本日は「人に何を言われても動じない強さ」というテーマで、ギリシャの哲学者ソクラテスについて紹介します。
なぜ益田は精神科医なのに歴史の話をするんだ、倫理の話をするんだ、哲学の話をするんだと思われそうですが、考えあってのことです。
臨床をしていく中で哲学とは言わないんですけど、人権の問題など、そういうことがとても重要だなと最近感じることが多く、何で生きていて良いのか、何で死んじゃいけないのか、何で僕らは生きているだけで価値があるのか、ということを基礎教養として知らない人がたくさんいるんだな、ということがわかりました。
海外のものを僕らは読みながら勉強するのですが、カウンセリング技法とか。そこにはここまで書いていないんです。
それはなぜかというと、これが当たり前だからです、ある意味、ヨーロッパにおいては。基礎教養として当たり前のことなので、当たり前に知られている。
知っておくべきことにされているので、わざわざそこには書かれてないと思うんです。
日本だと知らない人がたくさんいますし、聞いたことあるけれども右から左の人もたくさんいると思いますので、こういう動画を通じて、西洋的な学問であるカウンセリングの基礎の基礎を一緒に学べたらな、と思います。
コンテンツ
ソクラテス「無知の知」
ソクラテスはどんな人かというと、紀元前469年~399年に古代ギリシャに生きていた人なんです。
昔と言えば昔な気もするし、2400~2500年前なので意外と近いかなという気もするかもしれません。
ギリシャは都市国家です。農村文化というよりは都市国家なんです。
売買したり、商業も発展していた。現代の日本、東京とちょっと似ているところが多い感じです。
ソクラテスは哲学者というか貴族というか、そういう人なんです。
どんなことをしていたかというと、どう生きるのかとかそういうことを教える人だったみたいです。
色々な哲学者がいて家庭教師をしたりしてたんですけれど、ソクラテスは「無知の知」ということを説明していきました。
そして「問答法」というものを確立したと言われています。
「無知の知」とは、「いやお前たち、何にも知らないじゃねえか」ということです。
知らないんだよね。
僕らは何か知っているように見せかけて、何も知らないんです。全然知らない。
だって僕も知らないですから。
僕も精神科医になる前は、精神科医になったら色々なことを知ることができるんじゃないか、精神科医として働いていくうちに色々なことをわかっていけるんじゃないかと思ったんですけど、自分が実際この立場になってみて、やはり全然わかっていないことが多いです。
わかっていると思ったり、偉そうに言ってしまうときもあるんですよ。
でも後から考えてみると、全然わかってなかったなということはたくさんあります。
そしてそれは僕だけじゃなくて、多くの人がそうなんです。
この時代はインターネットとかなかったですし、都市国家なので色々な人が来るんです。
色々な人が来る中で、「俺、何でも知ってるんだよね」ということを言うヤツがいるわけです。そうしたら、みんな信じてしまうわけです。
この人は知ってるんじゃないか、みたいな気持ちになっちゃうわけです。
それで商売してた人たちもたくさんいるんです。
俺は知ってるよ、こうなんだよともっともらしく言う。
コミュ力高いことで上手くやってた人もいるんだけれども、ここは僕の大好きなソクラテスさん、空気を読まずに「いや、お前何も知らないやんけ」みたいなことを言って一世風靡したという。
ひろゆきの「それってあなたの感想ですよね」みたいな感じで、議論をぐちゃぐちゃにしたところもあるかないのか、みたいな感じです。
ディスカッションするんですよ。
そのディスカッションの仕方を「問答法」みたいな言い方をして、じゃあこういうことはどういうことですか、それはあなたは知ってると言ってますけど、これはどういうことか私に教えてください、と言って質問していくんです。
質問していくと、やはりわからないわけです。
曖昧にしていることはたくさんあるわけです。
それをもって「ほら、あなた何も知らないじゃないですか」と言った。これを「問答法」と言ったりします。
ソクラテス自身はそれを「助産術」という言い方をしているんです。
ほらね、あなたは分かってなかったでしょ、と言って、あなたは無知の知ということを知ることができましたね、みたいな形で言ったという話です。
この問答法のやり方は「ソクラテスメソッド」という形で、今でも臨床の中で生きています。
「それはどういうことなの?」「あなたはそう思ったけど他の人はどう思ったの?」「あなたはそう言っているけど、本当にそういう意味なの?」と聞いていくという感じです。
聞いていく中で、本人が自分の言動の矛盾に気づいたり、認知の歪みに気づいたり、明確化できていないものを明確化したり、ときに直面化したりということをやる、という感じです。
いかに生きるか
あとはもうちょっと教科書に載っていることを説明しますけど、魂(プシュケー)への配慮という形で、目先の利益に支配されるんじゃなく、良い生き方を目指しなさい、死んだ後に持っていけないものを追いかけるのではなく、物質的な快楽ではなく、魂が良くなる方法を考えなさい、みたいなことを言って、いかに生きるかを考えなさいということです。
そして徳(アレテー)です。
アレテーの重視ということで、誠実であること、正義感があること、正しく生きていることを重視しなさいということを言いました。
楽しければいいというのはダメだよ、ということです。
悪法も法という形で毒杯による死刑になってしまうんです。
ソクラテスは評判が悪かったんですよ。
「いや、お前何もわかってないやんけ」みたいなことを言っていたので、周りの人は怒って、恨みを持つようになったんです。
若者が親たちに対して「お前たち何もわかってないから、俺は言うことを聞きたくないわい」と言ってしまったんです。
その結果「お前、何やねん」という話になって、ソクラテスは若者をたぶらかした罪で死刑になっちゃうんです。
ソクラテスの死刑というのは結構ゆるくて、逃げようと思ったら逃げられたのです。
別の都市に行けば逃走もできたし、お弟子さんもたくさんいるから逃げられたんですけれども、ソクラテスは悪法も法である、良い市民として死にたいんだ、ということで、自ら毒杯を仰いで死刑を受け入れたということのようです。
今日にどう活かすか
これを僕らがどういう風に今日に活かすのかというと、親、上司、色々な人が色々言いますけれども、誰も何も知らないんですよ、本当は。
あなたのことはよく知らないし、主治医でさえ、あなたのことを知らないし、あなた以上にあなたのことを知っている人はいないので、あまり相手の言うことに支配されない方がいいです。
どうせ無知の知すら知らない奴らが適当に喋っているだけなんで、精神疾患はないと言ってる人たちだから、本当の苦しみ、うつの苦しみを知らない人たちが適当に言ってるだけなので気にする必要はないんです。
働いているからいい、お金を稼ぐから悪いことをしても仕方がないというのは嘘で、快楽を追いかけすぎないということはとても重要です。
こういう気持ちになれると少し楽なんじゃないかなと思います。
と言いつつ、徳を重視する、法律を重視しすぎると息苦しいですよね。
息苦しいので程々にという感じです。
でもこれはなぜ息苦しいかというと、無知の知を否定しているからなんです。
徳を重視するということは、自分は徳を知ってるんだと思い込んでいるし、法律は守らなきゃいけない、しなければいけない『べき思考』です。
べき思考というのは結局、自分の無知を自覚していないということなんです。
そうすべきだというけど、本当にそれはすべきなの?ということです。
無知の知を身近に置いていれば、べき思考になったときに「いやいや、そもそも何で?」という感じになるんです。
だから息苦しいのはそういうことなんじゃないですか、ということになります。
ソクラテスは有名な哲学者ですし、倫理学、哲学の祖と呼ばれている人なんですけれど、こういう人の概念というのがまず腹の底にあるというか、あるということは重要ですし、ないと何で生きているのかよくわからなくなってきてしまいます。
僕らが持っているカルチャーというのは、こういうものの上に成り立っている。
僕らが感じている常識というのは。
上辺だけ見てると惑わされてしまうけれど、根を辿っていくと「ああ、こういうことだったんだ」とわかってくると思います。
毎週金曜日はこういう話もしていこうと思いますので、お付き合いいただけたらなと思います。
前向きになる考え方
2023.5.5