今日は「精神医学は『顧客』の何を解決したのか」をテーマに、精神医学はどういうものなのかをざっくりお話しします。
「○○は『顧客』の何を解決したのか」というのはビジネス的な言い方ですが、このような思考実験は好きでよくやっています。
「アマゾンは『顧客』の何を解決したのか」→「買い物のわずらわしさ(物を売っているのではない)」
「スターバックスは何を売っているのか」→「コーヒーではなく、コーヒーを飲む空間を売っている」
といったトンチがきいた話が好きです。
そこで今回は、精神医学は何を解決したのかを自分なりに考えてみました。
このような思考実験は自分の勉強になります。その先にあるのは、「こういう方針で行けば、患者さんにとって良い治療ができるのだ」ということがわかるからです。
コンテンツ
脳機能の問題だ、と責任から解放
精神医学は何なのかというと、「心の問題を脳機能の問題だと言ったこと」だと僕は思います。
それまで宗教や文学で扱っていた不安や人生の悩みを「脳の問題」だとして、個人が抱えていた責任から解放したと思います。
これが精神医学の真髄だと思います。
例えば、
忘れ物が多いのは、自分がさぼっているのではなく、脳の機能の問題。
私が感覚過敏があってうるさい場所が苦手なのは、我慢する力が弱いのではなく、脳の特性の問題。
私が人が怖いのは、幼少期の虐待で、脳が機能変性してしまったから。
うつになってしまったのは、道徳的にまずいことをしたのではなく、うつ病という病気を発症したから。
そういうことを言ったのが精神医学の功績だと思います。
精神医学は19世紀の中頃から始まっていますが、聖書の世界から科学の世界に移ってきた中で、精神も脳の問題だと切り替えて行ったということです。
ただ、「脳科学の問題なのだから、科学的に解決していけば良いよね」とはなっていません。科学的解決がまだできていないのです。
なので脳機能の問題だと言いながらも、いざ解決しようとすると、現在はまだ「心理社会的水準」で治療は行われます。ここがややこしいところです。
精神医学は心理社会的なものでは、と皆さんは思うのですが、実際は脳科学の問題です。ですが、治療は心理社会的な水準で行われます。
人間の3つの水準
人間を
・動物的な人間
・いわゆる普通の人間
・脳としての人間
の3つに分けてみました。
僕らは自分のことを普段「動物と一緒だ」とは思いません。
また、「自分というのは脳という臓器がやっている幻想で、自分自身はいないんだ」といったことも考えません。
僕は僕という1個の人格で、さも魂があるかのように振る舞っているわけです。そこで悩んで「自分は甘えているのかな」などと考えたりするわけです。
治療では、精神医学によって一度脳機能の水準に上げて診断がなされ、現在一番正しいとされている薬を使います。でもそれだけでは解決しません。
残りの部分を、また心理社会的な水準に戻って話し合いなどをしながら解決していきます。
そのような話し合いをしている中で、自分というのは脳の問題なんだということがわかることもありますし、お猿さんにかえるようなこともあります。
そうしていくうちに、「自分は動物のようなことを考えていたな、感情に振り回されたらダメなんだ(感情的な水準)」とわかったりもします。
でも、感情的な水準で治療が進むこともあります。運動、恋愛などもこの水準です。この水準で解決することもあるのです。
ですから、必ずしも心理社会的だけの問題、脳機能だけの問題ではありません。
改めて精神医学とは
このようなことから「精神医学って何なの?」となりますが、基本は「脳機能の問題だと特定した」というのが精神医学の一番の功績だと思います。
脳の問題だとわかれば、薬で治療していくのか、福祉の分野で援助を受けて解決していくのかなど色々な解決策を取れます。
アルコール依存は「脳の問題」ですが、治療法としては「個人が責任を持って我慢する」しかありません。
脳の問題ならお酒を飲みたくなくなる薬で解決できるのではと思いますが、現在の医学では解決できていません。
そうなると、できることは何かというと「我慢」という心理社会的なことになります。
そうすると、「お酒の問題は脳の問題ではなく心の問題なのでは?」と戻ってしまうのですが、実はそうではなくて今回のようなプロセスがあります。
ややこしいですね。
精神医学
2021.9.5