東西線「早稲田駅」徒歩1分。夜間・土曜も診療。心療内科・精神科。自立支援対応

WEB予約はこちら

再診患者専用

03-6233-9538

予約制:木・日・祝休診

0362339538
初診WEB予約

  

再診患者専用TEL

03-6233-9538

自閉スペクトラム症受動型の治療:ケーススタディ

00:00 OP
03:29 ケース紹介(創作)
07:35 治療

本日は「ASD受動型のケーススタディ」というテーマでお話ししようと思います。
毎週月曜日は創作のケーススタディをやっているんですね。リアルな話ではないんですけども、臨床家が作るケーススタディなので、それなりのリアリティはあるのかなと思っております。

今回は自閉スペクトラム症です。
自閉スペクトラム症で受動型のタイプの人を扱ってみようかなと思います。

発達障害には色々なタイプがいるんですけれども、大きく分けると積極奇異型と受動型に分かれるんですね。

積極奇異型というのはどういう人かというと、エヴァンゲリオンのアスカ・ラングレーみたいな人です。
人の顔色とか人の意見を気にせず、自分の言いたいことを言うとか、ゴリゴリ押しつけていく感じです。

受動型はどちらかというと、おとなしくて控えめで自分から意見を言えない綾波レイタイプです。
今時の人はわからないかもしれないので、エヴァンゲリオン?なにそれ、おじさんの趣味を押し付けないでと言われそうですが。

受動型というと無口キャラという感じですよね。アニメとかよく出てきますよね。無口、ボソボソタイプ。
そういう人たちは漫画やアニメの中だけじゃなくて、現実的にも結構いますね。

共感性が乏しくて、主体性が乏しい。自分からこうしたいという意見がなかったりとかする。
常識的でいい子、学級委員タイプのいい子なんだけれども、自分からというよりはそうした方がいいと思っているからであって、そこに対するこだわりがあるんですよね。

常識的なものにこだわってしまう。
いい子を演じすぎて潰れちゃうというかそういうタイプでもあったりします。

いい子を演じてつぶれるタイプには色々いるんですよ。
例えばヤングケアラーとかそういうタイプだったり、虐待を受けていた、強迫的な人、完璧主義なタイプもいたり、まあいろいろなタイプもありますね。

不安障害、社交不安があるから逆にいい子を演じているパターンもある。
発達障害のパターンもあります。
同じ学級委員でいい子型といっても、いろんなタイプがあるんです。

ケース紹介(創作)

A子さん、エヴァンゲリオンの綾波レイで例えちゃうんですよね。今日は仕方ないからそれでいきますか。
共感力が低いんですよね。
友達を喋っていても「興味ない」みたいな感じ。
うなずいているけれども、うなずいているだけであまり入ってなかったり。

自分からこうしたいというのがなくて、誰かについて来たりするんだけれども、楽しんでいない。
友達と遊園地に行くんだけど、「一番楽しかったのは何?」と帰ってからお母さんが聞くと「一番楽しかったのはジュース」とかね。

遊園地で遊んだとかじゃなくて、途中で飲んだジュースが冷たくておいしかったみたいな。
特別なジュースなのかというと、そうじゃなくて自由販売機とかコンビニとかどこでも買えるようなジュースだったりして、「じゃあ何で行ったの?」と聞くと「わかんない」とか言って。そんなことを言ったりする感じです。

宿題なんか忘れてもいいんだよとか、そこまでこだわらなくていいんだよとか言うと、気が狂ったように怒るんですよね。気が狂ったようにっていうのはよくないですね。ここでね。だけど、そういうことですよ。

こだわりがあるから宿題を忘れようものなら取り乱しちゃうし、宿題を忘れ物がないように何度も確認するとか、そういうこともします。
ASDといえどもADHDを合併していることが多いですから、ミスが多かったりするんですけど、困っていることも多かったりするんですよね。
だけど言えなかったりとかするし、忘れ物がないように何度も何度も確認するタイプでもあったりします。

発達障害の子は発達障害の親が多かったりするんですけど、親子ともに受動型かというとそうじゃなくて、両親は積極奇異型で、子供は受動型のタイプがあります。
その結果、親に振り回されちゃうみたいな感じのこともあったりします。

あんた暇でしょと言って、土日は絶対親に駆り出されちゃう、親と一緒に遊びに行かなきゃいけないとか。
「いやいや、私別に一人でゆっくりするのが好きなんだけど」と本心では思っているんだけどなかなか言えない。
「退屈そうでかわいそうだから」といって親に振り回されてしまう。
「あんたね、もっと女の子らしい服を着なさい」とか言って、親の勧める高い服を買ったり、本当は欲しくないのにと思いながら買う。

親も悪気があるわけじゃない。
後で「私本当は欲しくなかったのに」と言おうものならめちゃくちゃ怒られるんですね。
「だってあんた、いらないって言わなかったでしょう。あんたのこと考えてやったのに」「あの時、あなた喜んでたじゃない」とか言うんだけど「うーん」と言ってぐちゃぐちゃになる。

実際、本人が計画を立てると上手くいかなかったり、いいものができなかったりするというのも、ちょっとした悲劇なんですよね。
自分でやった経験がなかったりするからいいものを作った経験がないし、自分から動いたことがないので、いざやってみるとうまくいかない。

共感性が乏しいので、他人のアイディアや他人の失敗や成功から学ぶ力が弱かったりして、上手くいきにくいというのがあります。
そういうものを活かせないからうまくいかない。
積極奇異型のタイプだったら、他人から学ばなくてもそれ以上に自分でトライアンドエラーを繰り返すのでうまくいくんですけど、受動型の場合は、トライアンドエラーが少ないのでいざやってみると失敗してしまうことがあったりして結構困るという感じです。

治療

そういう中で受診してうつ病かなと思って来るんだけれど、うつじゃなくて発達障害の受動型だったということは結構あります。

どういう治療がいいのかと言うと結構難しいですね。
発達障害は薬物治療だけで良くなるものではないですね。

うつがあれば抗うつ薬で抑うつ気分をちょっと良くしてあげるみたいなところはあるかもしれないし、ADHDが合併していることが多いので、頭の混乱や整理がつかない感じとか、不注意とか衝動性とか感情の起伏はADHDの薬物治療をすることで改善するかもしれないけれど、その本質であるASDらしさ、自閉的なところ、共感性や主体性の乏しさは薬物治療では良くなっていかないですね

ということは、言語を介したトレーニングが必要になってくる。つまりカウンセリングですね。
カウンセリング必要になってくるんですけれども、またカウンセリングもなかなかうまくいかないことが多いです。
なぜかというと、言語化する力が弱いんですよね。苦手だったりします。

言語化する力が弱いので、言語的な介入をしていくことがなかなか難しいし、それがかえって暴力みたいになってしまう。
治療者側の暴力のように感じてしまうことも多いんですね。押し付けられている感じ。
しかもそれが本人にとっては聞きたくないことを聞かされているような感じ。
未知の情報を聞かされて、ただ困惑させられているような感じになることが珍しくないです。

精神科の治療とはどういうものなのかと言うと、僕は主観2.0みたいな言い方で説明しています。
僕らが考えている主観的な世界はふわっとしているし、グチャっとしているんですよね。
それを一回、客観的な現実に照らし合わせて問題や現実を整理してみる。

そしてその上で本人が選ぶべき道を選択し、新しい価値観で生きる。それを主観2.0という言い方をして、精神科の治療の流れを簡単に説明します。

この客観的な現実を理解してもらうために説明しても、ただ困惑させられることがあります。
嫌な人に見られちゃうというか。

客観的な現実というのは、常識を壊すということでもあるんですよね。
日本にとっての常識は世界にとっての非常識だったりするし、本人にとっての常識、、世界から見れば非常識だったりするわけです。

客観的な現実、医学的にも科学的にも合理的にも正しいことを伝えていくと、今まで持っていた本人達の常識は、限定されたカルチャーの中の常識でしかなかったというか、事実でしかなかったということに気づかされるんですよね。
それを破壊されるとただただ困惑してしまうことがあったりします。

本人の知識、経験、言語能力、論理的な力が高まっていく前に言うと、子供に性教育をするような形で、ただただ暴力的で悲惨な感じになってしまう。
本人の成長に合わせて少しずつ伝えてあげなきゃいけないですね。

主観2.0は結局、言ってしまえば元も子もないような客観的な事実から積み上げる力が必要なんですよね。
その中から自分らしい人生とは何かを積み上げていく力が必要。積み上げていくことが大事なんですよ。

よく僕の動画で「益田先生そんなこと言うけれども、ひどいじゃないか」「それだけ言われたらただ傷つくだけじゃないですか」と言われたりすることもあるんだけれども、確かにそうなんだよね。

主観から客観しか焦点を当てていない動画はたくさんあるので、そういう動画の場合は客観から主観2.0の話はしていない。その場合は人によっては結構きついですね。
「じゃあどうすればいいんだ」とわからなかったりすることもある。

だから動画の最初に「この動画はちょっと激しいですよ」と注意書きを入れているわけだし、動画のサムネイルでも最近は難易度という形でちょっと伝えています。
こういう現実を知った時に、その後にじゃあそこから頑張っていこうかと思える人と思えない人がいますよね。

それは愛情を受けてきた経験とか、自己肯定感とか、いろいろな要素はあるんですけども。
でもその中には言語能力、主体性などが関わってきて、積み上げていけない人たちもいるということです。
積み上げていけるかもしれないけど、かなり大変だという人たちもいますね。

だからやっぱり福祉は重要なんですよね。
答えを提示することもとても重要です。
カウンセラーとか精神科医は、自分の人生の答えを自分の価値観で、自分の手で掴んでもらいたいというのがベストなんですよね。

自分で答えを見つけられるための力を提供することが大事なんだけれども、それは全ての人にとって出来るものではないし、その力を身につけるためのトレーニングをさせるべきでもないんですよね。

僕らはやはり心理学マニアですし、哲学マニアでもあるし、心の専門家なのでついつい色々なことを教えたくなってしまうんですよね。

料理人が包丁の研ぎ方から野菜の選び方から野菜の切り方まで全部丁寧に教えたいのと似ていて。
でも多くの人はそこまで知りたくないですよね。
そうじゃなくてもっと簡単に作れる方法を教えてくれよとか、簡単においしいものを作れるレシピ教えてくれよと思うわけですよ。
場合によってはレトルトでもいいんだよということですよね。

何でもかんでもプロみたいになるためのテクニックを教えていく必要はなくて、本人が生きやすい道をどうやって提示してあげるのかも、3種類からしか選べないということかもしれなくても、それでもいいんですよね。

語弊がありそうでど、そういうのも大事ですよね。
心理学の世界や精神科の世界はすごくニッチな分野でニッチなコンテンツなので、一般の人に向けて情報発信している人は本当に少ないと思います。

プロに向けている、準プロの人だとか心理学や精神医学オタクの人に対して向けていて、本当に必要な人たちに対して必要な情報を提供しているのかというのがすごく疑問に思いますね。

そういう人たちに伝える場合は、今度は耳触りのいい言葉だけ伝えて、全然臨床的ではなくその場しのぎのインスタントみたいなことを教える人たちもいます。
ジャンクな情報を伝えてる人もいて、それはそれで間違っているとは思うんですけど。
カジュアルでありながら本質であることを伝えていくことも大事だし、本人たち相手に合わせて、考える力は全然違うので、答えを提示してあげることもやっぱり大事だろうなと思います。

これは「千と千尋の神隠し」に出てくるカオナシです。
カオナシは湯婆婆のところにいるときには暴れちゃうんですよ。
自分が何者かわからなくて、刺激に弱くて、刺激に合わせて変化して暴れ回ってしまう、混乱しちゃうんだけれども、銭婆のところに行ったら落ち着くんですよね。

だから苦しいのはその場所にいるからだったりするんですよね。
受動型の人や精神科の患者さんの一部の人は、自分で世の中にアジャストする力を身につけようとかトレーニングしようというのではなくて、福祉的な対応も重要だったりしますね。

そうじゃなくて、彼らに合った環境はどこなんだろう、そこに行くためにはどうしたらいいんだろう。
行けないと思っているならどういう抵抗を取ってあげたらいいんだろうとか、そういうことを考えるのもとても臨床的ですし、大事なのかなと思います。

今日は、ASD受動型のケーススタディというテーマでお話ししました。


2023.8.14

© 2018 早稲田メンタルクリニック All Rights Reserved.