今日は「恋愛について」精神科目線というか、僕なりの独断と偏見でお話しさせていただこうと思います。
「恋愛うつ」「失恋うつ」など、そういう俗語についても語ってみようかなとも思います。
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「恋愛」とは?
恋愛とはそもそも何なのか、パッと思いつく限りのことを3つ書いてみました。
・性衝動
そもそも生物学的に考えると「性衝動」というものがありますよね。
恋愛とは何かというと、性衝動に突き動かされた本能的な動き、行動であると言えるかもしれないと思います。
性衝動という観点から見ると、恋愛感情というのは2~3年しか持たないという研究もあります。
だから2~3年経つと別れてしまうというのもよくある話ですし、それが自然なんですよね。
そういうものです。
子供をつくるために動物に備わっている本能でもあるので、性衝動というのはそういうものなのかなという気がします。
・愛する=相手を尊重する
心理的に考えると「愛するものである」ということですね。
「愛する」とは何かというと「相手を尊重する」ということです。
自分よがりではなくて、相手を一人の人間としてきちんと尊敬する、尊重するということが「愛する」ということかと思います。
・結婚、子育ての前提?
社会的に考えると「結婚」のためですね、恋愛が何のためにあるのかというと結婚するためであって、子育ての前提だったりします。
別に結婚しなければいけないということもないと思います。今の世の中的には。
結婚しなければ子育をしてはいけないということもありませんが、古い価値観でいうとそうなのかなと。
でもいまだに社会制度としては、結婚と子育ては義務ではないですが、そういうことが言われているのかなと思います。
恋愛というのはそういうものです。
性衝動と、相手を大事にするという気持ちと、社会的な通過門(子育の前提となる結婚)がグチャグチャと絡み合って複雑な様相を呈しているのが恋愛というものなのかな、と思います。
だから、生き甲斐であるとか、そうしたファンタジーに囚われるよりは、その本質を考えて行くという態度は必要かなと思います。
恋愛にまつわる精神科の問題
恋愛に関して、それにまつわる精神科の問題というのはたくさんあります。
・うつ
例えば、恋愛をきっかけにうつになってしまったということがあります、失恋とか片思いとか不倫関係ですね。
許されない恋愛をしていることでうつっぽくなってしまう人、それで苦しくなって精神科へ来る人はたくさんいます。
失恋もそうですが、片思い、不倫など、「愛されていない」という思いは結構苦しいのですよね。
愛されていないことを受け入れるのは苦しいし、自分の好きな相手から愛されないことを認めるのは苦しいですね。
愛されていないとはどういうことなのかというと、尊重されていない、自分の人格を否定されているような感じがする、道具として利用されているということですね。
相手にとって道具になってしまっている、性を処理するための道具として扱われてしまってるという時はとても傷付けられます。
何かこう、苦しい思いをしてしまいます。
そういう相手に対して見切りを付けていければ良いのですが、切り替えの苦手さというのもあって、うつっぽくなってしまう人というのもたくさんいると思います。
切り替えていけば良い、悪い相手だったと思えば良いのですが、そういう性衝動に支配されてしまっているのか、それとも生い立ちの問題なのか、色々あると思いますが切り替えられない、だからしなやかな思考ができない、しなやかに考えられないからなおさら沼にはまっていくということが結構あったりします。
愛されてないという意味では、別に結婚関係が破綻していなくても、夫婦関係が続いていても、「カサンドラ症候群」ですね、相手が発達障害の場合だとカサンドラ症候群のようになってしまうことがあります。
発達障害の人と結婚した人がすべてカサンドラになるということはないのですが、にも関わらず、やっぱり愛されていないと思う、そういう夫婦関係になってしまった場合はこういうことがあります。
・性依存
性衝動を道具として利用していることに関しては、これが発展していくと「性依存症」というものがあります。
相手、つまり道具として利用された方はうつになってしまいますが、道具として利用している方は性依存症みたいになっていることがあります。
これは何かというと「性衝動を適切に扱えていない」ということです。
性衝動に任せるまま好きにやってしまうと、どんどん依存症のようになってしまって、楽しいからやっている、問題を打ち消すために自分本位なセックスをする、セックスのよろこび、快感に溺れるようになり、依存のようになってしまいます。
この性依存の問題の本質は、適切に扱えていないということもありますが、「性衝動=愛する」という文化から逸脱しているということです。
性衝動があればすなわち愛さなければいけないというのは、たぶん脳の中では別の部位なのですが、これらを一緒にすることで精神が安定しやすいのです。
精神が安定しやすいから文化として残り続けているわけです、人間の文化として。
でもこの文化というのは、別に否定しても良いわけです。
常識から外れて行くということも可能なのです。
売春というのはそういうことですね。
性衝動という人間の習性を利用してお金を儲けるという仕事でもあるのですが、ここから抜け出すとついていけない人もいるわけです。
常識から外れるということは、一見、自由になるように見えて、すごく心細いことでもあるので、病気になってしまうこともあります。
・共依存、境界性パーソナリティ障害
切り替えの苦手さから来るのは、「共依存」や「境界性パーソナリティ障害」の人も同じような問題が起きたりします。
どういう問題が起きているかというと、自分と他人が違うという自他の区別がなかなかついていないとか、他人を尊重するというところがあまり育っていない成熟していないということかと思います。
あとは、限界や制限を受け入れる、ということです。
僕らはいつかは死ぬし、記憶もなくなるし、無に帰す。輪廻転生みたいなものもあるかもしれないですし、最後の審判もあるかもしれないけれども、生物学的に考えれば無になります。
だから僕らはいつか死ぬのです。
そういう限界があるし、受け入れなければいけません。
自分達は自由には振る舞いきれないのです。
受け入れなければいけないものを受け入れていないのです。
自分と他人は別だということの事実、どこまで行っても理解し合えない、そもそも他人だから。
そういうことを受け入れ難いし、それを尊重することができないという病気でもあるのかなと思います。
だから、失恋というものから切り替えて行くというのは、ある種相手を尊重するということなので、尊重がしにくい、尊重されなかったから尊重ができないというのもあるのだけれども、こういう問題もあるのかなと思います。
恋愛で大事なこと
恋愛は色々な形があっても良いとか多様であっても良いというのは一つの見解で、それはそうだなと思います。
一方で、常識というものが持っている安心感とか不自由さというものの価値も忘れてはいけないと思います。
弱っている人ほど常識的に振る舞う、パターン通りに生きた方が良いのです。
常識から逸脱するということは自由に振る舞えて得るものも多い反面、リスクも多いわけです。
恋愛に関して言えば、上手く行くためには自己理解とか、いつもの話のように、他人を理解するとか、しなやかに考えるという、この3つは恋愛でも大事かなと思います。
それが出来ないと変な沼にはまって、悩んだりトラブルを起こしたりします。
恋愛=人生ではありません。
性衝動に支配されて「恋愛=人生」なんだと思い込むと良くないです。
それは性衝動の問題か社会的通念に支配され過ぎているのかどうかわからないですが、恋愛はあくまで人生の一部なので、恋愛だけに支配されず、他の喜びもしっかり理解していくことも重要かと思います。
恋愛=人生だと思っているということは、性依存や共依存などの問題だったりもします。
客観的に見ていく、恋愛とはどういうものかなというのを自分だけで考えるのではなく、色々な知識を入れながら捉えてみて、今何をすべきなのか、何をするのが自分にとって一番良いことなのかということを考えていくのが良いのではと思います。
今回は恋愛について語りました。
前向きになる考え方
2021.12.28