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夏目漱石とメンタルヘルス

00:00 OP
01:23 振り返り
06:01 夏目漱石
08:26 思想のテーマ
11:13 同時代の作家
15:24 日本の状況

本日は「夏目漱石」を取り上げようと思います。

毎週金曜日は思想や哲学を扱っているんですけれども、今回は夏目漱石ということです。
なぜ思想や哲学を取り扱うかというと、精神科はカウンセリングをするんですよ。
薬物治療だけではなくて、カウンセリングなど言語的介入によって本人の認知のゆがみや正しくない行動をしているのを変えていく。
価値観や思想を、病的な思想から健康的な思想の方に誘導していくということをしていくわけです。
また、福祉を導入したりするわけです。

カウンセリングや福祉の背景には、どうしてそういうことをするようになったかという倫理学とか哲学的な理論があるわけです。
倫理や哲学を学ぶにはその背景となった歴史や思想家のことを知らなければいけないので、毎週金曜日はそういう意図もあってやっているという感じです。

振り返り

7月から日本の美学というテーマで扱っていまして、日本の美意識を作ってきた偉大なアーティストを取り上げてきているんです。第1弾は紀貫之です。平安時代に平仮名文化の中で和歌を詠んだ、古今集を作った紀貫之を取り上げました。
第2弾は西行です。旅をしながら和歌を詠んだ。侘び寂びの始まりです。

次は室町時代ですね。室町時代に活躍した観阿弥世阿弥の世阿弥を取り上げました。世阿弥は能ですね、身体を使いながら表現していく。禅の世界や美を表現していくんですけれども、その世阿弥を取り上げました。
世阿弥は美の伝達をしてきた。弟子をしっかり育てようということで、風姿花伝という書籍を書くんですよ。一家相伝の。
どういう風に人を感動させるのか、美とは何かというのが書かれていて、美意識を言語化した、体系化した人でもあります。

次は千利休です。戦国時代に活躍した千利休を取り上げました。
千利休は茶道を通じて日本の美意識というものを高めていった。侘び寂びをしっかり言語化して体系化してきたというのがあります。

それまでは、権威や美学というものは貴族がやるものだったんですよ。天皇とか天皇の周りにいる貴族がやっていて、実際の軍事力や実務を扱っていた、政治的なことをしていたのは武士だったわけですね。
武士たちはお伺いを立てなければいけなかったんですね。
どういう風に生きるべきかを天皇周りの人たちに聞かなければいけなかった。

どうにかして、自分たちのカルチャーを作れないか、自分たちの生き方を自分たちで定義できないかという時に、「武士道」というのが生まれてくるわけです。
戦国時代から江戸の初期に活躍した宮本武蔵がいますね。
宮本武蔵は武士道というものを体系立てた。
「五輪の書」で剣とは何か、武士とは何かを言語化してきたということです。

そして、江戸時代の初期ですね。安全な時代に活躍した松尾芭蕉を前回取り上げたんですね。
松尾芭蕉は「侘び寂び」だったり、「軽み」や「不易流行」、そういうことを言いました。
侘び寂びとか世の中の変化とか、そういうものを説いていった感じです。
仰々しくせず、ちょっと軽みも大事だよと。日常の言葉を使っていく。
日本らしさ、ファニーな感じ、ユーモアも大事というようなことを言ったんですよね。
そういうのもだんだん日本の美学とか美意識が確立されたという感じがしますよね。

今回はその後、明治に活躍した文豪夏目漱石を取り上げるということです。

順調に日本の美意識を作り上げてきたんですけども、ここで明治維新が起きるわけですね。
西洋の人が来てがつんと日本は頭を砕かれるんですよ。

叩かれて、「今までのやり方じゃいかんわい」と言って、「俺たちと同じやり方をしろ」と言って、西洋文化を無理やり飲み込まされるんですね。
そういう中で日本の今まであった美意識を一回否定される。

否定された中で、じゃあ自分たちはどういうことなんだろう。
自我とは何なんだ。個人とは何なんだということを、西洋が何百年もかけて考えてきたことを、急激に飲み込まされるようになってしまう。その時に葛藤したのが夏目漱石だったり、近代に活躍した文豪です。

夏目漱石

夏目漱石の生まれは1867年で、1893年に東大を卒業して学校の先生をやっていて、1900年に官命でイギリスに留学します。
留学している最中に神経症を悪化させます。
帰ってきた後に「うーん」とか唸りながら「吾輩は猫である」を書いて、そこから専業作家になっていって、1914年に「こころ」を出版し、1916年に亡くなるという感じですね。
結構短いんですよね。

作家として活躍したのは10年くらいです。10年ぐらいしかないんですよ。結構短いですよね。
1905年に「吾輩は猫である」を書いたのが38歳だから、今の僕よりちょっと下くらい、同年代くらいですよね。
その9年後には最後の書籍ですからね。
短い人生というか、短い作家業だったなという気がします。

僕もあと10年でもう精神科医引退かと言われると、長いような短いような、短い感じはしますよね。

夏目漱石は結構面白い話が多くて、精神科医の中では有名なのが幻聴です。
夏目漱石は実は幻聴があったんじゃないかというのは精神科医の中ではよく話題になるテーマです。
被害妄想を持ったり幻聴があったりしたようです。

実際、家族やお弟子さんたちに対してDVをしてしまうんですよね。そういう人でもあったわけです。
そういう点でも色々考察したり、研究しがいがある人物だなと思います。

あと、「坊っちゃん」の主人公なんてADHDっぽいですね。
色々な部分で精神疾患の存在を垣間見えます。

思想のテーマ

夏目漱石の思想のテーマとして3つ取り上げます。

僕が取り上げるというよりは、教科書にあったのでテストに出やすい部分ということでしょうね。
資料集にあったものを引っ張ってきますけど、まず重要語句として1つ目は、「外発的開化」と呼ばれます。

日本というのは西洋によって無理やり思想を注入された。
個人主義とか自由主義とか無理やり思い込まされた。
人権とかそういうものは西洋から直接やられて、見よう見まねでやらされたという背景がある。それを「外発的開化」と言います。

自分達で発見していったとか、自分達が学びながら身につけたのではなく、強制的に、西洋に追いつくために、侵略されない為に西洋の文化を無理やり取り込んでいった。猿真似を始めたみたいなことを言っていますね。
その結果、日本人というのは、生活から信条や美意識が失われ、全員不安や孤独、虚無感に苛まれているのではないか、ということを夏目漱石は言っていました。

そういう中で、人間というのは「自己本位」であるべきだということを言ったわけです。
個人主義をちゃんと守ろうと。
他人の言うことを聞くとか、他人の目を気にするのではなく、自分の個性に即し主体的に生きていこう。自分らしく生きていこうというのが「自己本位」です。
今では当たり前のことじゃないかという感じがしますけど、当時としては凄くセンセーショナルな言葉だったと。

その中でですね、自分らしく生きていい、自分を中心に考えてもいいんだけど、ただ「則天去私」だよと言ったんです。
つまり、小さな自分を捨て去り、天、運命や自然に従って生きる姿勢と書いています。
エゴイズムではないんだと。自己本位でありながらもエゴイズムじゃない。
自分の利益に即して生きるのではなくて、運命に従って生きることが大事なんだよと言ったわけですね。

夏目漱石の小説の中では、「こころ」もそうなんですけど、自分の欲望を満たしたいという葛藤と、世間の圧や正しくあらなければいけないという倫理的な側面との葛藤が描かれています。

エゴイズムではなく、運命に従っていく。
「則天去私」じゃないといけないと夏目漱石は言っていたということです。

同時代の作家

同時代の作家としては森鴎外という人がいまして、この人も「諦念」という言葉を言っているんです。
運命に即して、ある意味諦めて、運命を受け入れていきましょう、ということを言いました。

森鴎外はもともと代々医者家系で軍医でもあるんですね。結構偉くなるんですよ。
陸軍の医療系のトップに立つ。

その時脚気について皆悩んでいて、脚気の原因がわからなかったんですよ。今だとビタミン不足だとわかっているんですけども、その当時はわかっていなくて、海軍の同じ軍医の偉い人は、西洋食を食べたらいいので、もうちょっとビタミンがある食事をとろうとか、バランスよく食べようとか麦飯を食べた方がいいとか言ったりしてたんですが、森鴎外は「いや、脚気は菌によって起きるんだ。脚気菌というのがあってそれが伝染することで脚気になるんだから、麦飯じゃなくて白米の方がいい」ということを言って戦って、森鴎外は勝っちゃうんですよね。白米に固執するわけですよ。

当時の人たちは麦飯なんか食いたくないんですよね。白米食わせろという感じで。
全国から色々な人を集めて軍隊を作っていく中で、飯の問題が大事だよ。麦飯を渡していたら怒っちゃう人もいるわけですよ。そういう政治的というか、そういうこともあって麦飯じゃなく白米を推奨してたんですけども、結果的に日清戦争や日露戦争では脚気で亡くなる人も多かったということです。

医療系の中では森鴎外は人気がないんですけれども、よく反省の材料として言われるんですよね。
自分の説を押し切るのではなく、客観的な事実を重視しろよと。

こういう説だからこうなんだという説を重視するのではなくて、医学は実学なので治ればいいんですよ。
治ればいいので、何とか説ではなく、結果いい方を選びなさいということの教訓の例なんですよね。
森鴎外はそれで有名という感じです。

もうちょっと教科書から引っ張ってきますけど、近代の文学者には色々な人がいて、ロマン主義、自然主義、反自然主義、白樺派と4つに分かれるみたいですね。

「ロマン主義」というのが与謝野晶子とかです。自意識に目覚め、開放的な自由を求めた文学の潮流。
人間はもっと自由であるべきだということです。

「自然主義」は赤裸々に自分の姿を出すこと。島崎藤村や国木田独歩たちです。
「反自然主義」、時流から一歩引いて理性的に眺める立場として夏目漱石がいる。
「耽美派」、官能的な美を求める立場として谷崎潤一郎などがいた。

「白樺派」というのがキリスト教的な世界観ですよね。武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎などがいるということです。
色々な立場の人がいて、夏目漱石は反自然主義ということになります。

日本の状況

その時の日本の歴史をもう一回振り返ります。

1853年にペリーが来るんですよね。アメリカから来る。
ペリーの黒船が来て、大砲を撃たれて「国を開けろ」と言われるわけです。
武力で無理やりこじ開けられそうになる。

1867年に、このままではいけないということで、大政奉還という形で江戸幕府が終わります。
西洋に習え、ということになるわけです。
ちょんまげをつけたままだと野蛮な国で、我々と同じ人間じゃないみたいな西洋の見方が当時あったんですよね。
西洋人と同じようなことをしなければいけなかったので、色々なことをやっていくし、憲法も作った。

1894年には日清戦争で中国と戦争したと。
1906年には日露戦争でロシアと戦争して、1914年は第一次世界大戦も始まった。
こういう中でどんどん日本は軍国主義になっていくんですね。軍国主義になっていく中で、思想とか言論統制が起きるわけです。

これまで僕らが勉強してきた「もののあはれ」や「無常観」などそういうものは否定されて、天皇第一の世界観になっていくということです。

夏目漱石とか森鴎外が生きたのはここら辺ですよね。第一次世界大戦が始まった後ぐらいで亡くなるんですけども。
どんどん日本が軍国主義になっていく中で亡くなっていく感じです。
激動の時代ですよね。

まだまだ江戸のカルチャーの中で無理やり西洋的になっていこうという形で翻弄されていく。自分たちよりも上の世代の人たちは、まだまだ西洋化についていけない、新しい世代は混乱しているしという中で、自分の美学というか、自分らしく生きることを追求し、その隣ではどんどん帝国主義が広がっていくわけですね。

他の国に負けまいと日本も軍国主義を深めていく。
その結果、思想や言論統制も起きてしまう。でも避けがたい。
人類の愚かさが感じられたということですかね。
フロイトも19世紀の終わりから20世紀の初頭に活躍した人なので、ここら辺にヒステリー研究とか出るのかなという感じです。
そんな時代ということです。

言論統制という形でリセットされてまた復興していく中、僕らはどういう美意識を持つべきなのか、生きるとは何なのかということをもう一回考え直す必要があるんでしょうね。

最近の話でいうと、80年代には精神科患者さんの人権問題が取り沙汰されている。
90年代から抗うつ薬、SSRIが発売になり、うつ病というものが社会的に知られるようになってきた。
2000年代には自殺率が高いからどうしようかと議論になったり、2010年代には発達障害の話題が出てきた。
精神医学や精神疾患のことを考えると本当につい最近という感じがしますし、夏目漱石の時代もすごい昔というよりは、つい最近という感じもしますよね。戦争があったのは100年前の話ですからね。つい最近といえば最近ですよね。

今回は、夏目漱石を取り上げました。


2023.9.1

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