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マイケル・サンデルのエリートは傲慢、能力主義への批判について考える

00:00 OP
01:44 「やればできる」は間違い
05:07 分断されている
07:11 広がる格差
08:18 人間は複数のアイデンティティを持つ
10:49 リーダーシップ

本日は「マイケル・サンデル教授」を取り上げてみようと思います。

このYouTubeの中でも何度も取り上げている生ける伝説というか、知の巨人と言われているマイケル・サンデルです。

僕が毎週金曜日に哲学、思想、倫理を扱うようになったのはなぜかというと、マイケル・サンデルの影響というか、真似たかったからなんですよね。
そういう哲学とかをね、マイケルサンデル教授に憧れて同じように説明したいなと思って。
毎週金曜日はちょっと僕の趣味の回でもあるんですよ。

ただ、もとを辿れば、実はこのYouTubeで病気の説明をするのは、オフィシャルには中田のあっちゃんのYouTube大学を真似て始めたとか言っているんですけども、その前はね、本当はマイケル・サンデル教授みたいに精神疾患のことを皆で議論したいっていうのがあって始めたというのが裏テーマであったんですよね。
そのマイケル・サンデル教授です。何だって感じですけど。

WEBニュースで出てたので、今回はマイケル・サンデル教授の話をしようと思います。

「やればできる」は間違い

サンデル教授はエリートですね。ハーバード大の教授ですから、アメリカのエリートということです。
「やればできる」と言っているんだけど、それは間違いだよということを言ったんですね。

書籍「実力も運のうち-能力主義は正義か」というやつですね。
努力と才能で人は誰でも成功できる。この考え方は間違っているんだということを、マイケル・サンデル教授は何度も言っています。
アメリカというのは、皆さんご存知の通り能力主義の国ですね。
努力した者、成功した者が莫大な富を得てもいいと考えるような世界観というか、そういう価値観のある国ですね。

それに対してマイケル・サンデル教授は、「それはおかしいんじゃないか、運ではないのか」という警鐘を鳴らしているんですよ。
能力主義と言っているけれど、本当に能力なんですかと。
あなたたちの努力だけで本当に手に入れているんですか、ということですよね。

それはそうなんですよね。
才能だって生まれついたものだし、才能だけじゃなくてその時の教育は貧困の問題とか絡んでいたりとか、人種の問題だって絡んできているわけですよね。
男女差別の問題だってあるわけで、日本のほうがね。

一見、自分の努力で何かを勝ち取ったように思うし、実際努力してないわけでもないんだけれど、でも個人の努力とかそういうのを超えた、もっと大きい「運の世界」があるんじゃないかと言っています。

だから、古きアメリカの価値観なんですよ。
マイケル・サンデル教授はそういう感じで、エリートは勤勉に働くのはいいよと、勤勉に働き努力することを否定しているわけじゃないんですよね。
ただ、もらいすぎは良くないんじゃないのとか、エリートはそれに対して自分の努力だけでうまくいってるというのは傲慢なんじゃないか、という風に言っているんですね。

古きアメリカの精神ということだから、勤勉に働き、質素な生活をし、過度に派手な生活をせずにしっかり神に祈るということが古きアメリカの正しい価値観なんですよ。

だけどそうでなくて、今は個人主義になっていて、どんどんお金を使えばいいんじゃないかみたいな形になっているので警鐘を鳴らしているということですね。

あとですね、能力主義は自己責任論に結びつきやすいんですよね。
努力しない方が悪いんじゃないのとか、頑張っていない人たちが悪いんじゃないのということになって、弱者への言い訳になっているんだよね。
福祉はそんなに必要なんですかとか、それって自己責任だよね、自分が努力しないからダメなんだよね、働いてない人は価値がないよね、働いてないんだからちゃんとした医療を受けられなくても我慢すべきだよね、我々は福祉もするんだけれども、自由を脅かさない必要最低限であるべきだよね、みたいな風になりやすい。
でもそれってすごく傲慢だったりするよねということです。

分断されている

なぜそんなにエリートが傲慢なのかと言うと、エリートは性格が悪いからエリートになっているかとかそうで言うわけじゃなくて、分断されているからでもあるんですよね。

お金持ちはお金持ちだけでつるんだり、賢い人たちは賢い人たちだけとつるんで、弱い人たちが見えてない。生活で絡むことがなくなっているんですよね。
例えば、小学校のうちから私立の小学校に入ったりする人だと、もう一般家庭との接点がなくなっちゃうんですよ。
そういう結果分断されていき、分断されて一緒に育ったことがないから、彼らの気持ちがわからないし、想像することが最初から抜けている。

むしろ自分たちがお金持ちであるにもかかわらず貧乏人だと思ってたりしますからね。
自分たちはなんて貧乏なんだろうって思ったりするわけですよ。お金持ちの人たちが。
だから言いますよね、僕もよく言ってますけど、医者なんて貧乏人だよとか言ったりするじゃないですか。
そんなお金持ちじゃないよという言い方をする時はあるんですよね。

それは謙遜でもなくて、僕が東京に住んでいると本当にそんな気にさせられちゃうんですよね。でも、そんなわけないじゃないですか。そんなわけないのに。
僕なんて精神科医で開業医で、そしてプラスYouTubeをやっていて、それも会社にしているわけですから、ある意味成功者ですよね。
にもかかわらず、自分は成功者と僕は思っていないんですよね。
むしろお金がないと思っている。本当に思っているんですよね。

実際、東京でマンションを買おうと思ったら本当に買えなかったりするんですよ。買おうと思っても本当に勇気がいる行為だったりする。
だからそれだけ分断されている社会、東京でさえそうなんだから、アメリカなんかそうだし、その中で自分たちが傲慢であることさえ忘れさせられているというところはありますね。
結果的にラットレースみたいになっちゃっているのもあります。

だから、お金を稼いでるのにまだ足りない、まだ足りない、というラットレースにさせられているというのもあります。

広がる格差

あとは格差が広がり、世代を越えられないみたいな問題も起きています。
低所得者の人が中所得者になるまでにどれぐらいの時間がかかるのかということです。

例えば、デンマークであれば2世代かかるんですよ。日本だったら4世代、アメリカだと5世代かかったりする。韓国、アメリカは5世代でしたね。
フランスとかドイツだと6世代かかる、中国とかインドでは7世代、ブラジルだと9世代くらいかかるということです。

つまり、お金持ちは良い教育ができるので、良い大学に行けて良い職に就きやすい。
逆にお金がないと良い教育にも恵まれないし、貧困だと家族のケアもしなきゃいけなかったり、日常的な業務を手伝わなきゃいけなかったんですね。
子供たちも働かなきゃいけない、ヤングケアラーみたいになっちゃう。

だから勉強する時間がなかったり、自分のために割く時間がなくて良い大学に入れず、良い職にたどり着けなかったりもするわけですよね。
そういうことでこういう問題が起きていたりします。

人間は複数のアイデンティティを持つ

サンデル教授は、個人主義というよりは共同体主義なんですよ。
国家のためにやろうとか、公共のために身を尽くすべきだ、エリートはそうすべきなんだという考えなんですよね。
それをハーバード大学の学生に教えているということなんですよね。

批判をするのであれば、共同体主義は全体主義と結びつきやすいし、やっぱり僕らは居心地悪いですよね。
患者さんたちにとってはすごく居心地が悪いと思います。
責任を押しつけられている感じで、何か抑圧されるような感じで、自分たちは役立たずなんだみたいな風に押しつけられているような感じ。
福祉の恩恵を預かっている人間なんだみたいな、お荷物なんだと言われているような感じがしちゃうんですよね。

だから本当にそういうある種の思想なんですよね。
いいか悪いかは別として、そういう思想であるし、悪い側面はそういうことになります。

でも、本当はそれじゃいけないよねということはありますね。
例えば、人間というのは複数のアイデンティティを持っているわけですよ。

この組織のためにやろうとか、公共のために尽くそうとかではなくて、いろいろな組織に僕らは入っているし、いろいろなコミュニティに属しているわけですよね。
あるコミュニティにとっては自分はリーダーなんだけど、あるコミュニティにとっては自分はお荷物だったりするし、あるコミュニティにとっては自分は年配だったり、あるコミュニティでは若者だったりするわけですよね。

そういう複数のアイデンティティを持ちながら自分のことを理解していくにも関わらず、共同体主義というのは単一のアイデンティティしか認めないみたいなところがどこかあって、良くないよみたいな話はあったりしますね。

だから患者さんとかもそうなんですよね。
確かにある側面では弱者側なんだけども、別のコミュニティにいたら強者であることもあるんですよね。いろいろなことを知っているとか、芸術のことに詳しいとか、才能のある患者さんもたくさんいますよ。
ゲームの世界では強者であるとか、いろんなものがありますから。
そういう色々な側面を含めて人間の価値だったりするので、共同体主義が過ぎるのも良くないなということですね。

■リーダーシップ

ちょっと今日は早口になっちゃってなんかぐちゃぐちゃっと喋ってますけど、リーダーシップとは何かということを一回考えてみたいなと思います。

エリートはこうなんだという話をした時に、どこか自分ごとじゃない感じはしますよね。
マイケル・サンデル教授はハーバードの先生ですから、将来エリートになる人たちに対して教えている人なので、彼の教えはそうなんだけども、僕らに向けられた言葉ではどこかないような感じがしちゃうよね。
病気がある僕らにとってはそうじゃない感じがしちゃうので。

では僕らは正しいリーダーを待てばいいのかとか、正しいリーダーを選択するだけでいいのかというと、僕はそうでないと思うんですよね。

自分たちは弱者であるかもしれないけれども、例えばピアサポートの場ではリーダーシップを取るかもしれないし、病気の先輩でもあるからある人はファシリテーターや司会をする側だったり、リーダーシップを取る側だったりするし、自分がリーダーでなくても陰で支えるリーダーだったりするので、リーダーシップは僕らと無縁なわけではないんですよ。

来週からはリーダーシップとは何かをちょっと考えてもいいのかなと思います。
リーダーシップを考える中で、もう一回能力主義とかを考え直すともっと深い議論ができるんじゃないかなと思っています。

今日は、マイケル。サンデル教授を紹介してみました。


2023.9.8

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