今日は精神科医の会話術の第6弾「他者理解」を解説します。
「精神科医の会話術」では、会話術を「準備」「自己理解」「聴く」「伝える」「他者理解」の5つに分け、第1弾では概論編として全体像をお話しし、それから各論を1つずつ解説してきました。今回が最後の「他者理解編」です。
ここまで見てくださった方、お疲れ様でした。大変だったと思います。
精神科医は他者をどのように理解するかというと、「精神医学的な知識」に基づいて判断、診断、診察、評価をします。
特定の心理学に基づいて人を判断しているのではありません。基本的にはこれまでの臨床経験や、精神医学的に妥当な理論を使って判断しています。
血液型占いや動物占いのようなもの、適当なナントカ理論なども使いません。オーソドックスに精神医学的なものを使います。それだけで十分説明がつくことが多いので基本はそうですが、後は患者さんに伝わりやすいように流行の理論、アドラー心理学などを応用するようなこともしています。
まずはどのような診断が今はポピュラーなのか、どのようなモデルを使っているのかを説明し、その後でどれくらいのやりとりで相手のことを理解できるかという種明かしのような話をします。
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統計学的診断と薬物選択
精神科医の診断は、基本的には「統計学的診断」を取ります。これは「操作的診断」とも言います。
疾患ごとに、この人にはこのような症状がある、というチェックリストがあり、そのチェックリストにいくつ該当すればこの病気だという診断をします。
診断基準には、DSM-5(精神障害の診断・統計マニュアル第5版)やICD-11(国際疾病分類第11回改訂版)というものがあります。これが今の診断の仕方です。
なぜこのような診断の仕方をするかと言うと、これで統計データを取ろうとしているからです。
全員が同じように診断できるようにするために、国ごとにドクターの診断がぶれたりしないように、わざと簡単な診断方法にしています。
医者でなくてもできるくらい簡単な診断方法になっていますが、研究や共通言語にするためにそのようになっているのです。
では医者(専門家)らしさとはどこかと言うと、診断をする前段階です。
このような病気はあるのか、この病気はこういう風に理解した方が良いのではないかなど、操作的診断に至る前に非常に多くのディスカッションがあります。
それでいざ臨床が始まれば、始まる前に「これでいきましょう」と皆で決めた方法でやっていきます。
そして、診断に基づいて薬物選択をします。
診断に基づいて薬物選択をするので、この症状だからこの薬を出そうというやり方は基本はしません。
応用技としてそのようなこともしますが、原則は「この診断名」に対して「この薬」を使いましょうとします。
それは診断に基づいて薬の研究データが出ているからです。そのデータに合わせてやっていきます。
この診断がついた人の○人中、○人がこの薬で良くなったということもわかりますので、そのオッズ比が最適なものを選びます。
ですが、効果だけでなく副作用のオッズも出ていますので、それも加味しながら決めています。
このように、「アルゴリズムの世界」なのです。
臨床で行っている診断や薬物選択に関しては、AIで代替可能かと言われたら可能ということになります。
患者さんが自分の訴えを正確に問診票に入れていけるのであれば、処方される薬は基本的には誰でも出せるということです。
では実際にそれが本当にできるかというと、できません。
患者さんは「嘘」をつく、つきたくない「嘘」をついていることがあります。
また、状況に応じた嘘を加味したアルゴリズムは複雑すぎるので、それをコンピューターに落とし込むことは人間の今の力ではできません。
もう少しコンピューターのレベルが上がったり、脳の理解が進まないと難しいのではないかと思います。
いろいろな理由でできませんが、あくまでアルゴリズムであることには変わりはありません。
生物-心理-社会モデル
生物-心理-社会モデルとは何かと言うと、生物学的な要素も考えながら心理学的な要素も考え、社会的な要素も考えようというものです。
例えば糖尿病であれば、遺伝負因として家族に糖尿病が多い、落ち込んでいたりやけ食いしやすい心理状況、ジャンクフードの多い地域や豊かな国に住んでいる、このようなことで発症しやすくなります。
このように、複合的な要素で決まるのが生物-心理-社会モデルです。
これに敵対するのが、生物モデル、心理モデル、社会モデル単独による診断です。
発達障害は脳の病気であり、脳で決まっているというと極論すぎます。
虐待があったからだ、きちんと教育していないからだ、勉強し直せば発達障害にならないというものでもありません。
発達障害は社会が生み出しているものであって、人間は多様な生き物なのだから発達障害なんかない、多様性の問題だ、それを受け入れない社会の構造が悪いと言ったりもしますが、これも極端です。
単独ではなく「総合的な要素」が大事です。
発達障害に限らずどのような患者さんにおいても、それは健康な人でも、発達障害の要素は僕は最近はよく考えています。この人の中の他者への共感性、視点を変える柔軟な頭の使い方、知識の偏りなどいろいろ考えたりしながらやっています。
この人はどういう立場にいるからこのような意見を飲み込めない、どのような目的があるのかということもよく考えています。
また、これまでどんな経験をしてきたのか、経験したことがないからこの気持ちがわからないのではないか、社会の暗黙のルールがわからないのではないかなど考えます。
生い立ちや家族の問題、兄弟葛藤はどうだったのかなど、いろいろなことを考えながらその人の人となりを理解します。
これは自分自身でさえ理解していないことが多いです。
非常に難しいです。
患者さん自身が自分のことを理解していないけれど、僕らはそれを理解しようとしています。
ですから言葉だけで理解しようとするのではなく、本人が言っている本人像だけでなく、いろいろなピースからもう少し立体的に相手を理解する必要があります。
また、瞬間瞬間で人間は変わっていくので、半年、一年経つと患者さんは全く違った存在になっています。その都度評価し直していくことが重要です。
20代位の人だと、半年ほど経つと本当にガラッと変わっています。
半年ぐらい経てば、1つの恋愛が終わっていたりしますから結構人間性が変わります。
・分断
また最近、生物-心理-社会モデルについて語ったりしている中で、世の中の「分断」について聞かれることがあります。
格差社会による分断、テレビを皆が見なくなってスマホで好きなYouTubeやニュースだけを見るようになり、興味がないものは見なくなったことによる分断、このような分断も理解しなければいけません。
昔は「大きな物語」と言ったりしました。昔というのはキリスト教の世界のころです。
キリスト教を皆が信じていた世界から、「小さな物語」になっていきます。国ごとの世界、会社ごとの物語にどんどん小さくなっていきます。
キリスト教という絶対的な価値観だったところからどんどん国ごとに分かれていき、会社ごとに分かれています。
それが、小さな物語といってもまだ大きかったのです。
今はもっと分断されて、「身近な物語」な感じかと思います。
半径5メートルの人としか会話をしなくなっています。そのようなことが起きていると思います。
大学も今はサークルなどないので、大学に行ってもクラスの友達がいなかったりします。
自分の興味のない会社の話は聞かないなどそういったことです。
これが分断を生んで、人々を不幸にさせているのではないかと言ったりもしますが、僕はあまりそうは思いません。それはすごくエリート側の意見だと思います。
僕は分断されて多様性があって、もっと皆が生きやすい世の中に変わっていると思います。
自分の興味のあることができ、苦手なことをやらなくて良いのはこの上なくハッピーなことです。大きな会社でなくても、小さな会社で自分のやりたいことができるのが一番幸せだと思います。
多様性があった方が、やはりとんでもないことが起きるわけです。とんでもない発明品、とんでもないカルチャーが生まれたりするので、生きている側は面白いです。
分断があると対立が生まれて争いになるのかという話がありますが、これも争いが起きないように人類は進化していると思います。今から先進国同士の暴力的な戦争のようなことが起きるとはあまり考えられません。
それはおそらく経済戦争という形に置き換えられたし、それすら今は終わろうとしています。
分断という意味ではSNSのような誹謗中傷が起きると言いますが、それもミュートしてしまえば良いわけです。それもそのうち技術的に解決しそうな気がします。
本当にそういう世の中に変わっていくのではないかと思います。ですから、俯瞰的に物事を見られることは武器になる気がします。
僕は分断は不幸を生まないと思いますが、分断があることは事実なので、それを理解して相手の世界、物語を理解していくことが重要だと思います。
どれぐらいのやりとりで理解できる?
どれぐらいのやり取りで相手を理解することができますか、ということです。
精神科医は初診でわかるのか、相手のことをどこまで理解しているのかなど思うと思いますが、それは「目的」によります。
精神科医だから相手の心が何でも分かるわけではありませんし、わからないからといって全くわかっていないわけではありません。わかることもあります。
ですから目的によります。
例えば、どのような病名がつくのか、薬はどのようなものを飲んだ方が良いのかというのは、だいたい最初で目星はつきます。最初の10分で目星がつくと言っても過言ではありません。
もちろん診察の中で診断が変わっていく、適切な薬が変わっていくことはありますが、それはそれほど深い理解でなくてもできるます。
ただ、どのような力があるのか。例えば、発達障害的な要素はまったくなさそうだ、相手のことに共感できそうだ、言葉も上手いし空想もできそうだと思っていたら、意外とそういう力が弱いという場合も多いです。
経験豊富なのかと思っていたら、意外と引っ込み思案で年相応の経験を積んでいない人もいます。それは話していかないとわかりません。
この人は社長だし、うまくやってきているからいろいろな社会のことを理解しているだろうと思ったら、本当に何もわかっていないなという人もいます。
なぜこんなにトントンと出世できたのか、不思議に思うケースもあります。
ですから、やはり目的によるなと思います。
診察を重ねていかないとわからないこともあります。
・人間理解の差
また、診察するドクターによる人間理解の差もすごくあると思います。
僕自身、自分が精神科医になりたての時と今とを比べると全然能力が違います。
もちろん診断してどのような薬を出すかにおいては大きく変わりはありませんが、そうでない部分においては全然違うと思いますし、全然違うということが今わかるということは、多分これから10年後はもっとわかるようになって今の自分を恥ずかしく思うと思います。
でもそれはそれで、今の良さがあると思っています。
とにかく人間理解の差はかなりあると思いますので、ここは謙虚に考え続けなければいけないと思います。
「薬理学専門の精神科医は、内科医のようなものではないか?」
「心理師は医師に代わることはできるのか?」
→生物モデルを理解しきれないのでは?
「土地を離れて、相手を理解することはできるのか?」
→日本人はアメリカ人のことを本当に理解できるのか、逆もしかり。精神医学が国際的なものだと言いつつ、土地が変われば生物心理社会モデルの「社会」が変わります。
言語が変われば理解し合えるものの質的な変化がおきますし、それは日本国内においても違うのではないか。東京と東京以外でも全然違うのではないかなどいろいろなことが言えます。
本当の意味において相手をどこまで理解できているのか、どこが合格ラインなのかはとても言えません。
それが精神医学の面白さであり、難しさだと思います。
ですから謙虚にやっていく必要があるのだろうなと常に思います。
・能力の欠落を補うことができる脳
やりとりをしていく中で、相手がどれくらい理解できているのか、なぜこれが時間がかかるのかということがありますが、能力の欠落を人間の脳は補うことができます。
相手の心をぱっと理解できる力が弱くても、経験で補うこともあります。
例えば脳卒中の人が脳をやられてしまっていても、リハビリをすれば手が動いたりします。
他のルートを使って機能を果たせるようになったりするのです。
脳は本当に不思議で、何でこれがわからないのにこれがわかるのだろうと言うことが結構あったりします。面白いというか不思議です。
学がないからといって頭が悪いこともありません。人間のことをすごくわかっているし、商売が上手い人もいます。
逆に東大など出ているのに全然わかっておらず、商売が下手な人もいます。人付き合いが下手な人もいます。
考えてみれば、ブッダは紀元前の人で、僕なんかよりはるかに賢くて言語能力も高く、演説能力も高いのでしょうけど、精神医学的な知識はありません。
ないにもかかわらず、人間を理解したりうまく振る舞ったりしているので不思議に思います。
何かがなくてもそれを補ってうまくいったりするのです。
記憶の干渉問題もあります。
同じ世界のものは干渉しあってどちらかしか残らないこともあります。
要は何かというと、発達障害の問題があっても他の能力で補っているので、診察では見抜けないことが結構あるということです。
患者さんが、他のドクターでは発達障害と診察されなかった、心理検査では発達障害の問題は出ていないという時に、「でも私、家の中ぐちゃぐちゃだし忘れ物が多いんです」と言ったら、それは他の能力で補っているのです。
他の能力で補うことで心理検査をパスしてしまうし、診察室でもそれらしく見えてしまうのですが、実際のところは結構欠落があって意外とボロが出ていることもあります。
ですから、患者さんが言うことをきちんと信用することが大事かと思いますし、「あなたは頑張ればできるのだから」と言うのは違うのではないかと思います。
今回は「他者理解」について解説しました。
精神科の統計学的診断、生物心理社会モデル、どれくらいで理解でできるのかをざっくりお話ししました。
診断の各論は他の動画にいろいろありますので検索してみてください。
精神科医の会話術
2021.11.2