東西線「早稲田駅」徒歩1分。夜間・土曜も診療。心療内科・精神科。自立支援対応

WEB予約はこちら

再診患者専用

03-6233-9538

予約制:木・日・祝休診

0362339538
初診WEB予約

  

再診患者専用TEL

03-6233-9538

「死にたい!」という衝動性に対して、どう対応したら良いのか?

,

00:00 OP
01:29 精神科医は特別ではない
02:41 冷静でいるには
08:20 事故率
09:45 「大丈夫」「愛している」という言葉
11:08 治療
14:08 問題から目を背けない

本日は「死にたいという衝動性に対してどうしたらいいのか、どう考えていけばいいのか」について解説します。

患者さんの中には漠然と死にたいと思っている人から、今すぐ死ぬしかないという思いに囚われている人まで、両極端です。

もう死ぬしかないと言って、「うわー!」と暴れてしまう人もいますが、30分ぐらいしたら落ち着いて、「ちょっとあれは思いすぎだったな」と気持ちを改める人もいます。
逆にずっと「死にたいな」と誰にも言わずじとーっと考え続け、淡々と計画して自分で自分を傷つけてしまう人もいます。

今回は、衝動的な人のパターンをお話ししようと思います。
主に境界性パーソナリティ障害の人や、発達障害ADHDの人の死にたいという衝動性に対して、どういう対応をしたらいいのか、どう考えていけばいいのかを解説してみようと思います。

精神科医は特別ではない

まず知ってもらいたいのは、精神科医だからといって他の人たちと違うことは特にできない、ということです。
「死にたい気持ちをどうしたらいいですか」というときに、僕らしかできないことは特にないのです。

強いて言えば、もう抑えきれないということであれば、入院をするとか、頓服です。
鎮静のかかる薬を処方して飲んでもらうとかそういうことはあるのですが、それ以外のやり方としては特に精神科医だからできる、何か知っているということはありません。普通の人なので。

ただ、患者さん達と僕らが何が違うのかということをもう一回考え直してみたときに、やはり冷静でいるとか、他のパターンをよく知っている、というのがあります。

冷静に考える、感情に支配されず冷静に対応する、ということが僕らができることです。
周りの人もそれができるともっと良いサポートや看護ができると思います。

冷静でいるには

では、どうやって冷静でいるのか。

患者さんが「死にたい」言っている、家族や周りの人が「死にたい」と言って狂気の世界に入って暴れている、すごく混乱しているときに、どういう気持ちでいると冷静でいられるのかという話です。

まず前提として知ってもらいたいのが、「物理的現実」と「社会的現実」という言葉です。

人間は目から入った情報をそのまま理解しているわけではなく、自分の中で意味を付けたり加工したりして理解しています。
それを「社会的な現実」といいます。
「物理的な現実」とは、そのままの姿です。

色眼鏡なしで見ることを物理的現実と言い、自分の主観や価値判断を加えて見るものを社会的現実といいます。
脳内で観測できるものはすべて社会的な現実です。一回変換されているので。

例えば「お金」はどちらかと言うと、社会的現実です。
「紙」「金属」は物理的現実になります。

「お寿司」というと社会的現実。
「生魚と米が合わさったものを酢で和えたもの」というと物理的現実。

物理的な現実の中でも濃淡はありそうですが。より原子レベルで科学的に捉えたものもあれば、ある種主観性が入った言葉、例えば「お米」というのも主観的な要素は入っていますから。
多少の差はありますが、概念として捉えてください。

とにかく、僕らは主観的な世界に生きているし、自分で価値や意味を付けて世界を見ている。
だからこそ、人によって興味や記憶が違うので、見ている現実が違います。

文化やカルチャーによって見ている社会的現実は違う。
人によって捉えている社会、現実とは何かは全然違います。

でも精神科医というのは、より良い社会的な現実、患者さんによりフィットした社会的現実を知っているとか理解しているということではなく、一回物理的な現実の世界で考えるのです。

「脳科学的にどうなんだろう」「集団心理学的にどうなんだろう」ということを考えて、その上でアドバイスをする。
自分の主観とか患者さんの主観とかを超えて、一回物理的現実に近づけてから合理的に判断するのが精神科医的な動きというか、科学者的な動きなのかなと思います。

お坊さんなどはどう考えているのかを僕が想像すると、人の話を聞いてやっぱりお釈迦様という教え、お釈迦様的な世界観に一回還元してアドバイスしていると思います。

でも精神科医の場合は、一回それを物理的な現実に戻し、そこから科学、精神医学、心理学に還元し、そしてアドバイスしているという違いがあります。

仏教の世界もあるがままを行くということもありますが、一応科学ですから、物理的な現実、つまり仏教の世界には顕微鏡や遺伝子というものは存在しないですが僕らの世界にはそういうものがあるので、より僕らの方が物理的現実かなという気がします。

そう考えたときに、「死にたい」という患者さんの言葉をどう「物理的な現実」として置き換えていくかというと、「境界性パーソナリティ障害の人が、衝動的になっているんだな」という風に一回還元します。

患者さん個人のものとして考えるとやはり主観が入ってしまうし、気持ちが入り込んでしまいます。
「田中さん」が今泣いていると思うと、僕も人間だから気持ちが入って助けてあげたいとかどうしようとなってしまうのですが、「田中さん」と考えるのではなくて、「20代の境界性パーソナリティ障害の人が今衝動的になっている」、この場合どうなってしまうのかなということを考えて、じゃあこういう対応をした方がいいんだろう、と考えるということになります。

その診断が合っていたのか、ADHDの問題はないのか、問題があるのだったら相手が理解するにはどういう言葉を使ったらいいんだろうとか、双極性障害を見逃していないか、トラウマの問題はないのかなどは考えたりはします。これらも衝動的になったりしますから。

事故率

「事故率」のことというのはどうしても考えないといけません。

どこまでだったら放っておいて良く、どのレベルだったら入院させなければいけないんですか、というのは僕にもわかりません。それはどの精神科医にもわからないと思います。

ちょっと酷いから、いつもと違うから入院をさせた方がいいのかなとかいろいろ考えたりしますが、究極的には個人の主観的な問題でもある、相手の問題でもあるからわかりません。
死にたいという衝動性が時々だったら良いのですが、それが何ヶ月も何年も続いている場合どうしたらいいんですかということはよく聞かれます。

どこか事故が起きないかとハラハラしながら、でも事故を100%防げないという物理的な現実。人類、世界が抱えている現象。
こちら側や周りがいくらサポートしてあげたいと思っていても、いくらその時の気の迷いであったとしても事故が起きるときは起きてしまうという悲しい現実はあります。

「大丈夫」「愛している」という言葉

患者さんが衝動性の高い「死にたい」や、「私は価値がない、ダメだ」という思いにとらわれているときに、例えば周りが「大丈夫」とか「愛している」という言葉を使うと回復することがあります。

本当に死にたい人に対して、なぜ「大丈夫」とか「愛している」といった言葉でその人の気持ちは変わってしまうんだろうと思うかもしれませんが、変わるんですよね。
変わる人たちだから衝動的なのです。

衝動的に死にたいと思うからこそ、衝動的に治ってしまう、衝動的に落ち着いてしまうという特徴があります。

だからといって、「大丈夫、大丈夫」といつも言っていると、今度は効かなくなってきます。
そうすると、今回の衝動性には効かなかった、じゃあどうしたらいいんだろうと言ったりします。

結局、その場しのぎのファンタジーというのは、うまくいくことが続いたとしても、どこかでその効力は失われてしまいます。
その場しのぎにならないように普段から治療していく。きちんと治療をやっていくことがとても重要です。

治療

治療はどうやっていくのかというと、とにかく「構造化」していく。
ルールをちゃんと決める、ということです。

毎週来る、約束通り受診する、薬はちゃんと決められた量だけ飲む、そういうことを日頃からやっておくと良いのですが、こういうことをやらずに調子が悪い時だけ良い言葉が欲しいとか気持ちを慰めてほしいみたいになってくると、全然うまくいきません。

衝動的に死にたいと思ったり、衝動的に愛されているんだ良かったと思ったりするというのは何かというと、「同一性の困難さ」とか、「同一性の問題」と言ったりします。

結局、自分というのがブレブレになってしまうのです。
それが境界性パーソナリティ障害の人の問題だったりもします。

ADHDの人も自分の軸というか自分の同一性というか、核が弱かったりします。
双極性障害の人は、うつと躁が離れているから、やはり同一性、自分というものが保ちにくい脳の病気です。
トラウマの人も最初に亀裂が入ってしまっている。トラウマという外傷で亀裂が入ってしまい、自分の核というか自我が割れてしまっているからどうしても同一性を保つことが難しいです。

ですが、ここを治してあげることはとても重要です。
治すためにはどうしたら良いのかというと、何度も言いますが、構造化していく、ルールを作る、そしてルールを守り続ける。一定のリズムで一定の人と会うということでリズムを作っていって、ルーティンを作ってあげるというのがとても重要です。

極端な揺れ方を「理想化とこき下ろし」と言います。
相手のことをすごい素晴らしい人間だと思って食いついたり、次の瞬間、「いや、ダメだ」と言ったり、「あの先生はいい先生だ」とか、「うちの彼氏は最高だ」と言ったり、「益田はカスだ」とか「ウチの彼氏は全然役に立たない」とか言ったりします。

自分というものがなくてブレてしまうから、諸行無常なんですよね。
諸行無常な体験をしているので虚無感というものに襲われやすい。

あとは共依存です。
飴と鞭の使い方が上手いのでハマってしまいます。
だから相手も依存してしまい、互いに依存し合ってしまうというのを共依存と言いますが、そういう状態にもなりやすいです。

問題から目を背けない

そもそもストレスの原因や問題から目を背けたいという願望というのがあります。

死にたいとかそういう風に思う時は、ストレスや現実的な問題から目を背けたいから「死にたい」と思うのです。
現実的な問題を解決していくというのも、構造化やルールを作るのと同じぐらい大事です。

きちんとルーティンで会って、その上で彼女、彼らが抱えているストレスの原因や問題を一緒に解決していくことが重要です。

ただ、本当にそれが解決できるのか、ということもあります。
能力の問題だったり、本当に取り返しのつかない問題があったり、解決できない問題というのもあります。

苦しんでいる原因が解決できるものもあれば、解決できないものもあったりするので、それとどうやって共存していくかというのが話のテーマになったりします。

ただ、そういうことをやっていると、刹那的な快楽、快感を否定することになりかねません。

「中長期的な目標を立てましょう」と言って真面目にやりすぎて、「人生を真面目に生きなきゃいけない」ということになったりすると、友達と遊ぶのはダメでやっぱり勉強しなきゃとか、暴飲暴食したけれど今日は楽しかったからいいかみたいな気持ちになれません。

「ああ、全然目標達成のために頑張れなかった」となったりもするので、ここはバランスが難しいです。
医者はたまに会うから真面目なことを言えるかもしれないですが、それだけでは患者さんは苦しくなってしまう。

そういう刹那的な生き方、こういう人たちの持っているその場しのぎ、刹那的な快感というのもあります。
僕らもありますよね。別に患者さんのみならず、僕らも刹那的な快感がなければ生きていく上でつまらない。
そこのバランスをうまく話していく、うまく共有していくことが重要かなと思います。

刹那的な快感を否定してしまうと、自分を責めてしまうこともあります。
そういうこともちゃんと大事にしてあげないといけないな、と思います。

今回は、死にたいという衝動性に対してどういう風に考えていけばいいのか、どういう心づもりでやっていけばいいのかを解説してみました。

,
2022.7.18

© 2018 早稲田メンタルクリニック All Rights Reserved.