本日は「考え方が幼い神経発達症の治療法」というテーマでお話しします。
「神経発達症」というのは聞き慣れないかもしれないですが、「発達障害」のことです。
ASD(自閉症スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、LD(学習障害)のことです。
今は「発達障害」と言っていますが、今後は「神経発達症」という呼び名に変わっていきます。今後もできるだけ神経発達症という言葉で説明していきたいと思っております。
どうして幼いのか、という話をします。
コンテンツ
予測する脳
人間というのは現実をそのまま見ているわけではなく、脳内に一つの世界を作っているんです、バーチャルリアリティの世界を。
脳内で常に予測(モデル)を作っているんです。
新しく見た現実と脳内の世界のズレを認識して、適宜、脳内の現実を修正したり、行動したりしているわけです。
現実と脳内の予測された世界のズレが大きいほどストレスを感じている、とわかっています。
そのズレに対してストレスが出るので、不安だったり、怒りが出てきたりして、問題を解決しなきゃということで意識が動いて、認知の修正、行動をしたりするということです。
脳内の世界、バーチャルリアリティの世界というのはどうやって作られているのか、どういうもので構成されているのかというと、まず1つは記憶です。
記憶や経験、知識。
それから、もともとの脳の配線です。
脳は臓器、物理的な物質ですから、物理法則に従うんです。
その物理的な法則に従う生物的なもの、つまり脳ということですが、そこに記憶等が書き込まれる。
ハードウェアとソフトウェアのような感じです。
その結果、脳内にバーチャルリアリティの世界ができるというです。
配線というとわかりにくいと思うんですが、脳を構成しているものです。
それが人それぞれ違うんです、構成のされ方が。
ほとんど一緒ですが微妙に違います。
遺伝子が違うことで微妙に違うんです。
遺伝子というのは設計図のことなので、皆設計図がちょこちょこ違うんです。
だから脳内で受け取る、出来上がる世界が違う。
この人がきれいだと思う、この人がカッコイイと思うというのは、人それぞれ違います。
食べ物の美味しい美味しくないというのも人それぞれ違うのは配線的な問題だったり、記憶の問題だったりもします。
双子は同じものを好きになったりします。
記憶が違っても育った場所が違っても同じものを好きになったりするので、遺伝子の影響は強いなと思います。
あとは状況です。
その時の状況によって見えてるものって違いますよね。
疲れているのかいないのか、その前に良いことがあったのか悪いことがあったのかによって、見えてくるものも違うので、状況というのは結構影響します。
なぜ幼いのか
発達障害の人はなぜ脳内の世界が幼いのか、年齢にそぐわないのかというと、まず1つは感覚が違うんです。
受け取る感覚が違います。
感覚過敏と言ったりしますけれど、大多数の定型の人に比べて、すごく繊細だったり、違う受け取り方をするんです。
それがその人の個性だったり、世界観だったりするんですが、記憶と配線が違うので結果的にマジョリティの人から見ると変わっている、幼い、みたいな見え方をするようです。
あともう一個は、記憶していく知識の整理の仕方が下手なんです。
具体的なものは覚えておけるんだけれども、具体的なものを合わせて抽象的な概念にしていく、応用させるようなものに変えていくというのは苦手なんです。
写真を見た通りに覚えたりするのは得意なんだけれども、それをまとめて応用したり、自分から作って作文にしてみるような能力は苦手だったりするみたいです。
これを「中枢結合能力の欠如」と言ったりするんです。
脳内に個々にある記憶をまとめて一個にして他のことを忘れる、ということができず、常に具体的な情報を覚えているという感じです。
整理ができてないというか、まとめられてないという感じです。
あとは他者視点が苦手です。
別の角度から物事を見る、他のアプローチから見ていくということが苦手だったりします。
そういう点で、今までの経験をそのまま活かしきれない。
それを応用していくということができない。
だから、いい意味でも諦められないというか、世の中こんなもんだよね、みたいになっていかない、成熟していかないということになります、そのまま覚えているだけだから、物知りな子どもになっちゃうというだけです。
記憶にしても人格にしても、その人もキャラクターにしても、「タッチパネル式」みたいな言い方をするんですけど、スライドショーみたいに一個一個残っている。
テレビゲームで言うとスーパーマリオの面が変わるだけみたいな感じ、ソフトが変わるだけみたいな感じでオープンワールドになっていないんです。
多くの人はオープンワールドの世界観で、あっちからここまで地続きだったりするし、過去の自分、未来の自分、あの時はこうだけどこの時はこうだった、というのは一つの人格としてどこにでも行く感じですが、人格や記憶、思い出、知識が統合されていなくて、ここではこうだけれどもあっちではこうみたいな感じで、統合されてないというのが神経発達症の人の頭の中なんです。
だからよくわからないし、グチャグチャしている。
部屋の中と似ているんです。
部屋の中がグチャグチャしてるのと、頭の中がグチャグチャしてるのは似ていて、どこに何があるかよくわからない、という感じです。
整理しておけば応用が利いたりするし、スペースがあるから色々なことができるんだけれども、スペースがなくて困っている、というのが神経発達症の人の頭の中、困っている人の頭の中かなという気がします。
白黒思考になりやすい
失敗しても経験から学ぶというのがとても苦手で、白黒思考になりやすいんです。
こういうことで失敗した、じゃあ次からもうやめよう。
人に親切にしてもいいことはないから、もう親切にするのやめる。
極端になりやすいというか、パターンが少ないんです。
今回はこういうパターンなんだけれども、そうでない時もあるな、この人にはこうしたらいいけど他の人にはこう言ったらいいな、というのが苦手です。
整理されてないので、要るか要らないか、捨てるか捨てないか、になってしまう。
でももうちょっと整理したら使い方も変わるじゃないですか。
そういうのがちょっと苦手という感じです。
治療
治療としては、そういうパターンもあるんだよ、という言い方をしていくことが重要です。
「私はもう親切にするのをやめます」
「夢を諦めることにします」
「努力はしない方がいいって言ってました。でも努力はした方がいいと思います」
そういうことになりやすい。
「得意なことをしたらいいと思います」
「苦手なことはすべきでないと聞きました」
そういう風になりがちです。
いやいや、得意なこともするんだけど、苦手なこともしなきゃいけないよ、嫌いな人がいるかもしれないけれど、そこそこ付き合った方がいいんだよ、そういうことなんです。
だけどインターネットに出てくる情報や人のアドバイスなど断片的だと、やっぱりそこまで頑張らなくていいよ、と言ったりするんですよ。
これはバランス調整の話なので、ONかOFFかの話じゃないんだけれども、ONかOFFの話として考えられがちです。
重要なことは、人間というのはこういうものなんだよ、ということを伝えることなんです。
今回だけはたまたまだとか他の見方をしたらいいではなく、タッチパネルのこれを選べとか、これが正解だからこれだけをやれ、というわけじゃなく、今見えてるものすべてが正解なんですよ、それが現実なのでだから。
現実と脳内のズレをいかに減らすかというのが大事なわけで、正解があるもんじゃないんです。
人間はこれが正解だ、こういう生き方が正解だからこれにみんな近付けるべきだ、というのではなくて、こんな人もいるし、ああいう人もいる、このパターンはこうなんだという多様性、厚みのことがやっぱりわかりにくかったりします。
そういうことも伝えていく必要があるんです。
価値観の押し付け?
よく言われるのは、価値観の押しつけじゃないか、常識の押しつけじゃないかというものです。
でもこれは押しつけじゃなくて、そもそも色々な価値観があるんだけれども、それを一個選べというものじゃないんです。
価値観や常識は一個選べというものじゃなくて、たくさんの価値観があり、たくさんの常識があって、それを常にストックしたり応用したりして僕らは生きているんだけれども、そう思わないみたいです。
一つだけと思うみたいです。
そうじゃないと言っても押しつけてるじゃないか、と言われたときに、やっぱり押し付けることも必要だったりするんです。
ある種、混乱しているので、こういうものなんだということを教えるティーチングというのは重要だったりします。
診察の中で発達障害の人であれば、他の疾患とはまたちょっと違って、押し付けていくのも時には必要なんです。
教えていく、ティーチングしていくということが重要だったりします。
でも、そうなんだ、教えてくれてありがとうございます、ああ、こういう風にやればいいんだと思ってスッといく人もいれば、超自我的なものに対する恐怖感を持っている人もいるんです。
ずっと今まで押しつけられてきた、自分が合わないものを着させられたようなものがあって、ここでも反発しちゃう。
とっさの自動反応としてはねつけてしまう人もいたりするので、そこも上手くやらないとなと思います。やり方ですね、ここも。
とにかく、こう来たら押し付けられる、こうやったら怒られるんだと思ったら、とっさにオートモードではねつけてしまう人はいるので、そこも考えながらティーチングする。
教えられるのが本当に嫌だ、教えられると思った瞬間、怒ってしまう人はいるので、ここら辺も考慮しながらやらなければいけないです。
発達障害の人にこういうことを話すると、
「そんなに面倒くさいことをみんなやってるんですか?」
「そんなに裏の裏まで人のことを考えているんですか?」
「こう来たらあの人はこう思うから今日はこうしとこう。あの人のニュアンスからみたらこうだから、しばらく1ヶ月ぐらいはジャブみたいな形でちょっと褒めておこう。そういう細かい計算までやってるんですか」
「こんな面倒くさいんですか」
「こんな面倒くさい思いをするんだったら生きていたくありません」
と患者さんはよく言います。
他の人はある程度無意識でやれているからいいのですが、確かにこの人たちは無意識にやることは難しいから意識しなきゃいけない。
それを全部本当に考えていたら苦しくなっちゃったりします。
でも世の中はそういう風にできているし、自分たちは苦手なんだということを伝えていくことも重要です。
でも救いはあって、苦手だったら礼儀正しくやればいいんです。
礼儀正しく、常識的にやっていく。
ある意味、発達障害の人は真面目な人が多いです。
それは彼らなりの防衛手段であって、すごく礼儀正しくて真面目に生きている人が多いです。
不器用な人たちってそうなんですけれども、それが却ってその人たちに一番適した方法だったりします。
こんな感じで幼いものを成熟させていくことが重要だったりします。
こういうパターンが無限にあるんです。
無数にというか、面倒くさいというか、無数にあるんですけれども、それは仕方ないです。
脳を構成している記憶は無数のものによって構成されているので、いくら中枢結合をして抽象的に圧縮されたとしても、それでも記憶というのは無数の要素で成り立ちます。
意識的に知覚できるものから無意識的な記憶まで含めると本当に膨大にありますから、膨大なパターンを一緒に治療の中で覚えていってもらうことが重要だったりします。
膨大だからこそYouTubeは無限に情報を伝えられますから、いいなと僕は思って毎日撮っているという感じです。
ということで、今回は考え方が幼い神経発達症の治療というテーマでお話ししました。
発達障害
2022.11.13