本日は「発達障害の人の持つ価値」というテーマでお話しします。
発達障害の人のみならず、多くの人にも届くテーマなんじゃないかなと思うので、よかったら最後まで見てください。
こういうことを言うと「いや益田、きれい事を言うなよ」と思うかもしれないですね。
益田はお医者さんだしYouTuberで人気があるから、僕らが思っている悩みはわからないよ、と言われるかもしれない。そうかもしれないね、実際は。
僕自身も中高時代悩んできましたし、決して評価されるような、優等生みたいな感じではなかったです、僕は。
成績だって良くなかったわけで。
大学時代も寮に入ってましたけど、決して優秀な部類ではなかったです。
医者の世界に入ったって、僕は価値が低いんですよ、医者の中では。
ヒエラルキーは最下層ですよ、本当に。
それはどうしてかというと、医局とかそういうものに入ってなくて学会活動的なことをしていないからです。
それだけじゃないでしょと言われそうですけど、まあわりとね、医者の世界ってちょっと古臭いというか、幼稚というか、そういうヒエラルキー構造というか、価値観を持った人は多いです。
大学などで研究している、大きい病院を経営している、そういうものがトップに来るようなヒエラルキー構造というのがある。そういうヒエラルキーを好む人たちというのは多いです。
そういう中では、僕は決してそんなに評価される立場にはないです。
だからそういう苦しみもわかると言えばわかるし、自分が感じている苦しみ、嫌な気持ち、嫌な体験が、5倍、10倍になったもの、もしくは100倍になったものが患者さんたちが持っている苦しみなのかな、という風にもよく思います。
自分が悩んでいるときや寝られないときにそういうことをよく考えてるんですけど、きれい事だけじゃなくて、本当の思う価値ということを話そうと思います。
■人間=心
人間というのは何なのか、ということを考えたときに、僕らは遺伝的なものと環境・経験、これによって心ができると思っているんです。
人間というのは「心」だと思うと思うんです。
人間とは何かというときに、心を中心としたもの、と思うんです。
肉体的なものよりも、やはりその人が持っている心のあり方、そういうものにたぶん価値というか、その人らしさを感じるんじゃないかなと思います。
もちろん外見などそういうのもあるのかもしれないけれど、やはり皆が思う人間らしさというのはここだと思います。
生まれ、環境、経験、それを通じて発現する能力やその人の独自の視点だったり、信念というものが人間らしさであると。
■発達障害の人の強み
発達障害の人の強みというか遺伝的な強み、遺伝子が持っている強みと考えると、まず粘り強さです。
この粘り強さというのは本当に粘り強いですよ、もう何十年も続けられますから。
同じようなことを。
その人から見たら同じじゃないんですけど、外から見ていると同じようなことを本当に続けられますよね。
鉄道オタクとかもそうですよね。
何でずっとそんなものに興味があるんだという気がしますよね。
でもずっと興味を持つ。本当にそれが粘り強いです。
そして独自の愛があります。
共感してくれないとかそういうことではなくて、察しが悪いかもしれないけれども、その人なりの愛情というものがあります。
それが人に向けられることもあれば、物質に向けられることもあります。電車とか何か別のものかもしれないけれども、でも愛を持つわけです。
その愛の形というか、興味の形というものは社会の何かを動かしていたり、社会の何かを支えていたりするので、本当に面白いというか、とても不思議です。
それが上手くハマると、専門家として研究者になって、世界の発見に繋がったりするし、そうじゃなくても支えるファンというか、独自のことをしている人を支えるファンになってくれたりもするので、やはり大きいなと思います。
だってそうですよね?
僕のYouTubeだってそういう人が観てくれてるわけじゃないですか。
本当に皆さんあっての僕だと思いますから、そういう形でもすごい価値なんです。
あとは環境や経験が生み出したものというのもあって、やはり苦しみながら生きてきたということがあります。
人間はフラットな状態からより成功してやろうという時のパワーよりも、苦しんでいる時から頑張ろうというときのパワーの方が強いんです。
この苦しみを生まれたときからずっとやっているというのは、すごい蓄積があるんです。
内的トラブル、自分の感情をどうコントロールしたらいいのか、そういうことの苦しみ。
共同体との摩擦、社会に理解してもらえない、誤解されている、そういうことのジレンマ。
あとはごく普通に、純粋に好きな人、身近な人から誤解をされてしまう、上手くコミュニケーションを取れない、自分の思いを伝えられない、相手の思いを汲み取ることができない、そういう苦しみがやはり続くということです。
これらは大なり小なり皆あるかもしれないけれど、でも大なり小なりと言っても大と小って全然違いますから。だいぶ違いますよ。
それは理解して欲しいなとは思います。
■強さ
そういう結果、やはり強いですよ。
患者さんというのは結構強くて、一緒に喋っていても、僕も学ぶことが多いです。
ぶれない強さ、独自の専門性があったり、個性やインパクトがあったりします。
こういうものは資本主義の中で評価されるかどうかはわからないです。
評価されている人もいるし、されていない人もいます。
大衆文化の中で評価される人もいますし、評価されていない人もいます。
ウチのクリニックは東京なので、芸能人というか結構偉い人も来ますし、そうじゃない普通の人も来ますけど、差はあんまり僕は感じないです、ぶっちゃけると。
ちょっとした差はあるんだけれど、麻婆豆腐の山椒がよく効いてる、ラーメンの胡椒が効いている、というスパイスな部分があるかないかで、才能というか、花開くのかなとか思ったりしますけど。
このスパイスがでかいんだよと言うかもしれないけど、実際はただのスパイスでしかないというか、僕はそういう風に思います。
平凡な人だから退屈とかそういうことはあまり思ったことはないです。
優秀な人だから価値がある、臨床してて面白い、一生懸命治したい、と思ったことも本当にないですね、全然。
それは嘘偽りなく言いますけど、ないです。
ぶっちゃけ、どっち診てもお金は変わらないですから。
そういうのもあるかもしれないですけど、そういうことです。
■理性的な力が勝ってくると
でも10代とか20代のうちは、社会から評価されないということ、社会から評価されなくても自分が信念を貫けることの価値ということが、あまりよくわからないと思います。
それはなぜかというと、やはり人間の本能です。
周囲に認められたい、注目を浴びたい、目立ちたい、評価されたい、それは群れ社会で生きる動物の本能なんです。
パートナーをゲットしたい、異性をゲットしたい、恋愛感情、性欲を満たしたい、打ち負かしたい、攻撃性の発露だったりするんです。
ドパミン系が優位な10代、20代はそうなると思います。
だんだんそういうものが落ち着いてくるんです。
そして、前頭葉的なもの、理性的な力が勝ってくると、やはりそれだけじゃないなということがわかってきます。
僕も年齢を重ねてわかるようになってきました。
そう考えると、自分の親、自分の上司、社会が、頑張らなくていいんだよ、勝たなくてもいいんだよと言っていた意味が何となく最近はわかるようになってきました。
勝っていかなきゃいけない、成長しなきゃいけない、そう思っていたんですけれども、そういう勝ち負けを通じて切磋琢磨されて、神の見えざる手によって良いものが出てくると考えたときはありましたけど、やはりそれだけじゃないなというのはよく思います。
そんなのは運なんですよ、結局。
運であり、大事なことはその自分らしさというか、そういう独自性というものが生き延びるということなんです。
その多様性の中に独自性があって、それがある瞬間花開くこともあるし、花開かないこともあるかもしれないけれど、そういう独自性を抱えられているというのが人類が持つ財産なんです。
その意味がわかってくると、自分の価値、発達障害の人が持つ価値ということもわかるのではないかなと思います。
今話した話をわかる人はたぶん少ないと思います。
僕が喋っている話はめちゃくちゃ簡単なんですけど、言葉としては簡単なんですけれども、これがわかる人はたぶん少ないと思います。
この動画を見ている人の中でも理解できる人は、たぶん少ないと思います。
そして多くの人は理解できないと思います、これは。
これから皆さんが出会う人の中で、これを理解できる人というのは少ないと思います。
それは人生をかけて、人生の終わりになっても資本主義や大衆文化の中ではそこまで思いが至らない人のほうが多いと思います。
それは寂しいかもしれないですけど、僕ら治療者は理解できますし、そして同じような仲間、病気を持つ仲間というのは理解できます。
なのでもし苦しんでいる人がいたら、自助会をやってますから入ってください。
今回は、発達障害の人が持つ価値というテーマでお話ししました。
発達障害
2023.4.3