東西線「早稲田駅」徒歩1分。夜間・土曜も診療。心療内科・精神科。自立支援対応

WEB予約はこちら

再診患者専用

03-6233-9538

予約制:木・日・祝休診

0362339538
初診WEB予約

  

再診患者専用TEL

03-6233-9538

通院を利用して、治癒する・幸福になれる人となれない人の違い

00:00 OP
01:41 はじまり
02:31 治療開始から理解と幸福へ
05:21 いろいろなテーマを語る
09:01 怒り、悲しみ

本日は「通院と治癒、幸福」というテーマでお話ししようと思います。

精神疾患に限らないですけど、人生において不安や悩みがなくなることはないわけですよ。
年を取って成熟すれば成熟したなりに何かの悩みはあるわけで。お金を儲けたらお金を儲けたなりに、成功したら成功したなりに、僕らはストレスや不安と付き合っていかなければいけないです。

でもある程度のゴールはあるわけですよね。
通院をするということは、治癒を目指していくということでもあるんですけど、ただ精神疾患の場合は良くなってきても、やはり再発予防のための通院、治療の継続ということが必要になったりします。

この人生何なんだろうと思って、「うー」とか「あー」と思ったりすると思いますし、明確にどういう状態になればいいのかがわかりにくいと思うんですよね。

今回はそこら辺の話をしようかなと思います。
つまり通院というのは何のためにやっているのか、何が起きているのか、こういうことを目指していけばいいんだということを言語化してみようかなと思います。

はじまり

いつからスタートするかということですが、僕らは突然生まれてきて、気が付いたら自我というか意識が芽生えてきて、気が付いたら何かよくわからないけど大人から指導されて「ちゃんとやりなさい」とずっと親から言われてる。

気が付いたら思春期に入ってきて、より複雑なことを考えられるようになる。
まだ大人になってないのになと思いながら社会に放り出されてということをやっています。
どこから始まったかっていうのはよくわからないですよね。

死んだらたぶんなくなるんでしょうけれど、いつ終わるのかもよくわからない。
いつ始まったかもわからないし、いつ終わるかもよくわからないんですね。

■治療開始から理解と幸福へ

精神疾患的な悩み、不安やうつもいつ始まったかも定義しにくいのですが、とりあえず初診日としましょう。

診断をしてアセスメントを受けます。どんな人なのか、どういう病名が考えられるのか、どういう治療方針がいいのか。
認知の歪みはどういうものなのか、あなたの長所は何なのか、あなたの欠点は何なのか、あなたはどういう考え方をしているから、自分で自分を傷つけてしまうのか、ということを評価します。

初回で終わることもあれば、だいたい初回だけじゃわからなくて、1回~4回とか通院していく中でだんだん見えてきます。

治療というのは3本柱でやるんですね。
一つは薬物療法ですね。この診断に対してこういう薬を使っていきますよ、と。

もう一つは福祉です。あなたの今の状況だとこういう福祉を適用した方が良いかもしれない。こういう福祉制度があるので、これを導入してもうちょっと楽にやりましょうよ、とかあります。

例えば休職中だったら傷病手当、医療費が高いのであれば自立支援、障害者手帳、そして障害年金というのもあります。
なかなか働けないのであれば年金制度もあります。
年金というのは、高齢者になったらもらえるものだけじゃなくて、病気になったらもらえるものもあるので、障害年金を導入できるかできないかも考えたりします。
場合によっては生活保護の導入も考えたりしますね。

3つ目の柱として精神療法があります。いわゆるカウンセリングですね。
言葉を通じたやりとりの中で、言語的な介入の中で、どれぐらい良くなっていくのかということを目指す。

と言いつつ言葉だけじゃなくて、こういう行動をした方がいいよという行動療法を促したり、マインドフルネスを身につけましょうとか、そういうことも精神療法に含まれます。

いわゆる薬物療法や福祉導入、それ以外のものという感じですね。
この3本柱を続けていく中で、自己理解や社会の理解が深まっていく。
理解できるので、適切な行動がとれるようになったり、次第に自分を受け入れられる、自分を責めるのではなくて、自分のことを理解して受け入れられる。
こういう人生なんだなとか、これはこれで頑張ったなということがわかると、内的充実してきて、それを「幸福」と言ったりします。

でもここで終わりではなく、まだ治療は続いていくということになります。
これが精神科の大雑把な流れですね。

いろいろなテーマを語る

精神療法というか、会話のやりとりだけに注目すると、何をするかというと2つの側面があります。

一つはさまざまなテーマを語るということです。
医師や心理士といろいろなテーマを語り合ってみるということです。

僕は「地獄めぐり」と言ったりします。
まあ地獄はいろいろなものがあるんですね。いろいろな名物というか。
そういう感じで精神科の中でもいろいろなことを語ります。

平凡恐怖、人からどう見られているのか、劣等感、親との確執、恋人に好かれているのか嫌われているのか、悪い感情を持ったこと、自分が悪さをしたこと、努力できていないこと、いろいろあるのでそういうテーマを語っていくことをします。

もう一つは治療者の取り込みや同一化ということです。
ずっとやりとりしていると、治療者の人となりがわかってくるんですよね。
「こういうことを言ったら、あの人こう言いそうだな」「あの人だったらこう考えるな」みたいな。そういう取り込み。
自分の中にバーチャル益田裕介ができるような感じです。

そうすると、そのバーチャルな心の中にいる存在と語り合うことで、内省が深まったりするし、それを目標にして自分の行動を変えてみることはできます。

この取り込みというのは、治療者だけじゃなくていいんです。
父、母、友達、学校の先生、いろいろな内的なキャラクターがいると思うんですよ。
その中に精神科医もいるということですよね。良き理解者というか治療者がいるという感じです。

患者さんは、悪い親を取り込んでいることがあります。
いつも叱る親、責める親、責める教師、そういうものがいるから苦しいわけです。
そういうものを超自我と精神分析では言います。超自我がないと今度は自由奔放でだらしなくなっちゃうので、適度には必要なんだけど、超自我が強すぎると苦しいという感じですね。

語るだけじゃなくて、治療者の取り込みも大事だったりするので、治療者は結構人格者じゃないといけないんですよね。
医師だって人間じゃないかとか言いますし、僕もいろいろ思ったことがありますけど、結局回り回って医師も人格者でなきゃいけないというか、人格者を目指していなきゃいけないというのはあるなとつくづく思います。

医師で患者さんに手を出すとか、恋愛関係になるとか悪いことをしてしまう、犯罪を犯すとか、人間だから弱いところはあるでしょうと言われそうですけど、それだと治療がうまくいかないんですよね。

それはなぜかというと取り込みがうまくいかなくなってしまうからなんですよね。
いろいろな人間が中にあっていいと思うし、悪い人間、弱い人間、強い人間、いろいろな人間がいてもいいんですけれど、やはり医師を取り込むのはそれなりの意味があるということだと僕は思っているので、医者らしく振る舞うのはとても重要だなと思っています。
益田は医者らしくないだろうと言われそうですけれど、僕なりの医者像をやっている感じです。

怒り、悲しみ

会話をしていく中でいろいろなことが起きるんですね。
最初はいろいろなことを語る中で、自分の内省とか自分のことを語るんですよね。
いろんなテーマを語るんです。

何度も通院を繰り返していく中で、5回とか10回の中でだんだん自分の語ることがちょっとネタ切れを起こしていくんです。

ネタ切れの中で治療者に関心が移っていくんですよ。
今までは夢中で自分のことを喋っていたのが、ちょっと熱が取れるというか、相手のことが見えてくるんですよね。
「益田は何を思ってるのかな」「益田はちゃんと頑張ってるのに、私は頑張ってないと思われてるのかな」「益田に嫌われるのかな」とか、そういうことを患者さんは思います。
過度に理想化したりとか、不安になったりとかします。

その後、ふとしたきっかけで怒りと悲しみに支配されます。
治療者も人間なのでしくじるんですよ。何かしくじったりします。僕もよく思います。
何か不用意なこと言ってしまうとか、予約の時間を間違えるとか、薬の処方の仕方を間違えるとか、何でもいいんですけれど。
決定的に相手の気持ちを逆なですることが起きます。

その時に怒りと悲しみに襲われるんです。
そもそも理想化していなかったり、益田に対して関心がなかったらそれぐらいのミスは全然許せるし、気にならないんですよね。
だけど、思い入れが強くなっているからこそ起きる怒りや悲しみだったりするんですよね。

これが絶対起きるんですけど、これを起こすために診療しているというか、準備段階だったりします。
これというのは結局過去の再演だったりすることがあります。

何でわかってくんないんだよというのは、親に対する怒りだったりするかもしれないし、恋人に寄せていた感情かもしれないのですが、全く同じことがここで起きる。その時と同じような感じに陥るんですよね。

これが人間の変なところというか、人間らしさというか、人間の動物的な感覚なんですけれど、本当に戯曲なんですよね。ドラマなんですよ。

絶対起きる。これが起きるんだけどちょっと催眠状態というか、何でそんなことが起きるんだろうと感じられるんだけど、益田のことを父親に重ねたり、母親と重ねたり、恋人と重ねたりする。
そういうものを転移や投影と言ったりするんですけど、そういう状況が起きます。

ここでいろいろな言葉を掛けたりとかするんだけれども、信頼関係があったりとか、今までの積み重ねがあったりすると、妥協しなければいけないことを学ぶんですよね。

そこで治療者を嫌ったりするのではなく、そうじゃなくて受け入れなきゃいけない。
諦めて受け入れなきゃいけないってことが起きるんです。それは親と似ていますよね。

思春期の時とかもそうだけど、うちの親は何なんだよとか、なんでよその家みたいに塾に行かせてくんないんだよ、よその家みたいに家はお金持ちじゃないんだよ、よその親みたいに全然理解してくれないし話を聞いてくれないんだよとか思うわけですよね。

こんな家嫌だと思うんだけれども、でも何て言うのかな、恩義があるというか、親を受け入れていく、そして感謝していくということは起きる。
それと同じようなことが治療の中でも起きるんですね。

患者さんの多くは親子関係の中での諦めと受容がうまくできていなかったり、恋人関係の中で起きていなかったりするんですよ。
人間関係は結局妥協せざるを得ないというか、社会の中で生きていくということは、妥協の連続でしかないんですけれど、その妥協を覚えるんですよね。

妥協を覚えつつ、それを何か負けたという敗北感ではなく、「そういうものなんだな」とふっと腑に落ちる。
そして、ありがたいなという感謝の気持ちになる。だからマイナスのものじゃないんですよね。ポジティブなもの。

そういう中でジレンマの理解や共存を覚えたりして、また一つの山を越えた後、また次のテーマで内省や語りが始まるということなんです。
これを繰り返していくのが治療なんです。

日常でも起きるけれど、なかなか日常ではうまく乗り越えられなかったものを診察室でやっていくのが精神科医療だったりします。

でも脱落してしまう人もいるわけですよね。
うまくできない人もいたりするということです。
今回は可能かと思ったけれど、今回も無理だった、治療者との関係でも無理だったということは全然起きます。

このモデルはやっぱり普通の人というか、健康的な人がモデルなんですよね。
健康な人と病気の人は延長線上にあるように見えて一つの壁があったりもするので、できるのかというのが課題ではあります。

それは精神分析の課題だったりします。
こういうものをフロイトは「生物的な岩盤」と言ったりもする。
これが上手く回らないから、カサンドラ症候群という形で発達障害の人に対してすごく落ち込んでしまう、パートナーが落ち込んでしまうこともあるし、これがうまく回らないからそもそも発達障害なんだという言い方もできたりするんですね。

でも、これ以外のやり方を僕らは知らないのでやっている。うまく合わせていけるようにしていく。
彼らの中の病的な部分はあるけれども、病的じゃない健康的な部分に訴えかけていくことをしたりするという感じです。
これが治癒のイメージですね。

このイメージを持ってもらえれば、このYouTubeも同じように応用できると思うんですよね。
いろいろなテーマを見ながらコメントをしてもらったり、自助会に入ってもらったりしつつ、嫌になったら脱落してもいいんですけど、益田はやり続けているので、2、3ヶ月後とか半年経ったらYouTubeに戻ってきてもらって、またいろいろな動画を見たりしながら学んでもらえたらなと思っております。

今回は通院と治癒、幸福というテーマでお話ししました。


2023.5.11

© 2018 早稲田メンタルクリニック All Rights Reserved.