「病気なのか、性格なのか?」この複雑な問題について私見を述べてみたいと思います。この話をするためには診断の歴史の理解と防衛機制の理解が関わります。
診断において、病気を外因(体の病気からくる精神の病気、身体症圏)、内因(統合失調症、うつ病、躁うつ病の3つ、精神病圏)、心因(それ以外、神経症圏)の3つに分けてきた歴史があります。加えて、神経症圏だけれど何か不可解、何となく通じにくさがあるということで「境界圏」を設けました。「境界」というのは、精神病圏と神経症圏の境界ということです。ただ、この分類では説明がつかないことが増えたので現在の精神医学では廃止?されています。強迫性障害は脳のメカニズムの問題だとわかっていますし、依存症も脳の変性が起きているとわかっています。とはいえこの分類はわかりやすいので臨床家レベルでは使ったりもします。
薬が出て来たのは1950年代ですが、広く一般化したのはもっと後のことです。それまではカウンセリングで治そうという歴史が長く、医師以外の人も研究してきました。例えば、フロイトが人間にストレスがかかった時に起こる心の反応を述べ、それをフロイトの娘であるアンナ・フロイトが「防衛機制」として分類しまとめました。先ほどの症圏と照らし合わせると、精神病圏は投影・退行、人格障害圏は否認・分離、神経症圏(すべての人)は合理化、抑圧といった具合です。(神経症圏の人が投影や否認をしないということではありません)
ややこしい話ではありますが、精神科のカルチャーですので患者さんにも馴染んでもらわないとと思っています。お寿司屋さんで海外の人がフォークで食べたい、ケチャップをつけたいと言ったら、対応はできますが本当のお寿司の美味しさ、素晴らしさは伝えられなくなってしまいます。精神医学もそれと同じで、患者さんの理解も大事です。
精神医学は一つの公理体系ではありません。いろいろな文脈があります。平面的な理解ではなく、立体的、時空(歴史的背景)を超えた理解が必要です。自他の違い、社会の変化に合わせて必要な課題も変わってきます。
未だかつて人間の心を1つの理論で説明できたことはありません。いろいろなところから知恵を借りながら目の前の課題を解決することを積み重ねることが大事だと思います。