今日は「寂しい」について、医学的と言うより雑談、エッセイ的に語ってみようと思います。
「寂しい」と訴える患者さんがコロナによって増えたかどうかよく聞かれるのですが、実際はそれほど増えていないと思います。
もちろん、「コロナになって会社に行かなくなって寂しい思いをしている」とか、「飲み会が減ったのでつまらなくなりました」と言う人はいますが、皆がそうではありません。
全員が「寂しい」と受診するわけではありません。
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「寂しい」と言う人
寂しいについて考えたときに、実際の臨床ではこのような話をしています。
・出会いがなくて
「出会い?がなくて…」という女性の方が多いです。
驚きというか、考えてみればそうですが合コンはあまりしないようです。コロナになって気づけば2年ぐらい経っていますから、合コン文化というのも本当に減ったようです。
では男女の出会いはどこであるかと言うと、やはり職場だったり学校だったりします。
アプリを利用している人も多いみたいです。逆に合コンに行くのが恥ずかしい、わざわざ面倒くさいからアプリの方が楽という人も多いのですが、うまく使いこなせている人は少ない印象があります。
・なかなか出かけることも…
若い人だけではなく、高齢の方も寂しいと言う人は多いです。
コロナによって出会うことも減り、定年退職をされた人は「寂しいな」と言っている人も結構います。
探せばもちろん色々とあるのですが、「寂しい」と言っている人に実際に行動する人は少ないです。
寂しいからパートでもしようかなと仕事をする人も多いです。
最近多いのはライブ配信をする人です。
精神科の病気が重くて生活保護になっている人で、ちょこちょこライブ配信をしているという人も結構います。
ただ、ライブ配信系はノルマがきつく、続かなくてやめてしまう人も多いのですが。
ひとりが楽です
でも圧倒的に多いのは「ひとりが楽です」と言う人です。
寂しいという人は精神科の中では意外と少なく、「ひとりになって楽になりました」という人が多くなりました。
このような人はどのような人かというと、誰かと一緒にいることで楽しいことよりは苦しいことが多かった人です。
心的外傷と書いていますが、過去の友人関係か家族関係か分かりませんが、そのようなことで辛い思いをしてきて、ようやくひとりになってほっと一息ついているという人もたくさんいます。
では、そのような人がまったく職場以外で人としゃべらないかというと、そういうわけではありません。
ゲームで友達を作ったり、小さなコミュニティーなどで、部分的にコミュニケーションを取っていることも多いです。
「自分自身はこういう人間なのだ」という形での1対1の生身の人間同士の付き合いというよりは、自分の一部だけを差し出して、相手の一部だけを差し出されてその場でコミュニケーションをするという、疑似的なコミュニケーション、部分的なコミュニケーションで寂しさを紛らわせて充足している人も結構います。
生身の人間同士で付き合わなければいけないということはありませんし、バーチャリティーな人間関係がダメということもありません。色々な生き方がありますので、それはそれで良いのではないかと思います。
全員が「寂しい」と受診するわけではない
ネットを見ていると「ぼっち系YouTuber」という人がいます。
「35歳独身(彼女・友人なし)、手取り○○万円、発達障害あります」というような人が結構います。
このような形でYouTubeをやっている人もいますが、かといって受診しているわけではないようです。
結局何が大事かというと、「同じような条件であっても全員が「寂しい」と受診するわけではない」ということです。
独身で彼女もいないから寂しい、という人で受診する人は一部です。
ここは考えなければいけないことかと思います。
精神科医として、寂しいから来ているのだけど、その寂しさの奥にはどうしてこの人は受診する程まで、うつになる程まで苦しい思いをしているのかというのを考えることが重要だと思います。
・どうして行動ができないのか?
なぜ寂しさから抜け出す努力ができないのかということです。
・どうして満足できないのか?
友人もいて家族関係も悪くないのに寂しいと言っている場合、この人はなぜ今の人間関係で満足できていないのかということを考えます。
・これまでの友人関係・家族関係は?
こちらは重要です。
・劣等感、嫉妬は?
他人といる時に劣等感があるから人を切ってしまうのか、嫉妬があるから切ってしまうのか、といった気持ちを考えます。
・貧困や環境は?
本当にお金がない、田舎で人と会うことがないということもあると思います。
この辺りもきちんと確認しなければなりません。気持ちの問題では済まないこともあります。
・すぐに友人・恋人ができる?
すぐに友人や恋人ができると錯覚している場合もあります。
すぐにというと語弊がありますが、そのように思っている人もいます。友人や恋人は一生に何人作れるかくらいのことですので、人生をかけた仕事、努力でもあります。
そんなに簡単にできるものでもないので、それだけの覚悟があるのですか、努力をしているのですか、ということも確認しなければなりません。
すぐに手に入るものではありません。
治療関係は何を学べるのか
治療関係は何を学ぶ場所なのかということも、このような人の治療では大事なのではと思います。
通院しているということは疑似的な人間関係が起きているわけです。
疑似的というか普通の人間関係があります。
月に何度か確実に交流していますし、患者さんは僕のことを知っていて、僕も患者さんのことを知っています。そのような中で、どういう人間関係が起きているのか、ということを考えることも重要かと思います。
極端なことを言うと、障害がある方でひとりが楽で、月に1回や2回ちょっと益田と喋るだけで満足という人も人間嫌いの人には多くいます。
僕らの関係を通じて診察室で仲良くできたことで、他の人間関係に応用する人もいます。
治療関係の中で何を学ぶか、何を求めているかは患者さんごとに違いますが、患者さんのゴールや現状を見ながら治療関係をどう活かしていくのかは常に考えます。
前向きになる考え方
2021.12.19