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人間理解について

00:00 OP
03:09 皆わからない
05:41 宗教→個人の自由意志→構造
09:38 多次元の理解
10:23 自己理解がシステム理解に転じるのはなぜか?

本日は「人間理解とは何か」というテーマでお話します。

精神科臨床をしていると、人間理解というものがとても重要になってきます。
自己理解、他者理解、群れの理解をするのに必要だったり、そもそもどうして僕らが困っているのか、どうして僕らがこういう問題にあたったときに傷付いているのか、なぜ劣等感を抱くのか、なぜ不安を感じるのか、それは人間理解が不足しているからです。
人間のことがわかっていると、対処できることも結構あるということです。

ただ、自分たちは人間なのに、よくわかりません。
人間というのはよくわからない。
生まれた時からわかっていません。

赤ん坊の状態で生まれてきて、何かよくわからない状態でうわーっとなって「お父さんお母さん助けて!」みたいな感じから育っていくわけです。

思春期に入って、全然大人はわかってないじゃないかとか、全然僕らの気持ちをわかろうとしてくれないんじゃないかと反発を覚えて、社会に出てからぶつかったり傷ついたりしながら覚えていきます。

仕事を覚えたり、社会の仕組みを覚えたり、どうやったら少しでもお金が多くもらえるのかなと思ったり、どうやったら少しでも異性や誰かから愛されるのか考えたり、どうやったら上の人に好かれて出世できるのか、など考えながら、ぶつかりながらだんだん把握していく。社会とは何なのか、人間とは何なのか。

把握していく中で病気にかかって、何なんだ自分の人生は、と思いながら、よくわからないうちに人生は終わっていきます。
それは古今東西、すべての人間がそうだったように、僕らもそうです。

精神科医になったからといって、人間のことがすべてわかっているわけではありません。
社会学者が社会のことを理解できていない、経済学者が経済のことを完璧に理解できていないのと僕らも同じです。

人間のことを理解するのは本当に難しいです。
それは自然を理解していないとか、物理の法則を理解していないとか、宇宙の法則を僕らが理解していないのと一緒です。
人間も自然の一部なので、僕らはどうして僕らなのか、ということはあまり理解できていません。

子供のときは誰かは知っているのかなと思いながら生活しているのですが、実際、大人になってから分かることは、誰も理解してないということです。
とは言っても、少しでも人間理解をするのはとても重要です。

皆わからない

生まれた瞬間、自分は何かというのはわかっていません。
何もわかっていません。
言葉も使えず、何だかよくわからない。
よくわからないことがいっぱいある中で、親がいます。

親は色々なことをやってくれます。
ご飯を出してくれる、遊び方を教えてくれる、寂しい気持ちも癒してくれます。
社会で生きるとはこういうことだと教えてくれるし、時に怒られながらも、躾けもしてくれるんです。

だから、大人になったら色々なことわかるようになるのかなと思う。
子供のときは、とにかく大人の世界に交じろう、大人の世界に交じることで、社会に出ていくことで、理解していこうと思います。

思春期に入ってくると同時に、今まで万能だと思っていた親や教師に対しての疑念が湧きます。
コイツら全然わかってくれないじゃないか、わかってないし何もわかってくれないじゃないか、自分の方が親より優秀じゃないかとか。

逆のパターンもあります。自分は全然親には追いつけないな、というパターンもあるし、自分はこんな親や教師よりもはるかに優秀なのに、何でコイツらの言うことを聞かなきゃいけないんだなど、いろいろ思ったりします。

そういう中で少しでも社会に馴染んでやる。社会のことを理解してやる。
例えばナントカ大学の誰々先生だったらもっと知っているはずだとか言って、何とか思春期から青年期に入っていくわけですね。

それで実際大学生になって学び、そして社会に出てもまれていく中で、また二つに分かれます。
自分はわかってないけど、リーダーは知っているんじゃないかと、自分もおぼろげながら人間理解があるし、もっと詳しい人が世の中にいるのではと思っているパターンもあります。
実際リーダーの方は何を考えているかというと、「なんかよくわからないな」「運命ってどういうことなのかな」「でもやれることをやらないといけないな」と思いながら、リーダーも何かの歯車の一つとして動いていたりします。

もちろん歯車だと思わずに、自分が世界の中心だと思って、何もわからずわがまま放題振舞うリーダーもいますが、大人になってもわからないというのは同じです。

宗教→個人の自由意志→構造

人間理解というものは、歴史上どう変化してきたのか。
簡単に言うと、昔は宗教が担っていました。
神様がいて、神様はすべて知っている。
聖書にすべて書いているということでした。

聖書というのは読むのが難しくて、知識人じゃなければ読めない。
知識人さえ理解が困難であって、やはりなかなか神様のことは神様自身でないとわからないな、というような世界観です。

そこから宗教というものに疑念が入って、やっぱり神様じゃないよね、人間は自分たちは意志があり力があるんだ、ということで個人の自由意志が尊重されます。

まだわかっていないかもしれないけれど、僕らが頭を使っていけば、時間をかけていけば、科学の力を駆使すれば、人間は理解できる。僕らの意志とか、社会のことは理解できていく。
そして理解ができるような形に社会を変えていくことができる、という風に考えます。

そこから、19世紀以降は「いやいや、ちょっと待ってよ」ということになるわけです。
「俺らって全然わかってない」「社会システムがあるからこうなってるんじゃないの?」「自分たちの自由意志ではなくて、この社会のルール設定上こうなっているんじゃないの?」「言語の制約的にこういう風に考えさせられてるんじゃないの?」とか、そういうことを考えるようになります。

これまでこういう歴史が運んできたとか、こういう文化があるから、我々はこういう風に考えざるを得ないように仕向けられているんじゃないの、ということを考えるようになります。
これを構造と呼んだり、システムとか呼んだりします。

資本主義で生きていると、その最適解を取るように動く。
民主主義の選挙制度だと、民主主義の選挙制度で一番最適な行動を取るようになります。
理念ではなくて、そのシステム、ルールの設定上、一番有利な行動を人間は取ってしまうということがわかってきます。

それが人間理解の変化になってきていて、僕らは精神科医なので、そこに加えて脳というものが持っている制約を考えたり、人間同士の群れや法則ということを考えたり、そこに病気が加わることによってどういう変化が起きるのか、障害があることによってどういう認知が変わっていくのかということを考えたりします。

人間理解というのはこういう歴史的な流れがあります。
僕がYouTubeを撮っているときやコメント欄を見ているときに、ここら辺の話が皆さんと共有できていないなと思いました。
構造とか、脳とか、そういうものの理解がとても重要だと僕は思っています。

構造や脳の形というのは、社会の変化や技術の変化によって変わってきます。
SNS、AI、グローバル化など加速度的に変化しています。

世の中の構造がすごく変わってきているし、技術もどんどん進歩しているので、それに伴って社会構造というのは変化していくし、経済構造も変化しています。
そして、それに合わせて人間の価値観、考え方、思考は変わってきます。
当然、それに合わせて治療法というのも変わっているというのがあるわけです。
なので僕はよくこういう話をしているということです。

多次元の理解

もう一個必要なのは、多次元の理解です。

人間はすごく複雑だし、いろいろな側面を持っています。
いろいろな機能を持っている。
いろいろな次元に区切って見なければいけません。

薬理的にはこうだなとか、生物学的にはこうだなとか、哲学的にはこうだなとか、法律的にはこうだなとか。
これをグチャッとせずに一個一個分けて考えるということがとても重要で、それが精神医学的なアプローチですが、一般の人はなかなかそういう風に考える機会が少ないのかなと思います。
これもまた後日説明します。

自己理解がシステム理解に転じるのはなぜか?

話が横道に逸れたので戻しますが、自己理解をするためにシステム理解に転じるのは何でですか、ということです。

「人間理解は大事だと言いながら、何でこれがシステムの理解の話になっちゃうんですか?」「私の気持ちとか、今の自分の悩みとかをダイレクトに扱ってほしいのに、どうして益田は社会はこうなっているからとか脳はこうだからとか、そういう形でシステムの話に議論をすり替えちゃうんですか?」「それって全然僕の気持ちとか、僕個人、僕そのものを見てくれてないじゃないですか。本人を見てくれてないじゃないですか」と思うのだと思います。

これはなぜかというと、本人そのものとか気持ちそのものを扱うということは、精神医学的ではないのです。
これはカウンセリング寄りな考え方であって、僕らはやり方のアプローチが違います。
結局、精神科医は科学者の仲間の一人なので、基本的には主観的な出来事を客観的に捉え直していく、という作業をしていきます。

今悩んでいるのは、悩みすぎなのか、認知の歪みがあるのか、過大評価しているのか、過小評価しているのか、その人が言っていることは真実なのか、それとも妄想なのか、いろいろなことを考えていく。

彼らが悩んでいることは客観的にはどうなんだろうと一回置き換えていきます。
客観的に置き換えた上で診断がついたり、心理的なアセスメントをしたり、不安を感じやすい人だと評価したり、依存になりやすい人だとか、トラウマがあるというふうに考えていくわけです。

それを患者さんと一緒にやろう、ということなんですね。
あなたのことを理解するためには、理解してもらうように喋ってくれないと、こちらは理解できないのです。
当たり前って言えば当たり前なのかもしれませんが。

同じ価値観というか、同じ世界観に一回入ってもらう必要があります。
同じ世界観になってもらうために、こういう説明をしているということです。
患者さんの言葉をそのまま分析することは僕らには不可能で、ある程度僕らの共通する価値観や知識を伝えながら、相手の情報を引き出すということをしています。
だから、自己理解を進めていく中で、システム理解も一緒にしようということになります。

客観的な状況になったときに、そこからもう一回主観に戻っていきます。
ネガティブに考えている人があるがままの姿を見るようになって、ポジティブに変わっていく。
このあるがままを見られるようになってから、ポジティブな主観に変わっていくときに、情動を扱うというのが一般的なやり方です。

客観的になるまでは、情動を削る、自分の感情を無にするような、感情というバイアスを削るような形で会話を進めていき、ポジティブに考えてもらうために愛情を足していきます。

あなたもいいところがあるじゃないとか、あなたは素晴らしいところがあるんだとか、あなたの生きていることは意味があるとか、あなたは頑張ってきたじゃないとか評価したりとか、いろいろしたりするんですね。
そうするとポジティブに変わっていきます。

主観から主観2.0に直接に行くのではなくて、一回客観的なものを経てから主観2.0に行くということです。
システム理解が必要だというのはなぜかというと、この客観的な出来事を描写するためには、このシステムの理解、ここら辺の理解が必要だからだということです。

客観的なものから情動を扱っていくということをしていくのですが、これを実際しているのかというと、あまりしなくて済んでいることが多いです。
メタ認知が達成されたときに、すべての治療が終わっていることが多いです。

患者さんに対して「客観的にモノが見えるようになりましたね」「自分の現状や自己認識、人間理解というも深まりましたね」。
「じゃあ、あなたはこれからどういうふうな生き方をしますか?」ということを話をしようというときには、もうすでに終わっていることが多いんですよ。

「いやいや、もう大丈夫です」みたいな感じが多いんですよね。
「益田先生に言われなくても、ポジティブに考えられるようになりました」「自分の生きている意味というのはよくわかってきました」「頑張っていきたいと思います」と、変わるのです。

そんなにエモいことを言わなくても、もうすでに終わっていることが多いですね。
そういうものなんですよね。
だから臨床上、ここを扱わないことが多いですね。

扱わなければいけない人たちもいます。
トラウマの人たちや一部の人たちはいますが、基本的に客観的なものを考えていくということができるようになってくると、あまり必要でなくなることが多いです。

人間理解とは何かというときに、構造の問題や社会システムの問題、そもそも人間はこういうふうに振る舞うんだとか、そもそも経済はこういう成り立ちなんだとか、脳はこういう仕組みなんだということを理解していくことはとても重要です。

その先に自分らしさというのがわかったりしますが、基本の前提としての知識は重要になってくると思います。

今回は、人間理解とは何か、というテーマでお話ししました。


2022.8.22

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