ぐらい京都にも滞在したりしながら、まあ92年ぐらいに帰ってくる。
江戸に帰ってきて94年に亡くなるという感じです。
死ぬ直前まで「おくのほそ道」の紀行文を推敲していたんですね。
歌もその場で詠んだものではなく、帰ってきてから推敲して練り直したり書き直したりしているんですよ。
なので完璧なリアルな紀行文ではなく、書き換えたりしてよりフィクションも交えているということになりますね。
だからおくのほそ道はそのままリアルな日記ではなく、半分フィクションが入っているという感じです。
死後に出版されるということになります。
これが松尾芭蕉の生きた時代とやったことです。
■不易流行、軽み
松尾芭蕉の美意識の中枢、本質的なところは何かというとですね。
よく学者の人が言うのは「不易流行」と「軽み」です。
不易流行を芭蕉は意識したんです。
不易、変わらないものはない。
時は流れ、流行というものがあるよということです。
時間の変化に合わせて世の中は変わっていく、人々の考え方も変わっていく、変わらないものは何一つないんだという不易流行という思想というか概念というか価値観というか美意識があったりします。
ただその不易流行の中でも一本貫くものがあるんじゃないか、ということを芭蕉は考えたみたいです。
西行の和歌のように、宗祀の連歌のように、雪舟の絵のように、利休の茶道のように、私は新しいジャンルである俳諧というものを高めていくという意志があったようです。
俳句は和歌から生まれてきた新ジャンルなんですよ。
YouTubeみたいなものですね。新しいジャンルなんですね。
新しいジャンルを体系化していったということなんですけれども、新しいジャンルながら、でも私は過去の連続の中にいるんだよということを言ったということですね。面白いよね。
「おくのほそ道」の最初は、漢詩の李白の言葉を応用しています。
「月日は百代の過客にして行き交う年もまた旅人なり」という文章から始まります。
「百代の過客」というのが李白から来ています。百代、とても長い時間です。月日は主人ではなく客、過ぎ去る客。行き交う年月もまた旅人なんだ、出ては消えて出ては消えてる月日も客なんだよと。過ぎ去る客です。
長い間客をやっている。そして行き交う月日も旅人なんだということですね。
時間も旅であるということ。
だから人生の本質は何かを得るとか、そこに居座るとかではなく、ただただ流れていく旅のようなものだということを芭蕉は捉えたという感じですね。
無常観というか。
そこの潔さというか、そこを受け入れる感じがやっぱり日本の美学というか、美意識としてしっくりくるという感じですよね。
それは戦国時代とか荒れた政治の中だから、政治が荒れていたから、そういう美意識を持っていたわけではなく、平安の世であっても松尾芭蕉のようにやっぱり日本人というのは無常観をしっかり抱える。
無常観の中に美しさを見出すことができたということにもなりますね。
■軽み
後は「軽み」ですね。
派手派手しい言葉を使うなということですよ。簡単に言っちゃえば。
本歌取りをしたりとか、古語を使ったり、いかにもみたいな言葉ってあるんですね。仰々しい言葉。
そういうものは使わずに、日常語を使いながら日常の中にあるささやかな美しさを描写していくのがいいよ、みたいなことを松尾芭蕉は言ったんですよね。
だから「軽み」というのは大事だよと。
小難しい言い方をして、知識をひけらかすような文章とか仰々しいやり方はできるんだけれども、そうじゃなくて、どこか軽みのある感じで、元々俳句はギャグみたいなところからスタートしていますから。
そこを芸術まで持っていくんですけども、そこに仰々しさを追求しすぎないということが重要だったりするということですね。よく分かりますね。
僕もよく思いますね。批判になっちゃいますけど、医者の世界でもそうですね。
カタカナの言葉を使ったりとか、小難しい言葉で心のことを説明したりとかあるし、海外のものをすごく喜んで発表したりしますけど、実際何をしているのという感じのことはいっぱいあります。
もっと日常語で日常の困りごとをしっかり軽やかに扱うってことが重要だったりするんだけども、それができないかったり。
あとはカウンセリングで癒せるとか、心のことをわかればきちんとこの悩みは解決するみたいな言い方しますけど、それもちょっと仰々しすぎるなという感じします。
言語的介入の限界はあるわけで、言葉で全て治せるわけじゃない。
カウンセリングをやったからとか、しっかり話を聞いたからとか、しっかり向き合ったから心が癒されるとか、そういうものでもなかったりします。
そんなマジックみたいなことは起きないわけですよ。そこら辺の現実感が大事だったりします。
芸術だからとかなんとかだからと言って仰々しくやるのではなく、軽みは結構大事ですね。
かといってその軽み中にも決して人生を否定するとかそういうことではなく、自分たちを卑下するのではなく、ささやかな中に幸せというか、美しさを描写するということだったりしますけどね。
今回は、松尾芭蕉を取り上げました。
実は次からがちょっと困ってるんですよ。
夏目漱石を取り上げるか太宰治を取り上げるか、もしくはちょっと別の人、日本の美術ではないところを攻めるかちょっと悩んでいるんですけど。
勉強もしなきゃいけないんでどうしようか迷ってますけど、まあそんな感じですね。
とりあえず今回は、松尾芭蕉を取り上げました。
古典
2023.8.25