今日は「傷ついた。けど、もっとひどいことも起こりえたのだ」というテーマでお話しします。
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防衛的悲観主義
先日、僕は非常に疲れており、朝起きても体に疲れが溜まっていて「うわぁ、もうキツい…」と思っていました。お腹の調子も悪いし嫌だなと思っていたのですが、去年の6月5日からお酒をやめていたので、二日酔いみたいなものはありません。
以前はストレスが溜まると飲んでしまって、翌日は気分が悪いし体の疲れも残っているということがありましたが、少なくともそういうことはありませんでした。
かといって決して幸福というわけではなく、やはりだるくてしんどく、「なんかなあ」と思ったりしていました。
ですが、「まだマシだったな」と思うことで気持ちを切り替えて、普通に診療などしていました。
このような類のことを「防衛的悲観主義」と言います。
どうせ人生はひどいものなのだから、その割にはマシだ。そう思うと何とかやっていけるということです。
そのような価値観を防衛的悲観主義と言います。
日本人にはこのような人が多いです。
明石家さんまさんも「生きてるだけで丸もうけ」と言ったり、タモリさんも「自分に期待するな」と言ったりします。
そうすると、一番低い状態から始まるのでちょっとしたことでハッピーになるのです。
今日は体調悪いなと思っていても、まぁ二日酔いじゃないぶん良いなと思う。「俺、お酒やめられてて偉いな」と自画自賛したりしてテンションを上げる、ということをしています。
このようなテクニックは大事なのですが、あまり身に付けている患者さんは多くないと思います。
傷ついた人の物語を読む
どうすればこのようなテクニックが身につくかと言うと、たとえば「傷ついた人の物語を読む」という方法が挙げられます。
いろいろな物語、映画、小説何でも良いのですが、レパートリーを増やしてそれに感動して、自分の中の人生観や哲学、生きる指針を少しずつ肉付けしていくのが良いと思います。
例えば今回のケースだと、「不幸に襲われ、生還する。報酬もなく、傷は残る」というストーリーを読み、それに共感したり感動したりしていると、防衛的悲観主義も身についてくるのではないかと思います。
不幸というのは「鬼に襲われる」「災害に遭う」といったことで、戦いなどを経た後、ボロボロになりながらも生還します。
生還できますが失ったものは大きい。
鬼に襲われたので鬼を退治をしても報酬がもらえたわけでもなく、自分にも後遺症が残り、ただただ不幸なんだけれど不幸は去った、というストーリーを読みます。
例えば「鬼滅の刃」なんかもそうです。
家族が鬼に襲われて主人公たちが復讐をします。最後は傷が残ります。
何か国から報酬をもらうとか、鬼を退治したからハッピーなことがあるということは特にありません。
実際は少年漫画なので、少しお金をもらうとか恋人ができるなどありますが、いわゆる何かをやったからお宝をゲットするというような物語ではありません。
村上春樹の短編集に「かえる君、東京を救う」というものがありますが、これも同じような類の話かなと思います。
人生とは「そういうもの」
病気になるというのはただ不幸に襲われている状態です。
病気が良くなり復職したら、「あなたは頑張ったしかわいそうだから、給料増やすよ。ボーナスが増えるよ」ということはありません。むしろ下がったりします。
残念というか、苦しいことが起きるのですが、そういうことが人生にはあります。
お前が偉そうなことを言うなと言われるかもしれませんが、やはりそうなのです。
そのような患者さんたちをたくさん見ていて、なぜこの人は治療でこんなに苦しい思いをしたのに、復職した後も嫌な思いをさせられるのか、と時々義憤に駆られます。ですがそういうものです。
世界を知るには
そういうものだと思うにはどうしたら良いかと言うと、いろいろな人の経験を聞くこともそうですが、皆さんは僕のような立場ではないと思うので、いろいろな物語を見ることが大事だと思います。
自分ひとりの体験では世界を知ることはできないので、人の体験を知る、人の作品を見るといったことで、世界はどのようになっているのか、不幸とはどのようなものなのか、不幸に襲われるとはどういうことなのかを知り、でも生還できる素晴らしさも知る。
わかりやすい報酬はないかもしれないけれど、生還できる喜び、意義を理解できたら良いのではないかと思います。
今回は「防衛的悲観主義」について解説しました。
前向きになる考え方
2021.10.26