本日は「障害・特性・不幸の受容」というテーマでお話ししようと思います。
よくある挫折とかそういうものの受容ですね。
自分の劣等感や自分の弱さをどう受け入れるのか、どうして受け入れ難いのか、受け入れる過程ではどういうことが起きるのかをお話ししようかなと思います。
これはキューブラー=ロスという心理学者の人が、死の受容の5段階という話をしたんですよ。それをちょっとアレンジして説明しようかなと思います。
これは精神医学のみならず、医学の教科書や心理学の教科書によく載っている有名なやつです。
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受容までの段階
病気や死を宣告された人たちは5つの段階を経るということを言うんですね。
1つ目は「否認」です。「え、どういうことですか? そんなことないでしょう」と。
その後「怒り」です。「何で俺がそんな目に遭わなきゃいけないんだ?」という怒り。
その後「取引」をするんですよね。「神様、これから優しいことをするので許してください」「これから食事を気をつけるからどうにか治ることはないでしょうか」とか取引をしたりする。
その後に「うつ」っぽくなるんですよね。絶望とか悲しみとか。
その後に「受容」が起きることになっているということです。
そういう5段階を経るとキューブラー=ロスは言うんですけれども、実際の臨床的にはこの5段階を経るわけでなくて、怒りからスタートして否認になったり、取引になったり、抑うつ的になったり、また怒りに戻ったりいろいろしながら受容に至るという感じです。
受容ができないと
精神科の患者さんも色々な挫折を経験しなければいけないし、これまで経験してきたものをより明確に受け入れていかなければいけないですね。
自分の病気、障害、特性、不幸、事件を受け入れた上で、じゃあ手持ちのカードで何ができるのかを考えていかなきゃいけないんですよね。
受容が大事なんだけど、なかなか受容ができないという感じです。
受容ができないから怒るわけですよね。
怒るから僕の動画にも何にしても、益田が悪いのかもしれないですけど、口コミ1をつけるとかいろいろなことが起きるわけですよね。
怒ったりとか、そもそも精神疾患がないとか言ったりするわけですよね。
ちょっと私情が出ちゃいましたけど、なんかね。
動画のコメントを見ていても「いや、こいつは」とか言ったりしますけど、受容以前の段階にいるということですよね。この段階にいるから、そういう風になっちゃうということです。
苦しみを抜ければ…
基本的には、子供が大人になっていく過程と似ているんですよね。
最初は苦しいんですよね。
苦しいけれども、どこか一方で万能感もあるんですよね。
この苦しみが終われば、自分はすごいんだとかハッピーなんだみたいな。万能感があるんですよね。背景には。
これが終われば、この病気が終われば、この苦しみを抜けると、自分はすごい幸せになれる、幸せの状況に戻れるというものがあります。
だけど、ゴールは違うんですね。
苦しみはほどほどの苦しみに変わるだけだし、万能感は平凡なものに終わります。
自分はどこかこの不幸がなければ優れた人間かもしれないと思っているんだけども、そんなことはなくて、そこら辺にいる人と同じ、もしくはそこら辺にいる人たちよりもちょっと劣った存在だということを受け入れなきゃいけない。
これが大人になる過程とも似ているし、病気を受け入れる過程とか障害を受け入れる過程とも似ています。
そして、こんなの受け入れられないというのは、万能感に支配されている時ですよね。
平凡を受け入れられない時はそういう時であって、別に平凡を受け入れてしまえば、別にそんなに苦しいことはないんですけれども、なかなかという感じです。
受容までの段階
どういう段階かをもうちょっと詳しく言うと、まず1つ目は「否認」ですね。
「そんなものはないんだ」と否定しちゃうんですよね。もしくは目に入らないという感じです。
「いやいや、精神疾患なんかないでしょう」「そんなものないでしょう」「お前嘘ついているでしょう」とかみたいな感じです。
それがだんだん「怒り」を帯びて言うこともあります。
「ふざけんなよ、お前嘘つくなよ」「お前が能無しだから救えないんだよ」「精神科医と名乗っておきながら精神を救えないなんて、本当にお前は医者なんですか」とか言うわけですよね。
あとは「取引」ですよね。
例えば理想化するんですよね。
「いや先生は素晴らしいですね」「すごい人ですね」とか言ったりとか理想化して、「感謝してますよ」とか言って、感謝をするとか推すことでどこか「だから救ってくださいね」みたいなのがあるわけですよね。
あなたのことを信仰しますよ、あなたのことを信じますから、その代わり救ってくださいねみたいな、どこか傲慢な状況が起きたりします。
あとは「抑うつ」ですよね。
「自分なんかもうダメなんだよ」と絶望に浸る。
絶望に浸った後にまた怒りになったりするという感じです。
ここを行ったり来たりします。
だからここをどうやってワークスルーするというかブレイクアウトするというか、受容側に行けるのかはやっぱりなかなか苦しいんだよね。
行ったり来たり葛藤しながら受容に抜けることをするんだけど、なかなか抜けられないんだよね。
正しい出口に出られない、苦しみ・万能感側に戻ってしまったり。
この状況は苦しいから、インチキな商品とか洗脳の世界に逃げ込んでしまったりして、時間をどんどん無駄に過ごす。
ある種の倒錯的な万能的な世界に身を浸したりすることもあるし、俺は抜けたんだと思いたいからスピード出世みたいな、私は勉強したんだから、私は精神科医だから、私は看護師だからとか、私は心理士だから苦しみがあってもすぐ抜けられるんだよと言いたくなるんだよね。
でもそんなことはないわけで、スピード的に抜けられた、本来味わうべきものを味わわずに抜け切れたんだというのはだいたい嘘ですよね。
取引の問題だったり否認だったりしますね。
スピード出世は仮初の姿ですね。
だから苦しみから受容に至るまでにはそれなりの葛藤があったり、長い苦しみがあります。
これを抜きにして受容に至ることはない。
スルッと抜けたつもりになっている、器用に抜けられた気がするのはスピード出世の問題だったり、インチキや洗脳の問題だったりするなという感じです。
こういうことかなと思います。
だからよく見ていて思いますけどね、この人は怒りの状態なんだろうなとか、否認に今いるとか。
正しく抜ける人もいれば、なかなか抜けられず洗脳に抜けちゃう人もいるし、苦しみの世界に戻ってまた別の治療者の元で繰り返して受容に抜けることを目指すかもしれないしという感じですかね。
挫折をどう受け入れるかとか、思春期をどう乗り越えるのかというのはこういうことですよね。
こういうことを経て受容側に行くということになります。
ということで、今回は障害・特性・不幸の受容というテーマでお話ししました。
前向きになる考え方
2023.7.4