本日は「ひとりが楽 vs ひとりはさびしい」についてお話しします。
臨床をしていると「人といるのが嫌です。辛いです」という人が結構います。
煩わしいのでひとりが楽なんです、という人はたくさんいます。
一方で、やはりひとりがさびしい、ひとりでずっといるせいでうつになってしまったという人もいます。
「在宅うつ」みたいな形です。在宅勤務によるうつの人も結構います。
バランスは人それぞれ
どちらが良いかということをよく話すのですが、結論はどっちというわけでもないのです。
バランスが大事なのです。
ただそのバランスは人それぞれです。
例えば、全く人に会わない、無人島みたいな状態では、人は気がおかしくなる、変になってしまいます。
かといって、大勢の人に囲まれて常に監視されているような状態、動物園の檻の中に閉じこめられているような感じだと、それもまた苦しいです。ストレスを感じ続けます。
隠れる場所がないと苦しいです。
寮生活をしていても、ちょっとひとりになれる場所がないときついわけです。
ですからそれぞれなのです。
両極端にいたらきついわけで、でも人によっては、30~60と書いていますが、一人部屋がなくても良い、シェアハウスや集団で暮らしているのが楽しいタイプもいます。
たまには一人でも良いけれど基本は誰かと家にいたい、家にいるときは誰かと一緒に過ごしたいというタイプもいます。
反対に、もうちょっと孤独な方が良い、一人部屋がほしいし勤務も在宅でひとりで良いが、週に一回くらいは友達か誰かと喋りたい、月に一回は外来へ通院して誰かと喋りたいという人もいます。
全くのひとりが良いわけでもないし、常に誰かといるのが良いわけでもなく、その塩梅があってその割合は人それぞれで結構違います。
組織が好きな人もいれば自営が好きな人もいるし、好みは全然違います。
精神科の場合は全体的にひとりが好きな人が多いです。
世間の人よりもひとりで過ごすことが好きな人、あまり人と交流するよりはひとりでのんびりと過ごすことが好きな人が多いです。
生活保護を受けている患者さんも多く、人と一緒に働くとか何かを一緒にやっていくことに困難を感じている、それは生まれ持った人間嫌いというか、人間と暮らすことに困難さを抱えている人たちもいます。
社交不安障害や回避性パーソナリティ障害と言ったりします
でもそういう人たちも「調子が悪いです」と言ったときに、さすがに月一回しか外出しなくて誰とも会ってなかったら調子悪いんじゃないですか、人との交流が少なすぎるのでデイケアに参加してみますか、通院頻度を増やしてみますか、訪問看護を入れますか、ということも話したりします。
全くゼロというのはきついけれど、かと言って多過ぎてもきついという感じです。
ジレンマの克服!?
この話のポイントは「ジレンマがある」ということです。
人といるときの不快感、人といると嫌なことを言われ傷付いたり、変に気を遣って消耗したりします。
人といればいるほどトラブルはつきものです。
それが嫌だ、逃げたい、という気持ちもよくわかりますし、かと言ってひとりだとさびしいのです。
さびしいし不安です。
ひとりでいることは不安です。
ひとりだと問題解決できないのです、何かあったときに。
問題解決が困難なので、誰かの協力を得ないと人間は生きていけないわけです。
完全な無人島だと食べていけないです、そこが豊かで無限にバナナがなっていればいいのかも知れませんが。
それでも栄養バランスが悪くなりそうです。
やはり人間は協力し合っていかないと生活の糧は得られないし、それは現代でも同じです。
人間は元々サルから進化したと言われているので、サルは集団で生きる生き物ですから、集団でいないと不安になってきます。
動物の本能的にはある程度一緒にいないといけないし、動物の本能的に、不安なことや困っていることを誰かに話すと気が楽になります。
自分はこんな問題を抱えているのだ、ということをシェアすることで不安は解消されます。
それはそもそもどうしてかというと、理屈ではなく動物的にそうだということです。
臨床的に考えることは何かというと、ひとりでいるのが好きだというときに、ひとりの良さは自由なこと、身軽さだったりします。
でも、この自由であること、身軽であることを楽しめているのか、ということがあります。
そういうことが好きであれば良いのですが、そうではなく楽しめていないんじゃないか、この人はひとりが楽と言っているが、それを楽しんでいないのでは。人といる不快感があまりにも大きいので、消極的にひとりの寂しさ、ひとりでいることを選んでいることも多いのです。
さびしいなら付き合えばいい、誰かと一緒にいればいい、友達を作ればいい、ということではなくて、精神科でよくあるのは人といる不快感や傷付きの治療ということになります。
人といることの不快や傷付きをどう考えていくのか、どうやったら人といる不快感や傷付き体験を減らすことができるのか、ということを考えます。
患者さんは目の前に起きていること、目の前で起きている人間関係のトラブルで悩んでいるというよりは過去の虐待やトラウマ、いじめやパワハラ体験、そうした過去の経験に囚われて今の人間関係を楽しめない、今の人間関係を過小評価し被害的に捉えているということもあります。
そもそも発達障害的なものがあって、コミュニケーションが苦手でついつい奥手になっている。
コミュニケーションが苦手だからトラブルが増えて上手くいかない、挫折体験につながっているのであれば、コミュニケーションのトレーニングは必要です。
強迫的な感じで「べき思考」が強い、こうでなくてはならない、完璧主義、自分はこうあらなくてはいけない、だから人付き合いが楽しめない、人といると自分はこうしなければいけない、という思いに囚われているから、そのノルマを果たすことに必死で疲れ果てるということもあれば、相手に対してべき思考が強い場合もあります。
相手に対してこうすべきだ、親切に振る舞うべきだ、相手がこうしてくれないのはひどいと思うと苦しいです。
柔軟に考えられず、自分に対しても相手に対しても許容できる範囲が狭い、別にいい加減にやれば良いわけです。
相手だって適当で良いし、その代わり自分も適当で許してねという感じだと楽なわけです。
こんなに楽なことはないので、そういう人間関係を目指せば良いのですが、そういうことができない人だと苦しいです。
あとは、「弱者」であることです。
どこに行っても負け組になってしまう、人に利用されてしまう、人に傷つけられてしまう、劣等感が刺激されてしまう、そういう弱者であれば人といることが不快で苦しかったりするので、ここら辺をうまくやっていく、自分の弱さをどう認めていくかということを考えていくことも重要だと思います。
ひとりが楽なのかひとりが寂しいのか、僕もどちらかというとひとりが好きな方ですが、自由だし身軽です。
でもその裏には新しい発見があるから楽しい、新しい出会いがあるから楽しい。
身軽でないとそういうことはできません。
そういうものがあるからひとりを楽しめるけれども、そうではなく、ひとりであることの楽しみがないまま消極的に選んでいるのであれば、たった一回の人生でもったいないので、こういう問題を一緒に治療し解決できたらいいなと思います。
虐待やトラウマ、発達障害のコミュニケーション、べき思考、こうしたことに関しては別の動画もありますので、よければ参考にされてください。
解決のヒントは動画でお話ししています。
今回は、ひとりが楽 vs ひとりはさびしいについて解説しました。
前向きになる考え方
2022.1.11