本日は「管理したがる親の心理」というテーマでお話しします。
親子問題に関する雑感をダラダラと話してみようかなと思います。
精神科というのは親子問題を扱うことが多いです。
精神科の患者さんというのは、やはり何度も何度も思いますが、恵まれていない方が多いです。
そんな失礼な言い方するなと思うかもしれないですが、やはりそうだなと臨床をしていると思います。
親に恵まれていない方、つまり親ガチャに失敗している、今っぽい言い方をすると毒親だったり親ガチャの失敗だったり、そういうパターンは多いです。
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どんな親? どんな子?
結局それに対してどうしていけばいいのか、どう考えていけばいいかということなのですが、ざっくり答えることはとても難しくて、その人がどんな親なのか、子ども自身もどんな子どもなのかによって結構幅広いです。
臨床経過も全然違いますし、抱えている問題というのも違ったりします。
例えば、親に発達障害があるのか、子どもに発達障害があるのか。
知的な問題、精神発達遅滞があるのか、境界知能なのかという問題もあるだろうし、パーソナリティ障害、境界性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害など、そういうものが親や子どもにあるのか、両方あるのかそれぞれにあるのかということで結構違います。
あとはうつ、躁うつなど、精神疾患は多彩ですから、どちらがどの疾患を持つかによって全然違います。
結構難しいんですよね。子育ては難しいのです。
キャンプ場のカレーみたいなもので、普通の、普通というのはどこからが普通なんですかと言われそうですが、まあ放っておいても育つのです。
キャンプ場のカレーは誰が作ってもそれなりに美味しいですよね。
親も子も材料がいびつ、材料というと失礼ですが、多少外れていても何とかまとまります。
キャンプ場のカレーみたいなもので、ちょっと焦げたり形がいびつでもおいしいと食べられます。
人生というのはそういうものなんですね。
ただ、やはり精神科に来る方というのは、キャンプ場のカレーでは済まされないパターンが多いです。
普通の子どものように育てていたらうまくいかないパターンもあるし、普通の親のように反抗期が来て親に反発しているだけだと、うまく自立できないというパターンは全然あります。
だから他人からのアドバイスをうまく活用できないことはあります。
とてもバランスが難しいです。
子どもにどれぐらい手をかけなければいけないのか、自立するにもどれぐらい親が理解してくれているのか、お金を出してくれるのか、難しいです。
よそはよそ、家は家と親はよく言います。
子ども自身も言うことがありますが、これもそもそも変な言葉で、だいたいみんな同じである方が良いのです。
1億総中流の時の方がやはり幸せというか、真似ればいいだけなので子育ては難しくありません。自立というのは。
人を真似ればいいわけだから。
ですが格差が広がったり、よそはよそ、家は家がどんどん広がってしまうと、答えというのが見つけにくかったりします。
うまくいけば良いですが、いかない時が悲惨だったりするということはあります。
教育的虐待が、格差があるので増えている感じですね。
東大に行かせるためにめちゃくちゃ勉強を教え込む、プロのスポーツ選手になるために子どもの時からガンガン練習をさせるとか。
そういうものも含めて虐待といえば虐待です。
子どもがやりたくないと言っても、親は無理やりさせて、その結果大人になってから無気力になる子どもというのも結構います。
あとは母、子だけの問題でなく、三世代問題だったりします。
祖母から受けてきた虐待みたいなものを母が子どもに繰り返す。
三世代の問題だったり、三世代にわたる認知の歪みだったりすることも結構あります。
だからどんな親なのか、どんな子どもなのかということを丁寧に見ていかないと、一般論で片づけるのは良くないということです。
社会そのものの危険性?
では、なぜ心配になるのかということですが、社会そのものの危険性ということを僕らは常に考えますし、考えなければいけないです。
一般的な不安ということにも共感しなければいけないんですよね。
事故が起きるんじゃないかという問題、格差の問題、運不運の問題。
本当に事故は起きますから。
子どもが事故に巻き込まれて死んでしまう、何か大きな借金を負ってしまう、世の中は悪い人がたくさんいますから、そういうことに巻き込まれる危険性は絶対あります。
格差の問題、運の問題。
格差があるということがわかればわかるほど、世の中に運不運がつきまとうとわかればわかるほど、親というのは子どもに対して何かをしてあげたいとなります。
ですから、過干渉な親というのは今後どんどん増えていくと思います。
日本社会全体で増えていくと思いますが、その中でどこからが虐待でどこからが虐待にならないのかというのはやはり考えていく必要があります。
とにかく社会的な問題とすごくリンクもありますね。
貧困の問題、シングルマザーの問題、ヤングケアラーの問題、高齢者の問題、本当にあります。
恵まれている家、お金があるおじいちゃんおばあちゃんからの経済的な援助もあり、子育ても手伝ってくれるという家と、そうではない家にはやはりすごく差がありますね。全然違います。
親も自分も凡人?
あとは自分自身ですね。
親も自分も凡人である自分自身を過度に特別視しないということも、とても重要です。
大人になるということ、自立していくということは、自分が特別ではない人間だということを骨の髄まで理解することなのですが、なかなかそれが親の立場であっても子どもの立場であってもできないことが多いです。
自分たちは口では普通の人で凡人なんですと言っているようで、全然心の奥からそう思えない人たちはたくさんいますし、自分は特別価値がないんだとか、特別価値があるんだとか、そういう両極端に揺れていて、本当にそこら辺にいる普通の人であり、普通の幸せを享受できる、普通の凡人ということをなかなか骨の髄まで理解するということは難しいようですね。
母子密着
精神科っぽい言葉をもう少し説明すると、母子密着の問題はよく挙げます。
母親も管理してしまう、子どもも管理されることを喜んでいく。
すごく密着しているような感じ、離れがたい感じ、というのもあったりします。
互いに友達が少なかったり、夫婦の仲が悪かったときに、子どもがずっと聞き役になって母と子どもがカップルのようになってしまうことというのもあります。
こういう時というのは自他の境界がゆるく、母親のものなのか子どものものなのかごちゃごちゃになったりします。
母親の洋服を子どもが着始めたりめちゃくちゃです。
子どもが母親の洋服を着たり、母親が子どもの洋服を着たりもうぐちゃぐちゃになったりします。
中学生になっても母と娘は一緒にお風呂に入る、休みの日も一緒にデートしてしまうとか、ぐちゃぐちゃになったり。
あとは親世代が新しい価値観、新しい社会のルールについていけないとか、そういう切り替えの困難さみたいなのもあります。
今は転職が当たり前になってきているということにもついていけない。
学歴社会、終身雇用制の世界観にまだいる。
そういう切り替えの困難さもあったり、世代間ギャップと言ったりしますが、新しい価値観についていく、新しい道具に慣れていくということが必要なのにそこについていけないということがあったりします。
あとは母親と同じような病理、心理葛藤があって、同じような問題だからぐしゃっとなってしまうこともあります。
治療
どういう風に臨床治療していくのかというと、親ってどんな親なんだろうね、あなたってどんな人なんだろうね、ということを診察のたびに少しずつ一歩ずつ進んでいくと、自己理解が深まってきます。
自己理解が深まっていって、他者理解が深まっていく、社会全体の理解が深まっていくと、俯瞰的に親子像が見えてきます。
そうすると、親が自分よりはるかに自立していないことに気づくと思います。
親がすごく大きな壁のように思えていても、最初の頃はそれにとらわれているように見えるのですが、治療が進んでいくと、「あれ、ただのおばさんに対してなんでこんな悩んでんだろう?」と。
「血はつながってると言っても別に他人でしかないんだ、親って」ということが進んでいって、今まで見えなかったものが見え始めてびっくりするというか、哲学的な発見があるみたいな感じですね。
そういう切り替えがパッと進むと治療というのは終わりが近づくというか、治療が進むというか、そんな感じですね。
今回は、管理したがる親の心理ということで、SNSを管理する親、毒親、親ガチャなどを含めてお話ししました。
親子問題
2022.6.26