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心を治すことが精神科医の仕事なのに、治せないなら精神科医は無能

01:15 精神科医の仕事
03:58 イメージと実際のものが違うとき
09:16 精神科医の対応

本日は「心を治すのが精神科医の仕事。治せないなら精神科医は不要だ」というテーマでお話しします。

患者さんからこんな風にお叱りを受けることが多いです。
「精神科医は心を治すことが仕事なんでしょ? でも治せていないじゃないか、じゃあお前は何をやっているんだ」
「お前はいらない、役立たずだ」

一日一回言われるというと言い過ぎですが、週に一回、月に2、3回は言われているかもしれません。
YouTubeのコメントを含めると一日一回は言われているかなと思います。

精神科医の仕事

「精神科医は心を治す仕事です、皆さんの心を癒すことができます、だから気軽に相談してください」
「あなたはうつで苦しんでいるかもしれません、気軽に相談してください」
「あなたは発達障害かもしれません、気軽に相談してください」
「薬物治療で症状が改善するかもしれません」

と精神科医は言います。
啓蒙活動をし、早期発見して早期治療が必要なのでそういう言い方をします。

もう少し深い話をすると、精神科の仕事は、
・診断をすること
・現存の医療システムの中で医療を提供すること
・福祉を導入するための診断書を書く
という言い方に変わります。

治すのが仕事ですが、医療を提供するのが仕事だという風に言い方が変わります。

その後に、「カウンセリングというのは何か」というと、話を聞くことで治す、対話を通じて癒していく、対話をしていけば心は軽くなって治っていくんですよ、と最初は言います。
ですが、カウンセリングというのは自己理解を深めていくためのもので、「自己理解プラスαのことを知ることで、気持ちが癒えていく可能性が高い」という言い方に変わります。

現実を知ると、思い描いていたものと違うということがわかります。

患者さんが、心を治すのが精神科医の仕事で治せないならインチキだ、というのはある意味正しいけれども、現実と理想というのは全ての仕事、全ての物事で違います。

そうは言っても、ギリギリ理想に近付く必要はあります。
治せないものも治せるようにしていく、困っている人の困り感を少しでも減らせるように努力していくということを精神科医は日々考えています。
なので役立たずだ、インチキだ、他を探す、と言うのではなく、「ギリギリまで一緒に近付く作業を根気よくやりましょう」ということになります。

イメージと実際のものが違うとき

この当たり前を受け入れ難い患者さんは一定数います。

抱いていたイメージと実際のものが違うとき、しなやかに修正できないのはなぜでしょうか。

実際にやってみると違うことはいっぱいあります。

子どものときに医者になって人を救いたいと思っていたけれど、実際に医者になって働いてみると子どものときに考えていたものと全然違う。
看護師になって皆に笑顔を届けたいと考えていても、日常の業務の大変さが分かってくると理想と現実は違う。

小説家でも映画監督でも、漫画家、芸能人や歌手、どんな職業、どんな物事もそうだと思いますが、理想と現実は違って、でもその現実の中で頑張っていくということになるのです。
多くの人は切り替えることができます。そんなものかな、と。

結婚する前はこうだと思ったけれど、ウチの旦那は全然違ったな、と思っても皆離婚しないわけです。

でも事前に思ったことを修正できない人がいます。
だから患者さんになっているとも言えるし、患者さんの中でもなかなか修正できない人たちがいます。

それは、心理的な抵抗の問題、経験不足、能力不足だったりします。

・心理的抵抗
「許せない」ということです。
両親が思っていた人と違う、すごく尊敬していた父親がくたびれたただのおじさんだった。
すごく大きくて綺麗なお家だと思っていたのが、意外とどこにでもある建売の家だった。
そういう子どものときのものが大人になってもあるということです。
受け入れ難いということです。
プライドだったり白黒思考だったり完璧主義だったり色々あります。

・経験不足
理想と現実が違うということに、生きていたら日々打ちのめされるわけです。
治療が上手くいかない、すごく好きだったカウンセリング理論が臨床ではうまく使いこなせない、というようなことを繰り返す中で、現実を受け入れていくことができるわけですが、そういう経験がないと、特に10代のように若いと受け入れるのが難しいのかなという気がします。

・能力不足
理想と現実のギャップにおける認知の歪みを直していける力が弱いとか、こだわりが強くて切り替えていく力が弱い人のことです。
ASDや発達障害の人のこだわりの強さはまさにそれです。
切り替えていくこと、こだわりが強いので別のものを考えにくいということがあります。
パーソナリティ障害の人の一部にもそういう傾向があると思います。

じゃあどうしたら良いのかということですが、そういう患者さんの対応をしているときに精神科医が考えることは、この診察室の中、病院の中での出来事ではなく、あらゆる面で傷ついてきたのかなと考えます。

だから、精神科医はどうして心を治してくれないないんだ、お前らの仕事だろう、と思うわけです。

それと同じように、何で学校の先生は自分をきちんと教育してくれないんだ、良い成績を取らせてくれるのが学校の先生だろ、英語を喋れるようにしてくれるのが英会話の先生の仕事だ。
子どもなんだから勉強をさせるのは親の責任だ、と色々思い、そういうところで何度も何度も傷ついてきて、その傷つきを修正できていなかったんだろうなと考えます。

精神科医が心を治せないというのは、当たり前のことです。
それをわざわざ言うのは、他の面でも当たり前のことを当たり前と思えないのだろうな、と思ったりします。

精神科医の対応

どう対応するかというと、

1. 沈黙
彼らの思いを黙って受け止めて共有していく。

2. 説明→気持ちの共感
気持ちを受け取って、でも医療とはこういうものだと説明する。
あなたの気持ちは分かると共感を示す。
あなたはそういう形で挫折をしてきた、世の中が自分のために動いてくれないことに傷ついてきたのですね、という共感。

3. 謝罪
医者の力不足でごめん、僕も一生懸命頑張ってるんだけれどもなかなかできないこともあります、と謝罪する。

ちなみに、この3つのうちどれをするのが良いと思いますか?
どれを選択したら、患者さんが「自分はわがままを言いすぎた」「これは世の中の現実だ」「益田先生に酷いことを言ってしまった」と思ってくれるでしょうか。

答えはどれも失敗します。
どのパターンも上手くいきません。

それは僕がヘラヘラしているからではなくて、基本的には失敗します。
ハッと思える人であれば精神科には来ていません。
精神科に来る前に傷つきを日常生活の中で自分で修正できます。

もし対応に失敗しないということであれば、僕らが押しつけているということになります。
患者さんの思いを押さえつけて屈服させている形です。
「すみません」と謝罪することで患者さんの罪悪感に訴えて、自分の本当の気持ちを押さえ込ませているということになるので、成功した場合はもっと酷い失敗であったりします。
怒るぐらいが自然な反応かなと思います。

ただ、失敗は失敗で良いのですが、ではどれくらい我慢、信頼ができるのかということだと思います。

その診察場面で患者さんが医者が治してくれないことに怒って怒りを表明したことを、5分とか10分、カウンセリングだと45分の間に解決することはできないと思いますし、したとしたら僕の臨床感覚は嘘だと思います。

患者さんは家に帰ってお風呂に入って眠って朝ごはんを食べて、お昼ご飯を食べて、としている中で翌週もちゃんと来る、次の外来に来るという中で何となく受け入れていけるようになります。

患者さんは、我慢しながらお風呂に入って朝ごはんを食べて、我慢しながら通院している、という行動自体が心の我慢力を高めることになります。

どうしてですか、と言われたら僕にも分かりません。
でも実際に臨床をしているとそういうことなんだろうなと思います。

どれだけ我慢できるのか、ギリギリのところで主治医を信用できるのか、信じたくないけれども信じざるを得ない、嫌な思いをしたけれども信じたい、という気持ちの中どれだけ我慢できるのか、ということがポイントかなと思います。

こちら側が歩み寄るという医者側の努力もありますが、これも究極的には患者さんが元々持っている能力にもよるかなという気がします。
だから人によるのだろうと思います。
なかなか難しいです。

理想と現実が違うというのは、1ヶ月や半年でわかるものではなくて、10代、20代、・・・70代と年齢によって違いますが、何度も何度も打ちのめされるテーマでもあるので、まあどうなのかなと色々いつも思います。
僕も日々現実と理想の狭間で戦っています、本当に。

今回は「心を治すのは精神科医の仕事、治せないなら精神科医は不要ではないか」というテーマでお話ししました。


2022.1.24

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