今日は脳と心、「私」という現象は何なのかということを一緒に考えてみようと思います。臨床をしているとこのことについて考えさせられます。
私というのは「脳」なのだろうというのは皆さん同意いただけると思いますが、神経細胞1つ取って遺伝子を残していればそれが「私」なのかというそれは同意できないと思います。ある程度の数がまとまって機能になったとしてもそれが「私」とは言わないと思います。脳を部分に分けてそのどれかが「私」ということも言えないでしょう。
では脳みそだけがプカプカと浮いていて機能していればそれは私になるのでしょうか? 誰とも交流を取らない時に私は存在している、生きていると言えるのかというと不思議な感じがします。アウトプットとインプットができなければ私とは言い難いと思います。
一人の人間が無人島にずっといたらそれは「私」と言えるのでしょうか。体もあり、過去の思い出もあり、ネットに繋いで世間となんとなく交流できたらそれは私と言えるでしょうか。私は私のままいられるのでしょうか。
二人、つまり他人が一人いれば私なのでしょうか。二人だとバランスに欠くことも多く、「らしさ」が出ているかというとちょっと違う気がします。
組織の中にいる私、家族の中にいる私だけが私と言えるかというと、人間らしいとは言えるかもしれませんが薄っぺらい感じもします。生い立ちから話せば「らしい」かというとそうも言えません。過去のアイデンティティと結びついて重層性があった時にようやくその人が見えてくるような気がします。
私というのはどこからかを特定できるものではなく、曖昧で、現象の中からポッと浮かび上がってくるものです。
心について考察, 精神分析, 精神科臨床を哲学してみた
2020.10.29