本日は「もやもやする」というテーマでお話しします。
僕自身が今もやもやしていたので、何でもやもやしているのかな、と思いながら考えたことをお話しします。
「自分これで合ってるのかな?」
「自分の生き方はこういうので正しいのかな?」
「自分の働き方はこれでいいのかな?」
「自分の相手に対する対応ってどうしたら良かったんだろう?」
もやもやすることがたくさんあると思うんです。
僕も日々もやもやしてます。
これで良いのかなと思ったときに、どういう風に解決していくのかを話したいなと思います。
コンテンツ
エキスパートの意見
もやもやするとき、どうしたら良いんだろうと思ってエキスパートの意見を求めると思うんです。
あの人はどんなことを言っているのかな、あの立派な人、あの成功してる人はどんな感想なんだろう、あの人に教えを請いたらいいんじゃないかなと思うんです。
それが人間の本能というか人間らしい感覚だと思うんです。
ついつい僕も、この人はどう言ったんだろうということを調べたりしたくなります。
経営で困ったらあの経営者はどんなことを考えてるんだと聞きたくなるんだけれども、実際それは役に立つけれど100%じゃないんです。
人類はもう次のステージに移っているんです。
科学的に考える
エキスパートの意見よりも科学の方がたぶん良いよね、とわかってきてるんです。
だから心理学があったりするわけです。
今までは良い生き方、良い処世術は何かというと哲学者の領域だったのが、科学のメスが入って、心理学とか、再現性に問題があるとか色々言われるかもしれないですけれども、そうは言ってもやはり心理学の方が良いです。
科学的に考えるということです。
こうじゃないかという仮説を立てて、実際検証してみる。
再現性の有無を確かめるためデータを集めてみる。
そういうことなんです。
仮説を立ててやってみる、仮説を修正していく、データを集めていく、というのが科学的な手法です。
エキスパートの意見だけを求めるのではなくて、やはり原理原則を考えてみる。
今脳はどんなことが起きているんだろう、社会でどんなことが起きているんだろう、過去にはどういう実験をしたんだろうなどを見てあげる方が、自分のもやもやを解決するにはとても良いです。
科学的にやるということは、人間の直感とか本能に反するんです。
何かしっくり来ないと思います。
でもこのしっくり来ないことをできるようになったというのは、人類の成長なんです。
今までは自分たちにしっくりくることだけをやってたんです。
だけどそれよりもどうやら科学的にやった方が良いよということが今わかってきてるんです、ここ100年、200年で。
その結果人類はガッと成長したんです。
科学的手法というのは直感に反するのですが、意識してもらうと良いのかなと思います。
現場の情報も大事
じゃあ科学的にやれば良いのかというと、今度はまたちょっと違って、みなさんご存知のように全てのものが科学で説明できないというか、実験室で起きたことをそのまま応用させにくいです。
今度はここ10年、20年の話はちょっと変わってきていて、科学や心理学の論文などでまとまったものではなく、現場の情報も大事だよということになっているんです。
科学は知った上でですよ。
科学的知見を押さえた上で、でも現場の情報をもう一回考え直す必要があるよね、ゼロベースで考え直すことが大事だよね、しかもSNSを使えば応用された現場の情報は無限にあるので、再現性だけとか法則や仮説だけのものだけじゃなくて、やはり生の情報はもっと手に入るようになったから、そこら辺も知る必要があるよね、そういうデータを。
かつロジカルなだけではダメで、やはり情緒的な要素も押えないと人間はしっくりこない。
合理的な生き物じゃないから非合理的な要素も含めなきゃいけないよね、というところまで、今の科学は起きているんです。
純粋な科学・学問の世界と現場はちょっと違うので。
経済学もそうじゃないですか。
学者の意見が本当に最先端ではなくなってきているというのが現代の面白さです。
エキスパートの意見というものが重視されていた、エキスパートの人しかむしろ情報を残せなかったんです。人間は情報を石や手書きの本とかでしか書けなかったから、そもそも。
だけどそうじゃなくて、情報をもっと扱えるようになったので、今度は科学という手法が出てきた。
活版印刷によって科学という手法が出てきた。
そして今日ではSNSとかインターネットのおかげで、科学とさえ言いにくい、ただただデータがたくさん集まっている状況、というところも起きているんです。
科学を押さえつつ、データだけの相関関係だけ押さえてしまうというのも結構あります。
まあ難しいね、この話は。
じゃあ現場の情報を重視するということはエキスパートの意見ですかというと、これとまた違うんです。
エキスパートの意見だけだと良くない。同じになるといけなくて、様々なエキスパートの意見をたくさん聞くということと、その前提条件としては科学的なものを押さえる。
その上でエキスパートの意見や現場で起きていることの情報を大量に押さえる。
その上で自分たちで判断するということが求められてる。
メチャむずい。
これが今の問題解決です。
甘い言葉をかけてくる人
ただ、これは難しすぎるので、これに逆らうような意見を言う人がいるんです。
甘い言葉をかけてくる人はだいたいエキスパートの意見に還元しがちなんです。
いやいや、こんな複雑なこと考えられないよ、という話で、一個の意見をバッと言っちゃうんです。
でもそれは患者さんの役に立たないし、むしろ足を引っ張ることも多いから、やはり科学者の人は嫌がるし、現場の人たちは更に怒るというか、何かなあと思うことが多いです。
意地悪な言い方をすると、例えば「嫌われる勇気」(というタイトルが強烈ですけれども)というのはあくまでエキスパートの意見です。そもそもアドラー心理学というのは。
アドラーが考えたものを応用している感じなので、エキスパートの意見なんです。
あくまで色々な情報の中の一つとして捉えるんだったらいいんだけど、これだけでいい、ということにはなりにくいです。
「嫌われる勇気を持つことが大事なんだ」と言われても、もう一回考えてみると、嫌われたら困る集団はいるわけです。
東京なら転職しやすいとか、大人の集団であれば嫌われても仕事だけやってくれたらいいわとか、給料だけもらえたらいいわ、となるんだけれども、やはり学校や子どもの集団、あと閉鎖的な状況であれば、やはり嫌われるのは困るので、嫌われない処世術を身につけた方がよかったりするんです。
嫌われても仕事ができればいいじゃないか、という人もいますけど、それは圧倒的な実力が必要だったりするかもしれないし、やはりなかなか上手く成立しないと思うので、結局は集団によるんだろうなと思います。
だからムズいんです。
こういう集団だとこうだよね、というのは科学的な水準というか、ある意味、ちょっと前の時代になっていて。
じゃあ現代的な臨床、現代的なやりとりとは何なのかというと、結局あなたはどこの集団にいるのか、具体的にはどんな問題があるのかということになるんです。
よく患者さんも、「嫌われる勇気を持った方がいいんでしょうか」と言うんですけど、それだけじゃ僕に言われてもよくわからないのです。
確かに自分の問題と相手の問題の区別が大事だと、アドラーが言っていることも大事なんだけれども、そもそもあなたはどんな集団にいるんですか、その集団においてあなたが今抱えている問題はどんなことなんですか、そういうことを聞いていかないといけないんです。
聞いていって、それを解決するところまで、カウンセリングの世界は進んできているんです。
産学福医、産業、学校、福祉業界、医療、色々なところが連携して具体的な問題を扱っていこう、連携してその人個人個人にカスタマイズした情報、カスタマイズしたサービスというか、治療というか、福祉を提供していこうということになっていますから、エキスパートの意見だけに還元されちゃうと何となく「うーん」と思ったりします。
もやもやする。
僕自身も気をつけなきゃなと思うんです。
益田の意見、主観だけになっちゃう、エキスパートの意見にならないようにしないといけないなと思っていて、できるだけ科学を押さえなきゃいけないし、かつそこで科学に矛盾しない形で、現場でどんな声があるのか、ということをできるだけ幅広く伝えていかないといけないなと思ったりしています。
そういうことをせずに、自分の意見だけを押し付けてくるようなものは腹が立ってくるんだろうな、という風にもやもやしていました。
でも難しいんだよね、結局。
僕も主観的なものを言ってしまっているときもあるし、できるだけ言わないようにしているんですけど、そういうのはあります。
もちろん主観的な意見を言うことが大事なときもありますから、個人の意見をしっかり言うということも大事なので、ケースバイケースといえばケースバイケースなんですけど、こういう前提があるということです。
ちょっと何か小難しいですけど、皆さんと共有できたらなと思い動画にしました。
前向きになる考え方
2023.3.16