本日はちょっと苦しい話をします。
「現実が詰んでいるのに精神科医は治療をできるのか」という話をします。
コンテンツ
現実が苦しい
現実が苦しい、どんなに冷静になってもどんなに心を強くしても、「もう詰んじゃってる」という状況ってあると思うんです。
「改心しました、だけど明日死刑」そういう状況ってあると思うんです。
罪を犯してしまって、死刑が決まっている。
自分は散々悪かった、だけど今冷静になって色々なことがわかった。
だけど、明日死刑だよ、明後日死刑だよ、一週間後死刑だよ、とそういう状況というのは、詰んでいるといえば詰んでいます。
例えば、今タリバンの下では貧困にあえぐ人たちがいて、今日食べるものがない、そういう状況も起きているんです。
いくら冷静になってやろうとしても、食べるための仕事がない。
だから酔うしかないじゃないかと言って、麻薬中毒になって時間をつぶしている人たちもいます。
「いつもご飯は余ってるんだよ」「生活保護を取れば生きていけるんだよ」と僕は言います。
だけどそれは詰んでるじゃないか、と言う人もいるわけです。
いや、益田先生はそう言うかもしれないけど、今の現実を変えられない。家に帰ったら旦那にぶたれるし、でも子どもを育てなきゃいけない。かといって離婚したら子どもたちを食べさせていくこともできないし、親権を取られちゃうかもしれないし、と色々な状況ってあると思います。
例えばカサンドラ症候群もそうです。
益田先生のおかげで、どうして旦那が理解してくれないのか、というのはよくわかりました。
しかし、それを知ったせいで、もう解決策がないんだということを知りました。
境界知能だから上手く行かないと知りました。
双極性障害は治ると思っていたのに、益田先生の動画を見たら、再発予防のために一生薬を飲まなきゃいけないことを知りました。
入退院をうちの子どもたちは繰り返しているから、今後もそれが続くと知りました。
そういう意見をよく見ます、コメントで。
批判もされていたりします。
益田のYouTubeはやっぱり嫌だ、という人もいるんです。
いるのはわかります。
「お前酷いじゃないか」という人も多いと思います。
発達障害の人で素行障害の合併症が多い、発達障害の人で暴力的な人がいる、それだって酷いじゃないですか。
救いがないというか、ある部分。
そういうことってあるわけです。
トラウマの問題だって結局、解釈は変えることができるけれども、親が自分を傷つけたという事実は変わらないし、その傷は決して癒えない。
何かをきっかけに思い出してしまうような傷である、それが一生忘れられないものだ、一生付き合っていく必要があるんだ、ということもわかっているわけです。
僕らが臨床している中で、60歳、70歳になっても時々そのトラウマに苦しめられるから、抗不安薬をもらいに来ている人はいます。
そこは語っても語ってもそれが癒えることはないし、癒えてはいるんだけれどもゼロにはならない。そういうことはあるわけです。
解が見えないということはあります。
解は見つからない
脳なのか身体なのかわからないし、運なのか境遇なのかわからないけど、ある種の弱さがあって、現実は詰んでいる。
でも脳の中では不安がある。
自分がこうなってほしいというのに、冷静になればなるほど不安になっていく、近づけば近づくほど不安になる、麻痺していくような感じになっていくときに、酔うしかないじゃないか、というのはあるんです。
酔うとは何かというと、ドラッグで酔うということもあればヒステリー、解離性障害で酔うということもあるし、強迫性障害で手を洗うことで安心してるんだけれども、手を洗わなくなった途端、本当の現実が見えてしまうこともあるかもしれないです。
冷静になっていくら学問を積んだり、色々なことを受けても解は見つからないという状況もあるわけです。
お前は何なんだって言われそうです。
そういう状況はあります。
精神科臨床において、話を聞いたら良くなる、こういう風に考えたら上手く行く、こういう風にやりさえすれば幸せになれる、ということは綺麗事です。
多くの問題は解決策はあります。
だけどやっぱり解決できない問題があるというのも事実なんです。
「益田は高見の見物じゃないか」「お前は何なんだ」と言われます。
結局お前は医者だし家族もいて幸せの立場にいるから、絶対わからないだろうと言われるんじゃないかなと思いますし、言われています。
答えは何なんですか、ということです。
例えば同じような病気として酔うといえば、ガンザー症候群というのがあるんです。
拘禁反応とか言ったりしますが、オウム真理教の麻原彰晃氏が、ガンザー症候群だったんじゃないか、という風にも言われたりします。
正確にはわからないですが。
統合失調症を発症して幻覚妄想状態だったのか、それとも認知症が悪化して幻覚妄想のようなことになってしまったのか。
それともガンザー症候群、死の恐怖、牢屋にいることによってヒステリー反応を起こして死の直前まで何だかモヤがかかったような意識状態だったのかわかりませんけど、人間は現実を見たときに詰んでいる状況の場合、「酔うしかない」となったりすることはもちろんあるわけです。
人間の尊厳とは何か
ただ、僕が診ている患者さんの中で、「じゃあ酔ったまま生きますか」というわけではないです。
冷静になっていく、治療の中で現実を見ていく、受け入れていく、そうしていく人たちはたくさんいます。
アルコール依存症でお酒を飲み過ぎて、家族も会社も壊してしまったり色々なものを壊してしまった。だけど自殺ではなくて、お酒をやめて自分で何とか生きている人たちはたくさんいるんです。
結局、僕は思うんですけど、人間の尊厳とは何かということだと思うんです、そこまでいくと。
多くの人は病気というものをちょっと日常が困る、不便だ、不安だ、というレベルで捉えてるんだと思いますが、もう一歩先にあるのは、「人間とは何か」ということになっていくと思います。
僕ら医師は、色々な死を見てますし、色々な生を見ているわけです。
僕の先輩や上の先生でがんを告知されて、でも最後まで臨床していたという人も知っています。
つまり、大なり小なり僕らも詰んでいるんです。
明日死ぬかもしれないし、僕の場合はあと10年後かもしれないし20年後かもしれない。
何かをお前は残せるじゃないか、と言うかもしれないけれども、本当に100年後に自分の何かが残っているかというと、子どもたちさえあやしい。僕は100年前の先祖のことなんて何も知らないですから。
ないんですよ、そんなもの。
だけど死んだ後、もう1回、1000年くらい経ったら生き返らせてもらって、神様が裁判をしてくれて「益田、お前はYouTubeをやったり患者さんのために頑張っていたから合格!天国に行かしてやろう」と言ってくれることはないと思います。
そんなものはない。
永遠の無が待っているだけで、みんなと変わらないと思います。
詰んでるという意味では詰んでるんです。
そういう中で僕らの尊厳とは何か、ということだと思います。
なぜ患者さんたちは良くなっていくのか?
現実を直視して、なぜ人のために生きていくことができているのか?
色々な形があります、人のために生きるというのは。
仕事をするという形もあれば、自助会やボランティアみたいな形もあるだろうし、何げない行動が社会のためになっていることもあるだろうし、色々なためでもあるんですけど、そこなんですよ。
本当にその部分、医療の本当の本質的なところ、リアルなところを僕は伝えたいなといつも思っているんです。
でもなかなかこれはできないし、こんな話をされても嫌じゃないですか?
気持ち悪くなると思うんです、本当に。
でもここの話だと思うんです。
臨床において、精神科に限らないのですが、詰んでいる状況、本当にどうしたらいいんだろうという状況はあるんです、どうしようもない状況。
何かを改善していける子どもたちの診療というのではなくて、もうどちらにも行けないような感じの状況というのはどうしてもあります。
でもその中で、「人間の尊厳とは何か」「酔わずに現実を生きるとは何か」、そして「その中で自分なりに自分を肯定して生きるとは何か」ということを、やっぱり臨床はやっていかなきゃいけないし、やっているつもりです。
僕自身もお酒を飲むのを止めて、それは酔わないためにやっているわけです。
YouTubeをやっていると、こんなの気が狂いそうになります。
こんな多くの人が見て、僕は酔わせないわけですから、僕の臨床は。
きれいな言葉を言うわけじゃないし、本当のリアルを伝えているし、幸せになれるということをみんなに対して言ってるわけじゃないので、酷いヤツですよ。
だけどそこはなぜかというと、尊厳というものがやっぱりあるからなんです。
尊厳とは何かということを問い続けているし、そこを獲得していった患者さんたちを見ているので、そういう人たちに失礼がないようにYouTubeを撮っているというのはあります。
難しいですよ、この話は。
とても難しいんだけれども、酔わせるというかそういうものではなくて、本当の人間の尊厳とは何かということを動画を通じて伝えていきたいし、今の医学生やこれから医学生になる人、これから医者としてやっていく人たちにも伝えていきたい。
看護師さんたちにも伝えていきたいし、心理士さんたちにも伝えていきたいです。
結局、医師はどう言ったって、ほかの人は否定するかもしれないですけど、医療のリーダーですから。
そして僕は院長だから本当にリーダーです。
リーダーとしてこういうことを言わないといけないなと思ったので、今回動画を撮りました。
「予測する脳」という話をして脳内を現実に寄せていこうというと、必ずこの問題にぶち当たるんです。
辛いじゃないか、と。
予測が上手く行って、本当に現実のことが分かるようになったけど、でもどうにも手が取りようがないですよね、と言われることもあるんです。
だけど僕は「こういうものがあるんだ」ということを、まあ、このまま伝えると説教くさいし、嘘くさいんですけど、何らかの形で伝えられて、そして他の患者さんがそうなれたように、今の目の前の患者さんもそうなれたらいいな、といつも思っています。
そこの変化というのはやっぱりすごく魂が震えるし、感動するし、面白いです。
そういうことです。
今回は、予測するの脳で詰んでいる場合、人間の尊厳とは何か、というテーマでお話しました。
あと宣伝ですけど、人のために何かしたいと思った方、自助会をやっていますからご協力をお願いします。
前向きになる考え方
2022.12.1