本日は「発達障害児の母親の苦悩」というテーマで、障害を持つお子さんの親の気持ちをざっくり解説します。
親御さんたちがどんなことに悩んでいるのか、どんなことに苦しんでいるのか、どういう治療を受けたり、どういう風に考えていこうとしているのかをお話しします。
僕のクリニックは「早稲田メンタルクリニック」と言って、東京の早稲田駅にあるクリニックです。まぁ都心です。
早稲田という土地はどんな土地かというと、地方の方はイメージがつきにくいと思うのですが、山手線の内側にあって、オフィス街と学生街の中間みたいな感じです。
学生街といえば学生街ですが、住宅地のようなところです。
ですから患者さんのメインは20代、30代の人が多く来られます。
ただ最近はYouTubeの方が伸びてきて、YouTubeを観て来られる患者さんが増え、遠方から来られる患者さんがすごく増えたのですが、元々はそういうクリニックでした。
だから子どもを中心に診ているクリニックではない、ということです。
ただ色々な患者さんが来られますし、高校生以上は診ていますので、お子さんも診ています。
そういう中で母親的な人たちとお話しすることも多くあります。
実際に臨床をしながらどういうことを考えているのか、どういう特徴があるのか、どういう治療をしているのか。
子どもの治療をしながら親の治療をする。親の治療をするというと本当は良くないのですが、親の悩みも一緒に聞くし、どんな風に考えたら良いのかというアドバイスもしていますので、今回はその辺りの話ができたらなと思います。
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正解がない
どの親もそうだと思いますが、苦しむ我が子にどう対応したら良いのかわからない、という悩みを持っています。
子どもは、年齢にもよりますが、親に反発したり逃げたりします。
勉強から逃げてゲームだけし続けることもあるし、反抗的になって親に暴言を吐くこともあれば、合わせ技みたいな形で夜の街でパパ活みたいなことをするということもあります。
逃げと暴力が自分に向かってしまって自傷行為をする、摂食障害、食べられなくなる、と色々なパターンがあります。
子どもが現実に適応していけない、それは病気というか障害があるからできないのですが、その子どもをどうサポートしたら良いのか、どう対応したら良いのか、ということが本当にわからないのです。親は難しいです。
これは、そもそも正解がありません。
親御さんが病院に連れて行ってもどうしたら良いか教えてくれないし、何だかスッキリ来ないです。
それは治療者である僕らも一緒で、たぶん僕らが皆さんと同じような立場になって、自分の子どもに障害があったらわからないし、右往左往すると思います。
とにかく正解がないのです。
正解がないというのはどういうことなのかというと、結局子どもの「伸び代」がどれくらいあるのかわからないのです。
子どもひとりひとりが生まれた瞬間や今の能力からピピピッとわかって、数値や戦闘力がわかる。ドラゴンボールのようにカウンターというものがあって、戦闘力で数値化して「この子はこれが得意でこれができるな」とわかれば良いのですが、わかりません。
そういうものはありません。
「いやいや、心理検査をすればわかるんじゃないですか?」と言われるかもしれませんが、まあわからないです。
参考にできるものはありますが、実際その子がどこまでやれるかというと、結構わかりません。
大学まで行けるのか、大学は行けるが社会人としては難しいのか、障害者枠が良いのか一般枠でも行けるのか、というのはわかりません。
わからないので就労支援などに通ってギリギリまで判断材料を増やして、最後はサイコロを振る、ではないですが、決断していくことになります。
それが正解がない、ということです。
サラリーマンの人にはわからないたとえですが、自営業と似ています。会社経営と似ています。
世の中がどう変化していくかわからないし、その行動が正解かどうかわかりません。
もしかしたら失敗して赤字になるかもしれない、そういうのと似ていて、子どももどうしたら良いのかわかりません。
だけど決断してやっていかなければならないというのが難しいです。
無理をさせていないか?
親は子どもに無理をさせることができます。
親がコントロールできる範囲では子どもに無理をさせて、無理やり社会に適応させる、つきっきりで何とか宿題をやらせる、ということはできます。
しかし親のサポートがないと全然できない場合もあります。
それは、良くないたとえですが、延命治療をしているかのような時があります。
病院で、交通事故や脳卒中で助からない命を人工呼吸器をつけて何とか助ける、薬が切れてしまうと、呼吸器が取れてしまうと亡くなるということがあります、医療での延命行為。
もちろんそこから復帰する人もいます。
でも多くの人はなかなかそうはいかない。
そういう延命的なことをしてしまうことがあります。
精神科の中でもやってしまっており、家族も身を削りながらしてしまう、子どもも自分の身体と心に無理をしながら何とか社会についていこうとする。治療者も救急の先生や外科の先生と一緒で、精神科医も何とかしてあげたいと思って頑張ってしまいます。
そうして皆んなが頑張って何か無理をさせてしまっているということがよく起きます。
冷静でいられないのです。
そういうことはあったりします。
満足を知っているか
重要なポイントは「満足を知っているか」ということです。
この話をしていくときによく思うのですが、やっぱり人並みの幸せは手にして欲しいと家族が言うとき、そもそも「人並み」とは何なのか。
そもそも20万は必要だ、お金の心配がと色々言いますが、満足って何なんだろう。
金銭的なものだけで決定できるのか、働けないから20万円が手に入らず一生不幸なのか。
そういうわけではないので、満足ということをきちんと考えておくことが重要です。
子どもが決めればいいじゃないか、本人の自由だろう、と親は言います。
でもそれは違っていて、そうと言えばそうだし子どもは子どもで見つけますが、親は親でわかっていなければいけません。
それは親だからこそ伝えることができることでもあるので、抽象概念、哲学的概念というところをある程度言語化してあげる必要があります。
常識的な満足、常識の中で何となく語られる幸福とは別に、もう少し高い水準、もう少し深い理解が必要になります。
助けないといけない子ども
子どもに任せれば良い、放っておけば良い、子どもの自由にやらせる、本人の意思を尊重する、と言いますが、それができないから助けなければいけない子どもなのです。
伸び代が厳しいから助けなくてもいい、というわけではなく、助けてあげることで伸び代が伸びます。
このジレンマがめちゃくちゃ難しいのです。
過小評価をしておいて最悪を想定してやればいい、ということにはなかなか行きません。
子育てでは、ちょっとのきっかけで良くなるし、何かのはずみで良くなっていくこともあるので、やっぱり助けは重要です。
ですが、やり過ぎると無理をさせてしまいます。
このバランスがすごく難しく、このバランスの正解は本当にわかりません。
毎回毎回、一症例一症例、一人の患者さん一人の家族ごとに頭を悩ませます。
患者さんがよく苦しむのは、一般論です。
何とでもなる、こういう風に育てたらいい、というのはあくまで一般論なので、一般論の育児論と障害がある子どもの育児論は全く別です。
言ってしまえば、普通の子どもは何をやっても良いのです。
カレーライスみたいなもので、カレーのルーを入れておけば何となく美味くなるんですね。
キャンプのカレーみたいなもので、下手な人が料理しても何とか形になるし、食べられます。
ちょっと失敗があっても、これも思い出だよね、と言って楽しめます。
それが普通の子育てだったりします。
それをこだわりがあって、こうやったら上手くいったと言うが、あまり信じ過ぎないのが良いです。キャンプのカレーみたいなものなので。
我々がやろうとしている治療、子育ては、もっとレベルが違うことをやろうとしているので、全然違います。
親に求められる能力
親に求められる能力は、どういうものなのか。
現実を認識する力。そして、正解がない現実、常識を疑って、常識的な正解を一度放棄し、新しい正解を見つけていく、新しい満足を見つけていく力です。
一般論ではないもっと深い水準、高いレベルで現実を理解していくことが重要です。
これは非常に難しいです。
あとはタフさです。
メンタル・タフネスと書いてありますが、タフさが必要です。
「怒り過ぎちゃったんです」「この子の苦しいのが分かっているのに、私が不安に襲われてしまったんです」と言います。
アンガーマネージメントや自分の感情のコントロールも、普通のお母さんよりも遥かに大変です。
無理をさせているのか、助けた方が良いのか、というバランス。判断と責任のプレッシャーもすごくあり、自分でやらないといけないので心細いです。
めちゃくちゃ大変です。
サポート不足
サポート不足は理解してもらいたいなと思います。
本当に孤独なのです。
精神世界での孤独、という意味ではなく、本当に孤独なんです。
社会や学校の理解がない、助けてもらえる制度がない、パートナーの方、旦那さんが助けてくれないのは普通にあります。
旦那さんが全然子育てのことを理解していない、発達障害という言葉自体を全然理解していない。それは甘えだろ、お前と子どもと訳のわからない益田という精神科医が勝手に作った幻想でただの甘えなんじゃないか、ということも平気で言います。
パートナーが理解していても、自分の親や義理の両親が理解していない。
世代が違うので、全然理解できない、精神医学ということがもう全然理解できないということも結構あります。
あとは、発達障害の問題です。
発達障害は遺伝が全てとは言いませんが、傾向は似ます。
両親がスポーツ選手でも子どもが必ずしもスポーツエリートではないように、お父さんがスポーツマンでも子どもは案外普通だったりするように、遺伝するわけではないけれどちょっと似ているのです。
両親がスポーツマンだったら、プロの選手でなくても、子どもはクラスでは結構運動神経の良い子になります。
それと同じような感じで割と似ていたりします。
障害があるというのはプロの選手みたいなものです。
病院にかかるほどではありませんが、傾向はあったりします。
それはパートナーの男性の方なのか、自分の両親なのか、相手の両親なのか、色々あります。
なぜ自分がそういう人たちを愛しているのか、そういう人たちに恋愛感情を抱いたのか、という自己認識、自分の心の問題、問題というかたまたまだったのかもしれませんが、その辺りの理解も結構重要かなと思います。
色々語りましたが、どこから考えていくのか、ということが結構難しいです。
現実的な子どもの近々の問題かもしれないし、福祉の問題について語るかもしれません。
限られた時間の中で、そして患者さんというか子ども、お母さん、旦那さん、家族のエネルギーの問題だったり、時間の問題だったり、色々なことを考えながら優先度の高いものからやっていかないといけません。
結論はいつも一緒です。
自己理解、他者理解、しなやかな思考です。
これを目指していくということには変わりないので、自己理解が進んでいけば、他者理解、子どものこと、病気のことの理解が進んでいけば、しなやかに考えていくメンタル・タフネスも上がっていきますし、この問題から満足というか幸福を見つけていくこともできますので一緒に考えていけたらなと思います。
治療のゴールは、患者さんにはわかりにくいです。
何をもって治療のゴールか、ということですが、それは多くの患者さんと同じように、現実的な世界での勝利や獲得ではありません。
内的な世界での幸福や納得を目指すので、これが正解なんだ、これが治療の完成なんだ、ということはイメージがつきにくいです。
でも、普段より楽になる、普段より混乱や怒りに襲われなくなる。ゼロにはならないけれど、何だか自分の人生を肯定できるようになる、というゴールを目指すのが重要かなと思います。
時には過酷な現実に打ちひしがれたりしますが、どの患者さんもご家族も上手くやっていますので、あまり不安にならずにやっていけたら良いと思います。
今回は、発達障害児の母親の苦悩、というテーマで動画を撮りました。
発達障害
2022.3.11